4−2 間宮光希と『間宮沙希』
で、僕が子役を辞めた理由の怪我だけど。怪我をした理由までは知らないよね。僕も姉さんも父さんも言わなかったはずだからね。まだ鈴華ちゃんも小学生だったし、言えるわけがなかったんだよ。
今は中学生になったし、姉さんも許可してくれるでしょ。それに鈴華ちゃんも疎遠だから会うことないんだろうから言っても大丈夫でしょ。
僕はね、母さんに階段から突き落とされたんだよ。
「えっ⁉︎」
まあ、驚くよね。僕も母さんも驚いてたけど。
母さんは僕を突き落とす気もなかったし、悪気があったわけじゃなかったんだよ。それだけは覚えておいて。
で、どうしてそうなったかだけど。簡単に言うと姉さんや鈴華ちゃんに会ってることがバレたんだ。
朝仕事をして午後は姉さんたちと会った日の帰りだったよ。夜遅くに家に帰ったら、母さんが今まで見た中で二番目に怒っててね。そう、姉さんを勘当した時と同じくらい。その表情を見ただけで僕は理解したよ。
ああ、バレたなあって。
潔癖症な母さんのことだ。十年経ってても、姉さんのことは自分の恥部だと思ってたんだろうね。
「母さん、ただいま」
「……光希さん。あなた、あの女に会ってるそうね?」
「誰のことです?芸能界には女性が多いので誰だかわかりません」
そう誤魔化したけど、そんなことで誤魔化せる相手じゃなかった。
まあ、ぶっちゃけた話。母さんって何でもかんでも僕たち姉弟のラスボスみたいな人だからね。
「あなたの姉の!沙希のことです!あなたが子役で『沙希』を名乗っているのもあの女の影響なんでしょう⁉︎」
子役の名前のことも全部バレちゃってたら、もう何も言い返せないよね。
まさか母さんが東京に来てる時に僕が姉さんと鈴華ちゃんに会ってるところ見られるなんてさ。子役の母親同士の集まりがあったから食事に行ったら、僕たちが出かけてるのを見付けたんだって。
で、その日の内に詰問されて。誤魔化せないとわかったら開き直るしかなかった。
「ええ、会っています。姉と姪に会うことが、何か変ですか?」
「あの娘はもう家族ではありません。間宮家を追放したんです。血縁はあっても、便宜上は姉ではありません」
「それでも僕のたった一人の姉です。たまに会うくらい良いでしょう?姉さんはこの家に帰ってくるつもりはありません。僕とも東京で会うだけです」
「あなたも穢れることは許しません!あの娘に影響されて、あなたまで染まってしまったらどうするの!特に芸能界なんてそういう誘惑が多いんだから!」
その言葉にカチンと来たよね。
姉さんは姉さんだし、鈴華ちゃんのことを穢らわしいって言う母さんとは相入れないと思ったよ。
確かに姉さんが中学生で妊娠したのは世間的に見ても問題だったのかもしれない。相手も外国人で、しかも全く責任を取らない父親だ。いや、姉さんから全く鈴華ちゃんの父親のこと聞いてないから推測でしかないんだけど。
だからって姉さんにも事情があったんだろうし、その事情を父さんも母さんも聞いてなかった。姉さんだけが抱え込んでるんだ。それで母さんが一方的に怒鳴りつけるのもどうなんだって話だよ。
数は少ないかもしれないけど、中学生で母親になった人は日本にだっている。十四歳の母って番組とか本とかも出てるからね。
母さんがああも拒絶せずに、姉さんと鈴華ちゃんを守ろうとしてくれれば僕たちの悲劇なんて何もなかったはずなんだ。
その悲劇を起こした母さんが何もかも受け入れないって態度をするのが気に食わなかった。
姉さんを嫌っている母さんのことだ。姉さんと会ってることが露見しないように良い子を演じてたけど、その時は本当に我慢の限界だった。
「穢れるってなんですか。芸能界もバカにしないでください。何か問題を起こす人が悪いのであって、今の仕事を誇りに思っています。そんな一部だけを見て決めつけないでください」
「あなたもあの娘と関わっているとそうなると言っているんです!今すぐあの娘と会うのはやめなさい。芸能界を続ける上で悪評が広まるのは嫌でしょう?私はそれを危惧しているのです」
「姉と会うだけで騒がれるような世界じゃありません」
「十四歳の母というのは芸能界でも世間でも悪い風潮だと言っているんです!」
母さんが怒鳴っても、僕も何も受け付けないから話は平行線になるだけ。
姉さんと会うことをやめるわけがないんだし、それが問題になって芸能界をやめることになっても良い覚悟だったんだよ。演じることができなくなるのは寂しいけど、その二択だったら姉さんと鈴華ちゃんを選んだ。
何も仕事なんて芸能界以外にもあるんだからね。
母さんと一緒に過ごすのも限界に思えたし、収入はちゃんとあったから一人暮らしでもしようかなって、怒ってる人を後回しにして考えてるのが悪かったんだろうね。
怒ったままの母さんを放置して、一人暮らしの準備をしようと二階の僕の部屋に向かったんだ。一つのことを考えると周りが見えなくなる僕の悪い癖が、最悪な形で出たんだ。
いくら芸能界で揉まれようと、母さんを言い返すのは無理だと思った。母さんは大人だし、僕は学校にも全然行ってないバカだ。それに勘当された姉さんにこっそり会いに行ってる僕の方が常識的に考えれば悪い。
母さんとの話し合いを諦めて、切り上げたのは本当に最悪で最低の選択だった。
潔癖症で、真面目で。母親である母さんは息子の僕が無視してこの場を去ろうとするのは許せなかったんだ。
「待ちなさい、光希!」
ちょうど僕が階段を上ろうと足を上げたところに、母さんが僕の肩を引っ張ったんだ。片足じゃバランスが取れなくて、僕はそのまま階段を滑るように落ちて行った。
あまりの痛さに僕はすぐに意識を失ってたよ。劇団とかでも受け身を習ってたから咄嗟に頭を庇ってたらしいんだけど、それで利き腕は押し潰しちゃってね。左足も変な方向に曲がってたみたい。
すぐにドクターヘリが呼ばれて、東京の病院に入院して。右側の肩甲骨破損と右腕の神経麻痺。左足は膝の皿が完全に割れちゃったらしくてくっついても走るのは絶望的っていう診断結果だった。
医者と警察にどうして階段から落ちたのかって聞かれたけど、仕事で疲れて踏み外したって答えた。母さんの表情はそれこそ死んだ人のようだったし、母さんを警察送りにするわけにはいかなかった。
大元の原因は僕が姉さんとこっそり会ってたことだし、母さんの話を無視したことだ。母さんの過失は少ないし、僕はその罰を受けたんだって思えたからそれで良かったんだよ。
生きてるんだし、それに母さんは僕と姉さんの母親だ。母さんがいなければ僕も姉さんも鈴華ちゃんもいなかったんだよ。
だから──僕は僕の罪を受け入れることにした。母さんを庇ったんじゃなくて、恩を返しただけだよ。もう一緒には暮らせないとも思ったけどね。
その後は鈴華ちゃんも知ってる通り。半年リハビリをして、その後中学校を転校して一人暮らしを始めて声優になって。母さんとは勘当のような形になって。
で、今の形に落ち着いてるんだよ。
「……おばあちゃんってわたしたちのことが嫌いなのかな?」
「それは違うと思うよ。母さんは一般的な、普通の母親だったんだ。僕や姉さんが型破りなだけ。鈴華ちゃんのことなんて一回しか見てないんじゃないかな。だから嫌いだなんて思ってないよ。……家族とも、思われてないだろうけど」
「……みっちゃんは、すごいね。おばあちゃんのこと、そう思えるんだ」
「芸能界でもっと酷いものを見てきたからね。それに母さんのことは姉さんの一件であまり好きじゃなかったっていうのはある。ちょっと時間が経ってみると、母さんの方が普通で、僕たちに普通を求めていて。それを僕たちの方が壊しちゃったんだよ。それに子役のことでも散々好きにさせてもらった。今の生活だって、母さんはわからないかもだけど一応許可は貰ってる。絶縁してるようなものだけど、憎くはないだけ。母さんは母さんで、僕は僕。今は今。今の生活も嫌いじゃないから、そう受け入れてるだけ」
声優としての生活も、一人暮らしも。嫌いじゃない。
だからちょっと心に余裕があって、母さんを恨むような感情を忘れていられるだけ。
でもいつまでもそうじゃいけないから、僕としてもう一歩踏み出さないといけないかもしれない。
演技には僕のコンディションがモロに出る。僕のせいで収録がうまくいかないなんて嫌だ。
訣別しないとなぁ。
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