2−2 事務所と学校

 水曜日。


 社長から聞いていたアプリゲームの収録があった。台本もしっかり読み込んで、ゲーム会社が借りていた小さな収録スタジオにやって来た。電車を使えばすぐだったし、場所も事前に松村さんが調べてくれたので迷うこともなかった。


 ゲームの収録は基本一人ずつ行う。アニメみたいにそのシーンに登場するキャラクター全員のキャストが揃って収録、なんてことはほぼない。たまに掛け合いを大事にしているゲーム会社や作品などは全員を集めて収録するなんてこともあるそうだ。


 今回は一人での収録なので、ブースから何から狭い。メインシナリオライターの方とゲームプロデューサー、それに音響関係の方々がすぐそこで見ているというのはゲーム収録特有だと思う。


 アプリキャラクターの収録台本は結構分厚い。今回のゲームは戦闘もあるので戦闘ボイスを各種。それにホーム画面というゲームにログインしてすぐ見ることになるメイン画面でキャラクターにタッチすると喋ることがある。そのボイスも各種。


 これがなんてことのない挨拶からキャラクターの根幹に関わる独り言、他キャラクターへの会話や誕生日のお祝い、季節ごとの所感など話すことは多種多様。結構文量がある。


 通常のアプリゲームならこのくらいなんだけど、今回のゲームはメインシナリオから季節イベントまで全部フルボイスという豪勢なゲームだ。最近増えてきたようだけど、シナリオ全部フルボイスは珍しい。


 僕たち声優からすれば喋れば喋るだけお給料が増えるのでありがたいことだ。アニメは一話ごとのお給料が決まっていて、一話で一言しか喋らないモブでも、たくさん話す主人公でも、演じる声優のランクで給料が決まっている。


 ウチの事務所は零細だから、社長ともう一人の女性声優以外──つまり僕と野原さんは最低ランクだ。あまり声優として仕事にありつけてないから仕方ない。最低ランクの声優は多くて、たくさんアニメやゲームに出てようやく階級が上がる。最低ランクから上がるには年単位の時間が必要だ。


 ゲームの場合はこのランクに応じて一ワードごとにお給料が出る。つまり喋れば喋るほどお金がもらえるし、アニメよりもよっぽど利率は良い。


 人気を得るにはやっぱりアニメに出ることが一番だけど。


 今回僕がやる役「アセム・クロウ・ル・フェ」はメインシナリオに登場しないのか、それともアプリのリリースがまだ先だからなのか、シナリオに関する台本はなかった。キャラクターの基本的なボイスだけになる。


「それじゃあ、間宮君。召喚ボイスからいってみよっか」


「はい」


 僕だけが個室である収録ブースに入る。ヘッドホンを着けて外の部屋との会話ができている。左手に台本を持ってマイクの前に立つ。音響さんのQ出しに合わせて召喚ボイス、要するにガチャで僕のキャラを当てた時の第一声を録る。


 キャラクターデザインは既に線画とはいえ貰っていた。彼に相応しい雰囲気は、声は。コレだ。


『ははっ、俺の力が必要か?剣も魔術も半人前で、記憶もない俺だけど、精一杯力になってやるぜ!……え?俺の魔術はおかしい?だから魔術を見せたら誰にでも変な顔をされるのか……?』


 明るく、記憶喪失を気にしない活発な少年。でも世間知らずっぽさをブレンドして、田舎の少年のような純朴さも混ぜる。


 それが『俺』だと判断した。


 召喚ボイスはこれだけなので、ブースの外の人の反応を待つ。メインシナリオライターの四十代のおじさんであるコトブキ先生と、プロデューサーのこれまた四十代の川口さんは頷いてくれた。


「OKです。その調子で行こうか。じゃあ戦闘ボイスね」


 基本的には台本のページ順に沿って収録は行われた。


 攻撃ボイス、防御ボイス、ダメージボイス。特殊な効果を発揮するスキル発動ボイスに撃破ボイスに敗北ボイスなど。


 戦闘ボイスだけでも結構ある。


 特に最近のRPGものだと定番なボイスが、必殺技ボイス。これは目玉の一つなのでカッコよく決めなくちゃいけない。


『流転を示せ、月の宵闇ノクターン!妖精郷の夢を、月夜に映し出せっ!ああああああああっ‼︎模倣・妖精の楽園ティル・ナ・ノォーグ!』


 半端な魔術の腕で再現したために、身体に激痛が走りながらも放つ絶技。叫び声のところはできるだけ喉を震わせた。


 魔術は記憶に残っているものをどうにか絞り出して本能で使っているアセム君。魔術の才能もそうでもないために、かなりの無茶をして放つ一撃のようだ。


 それを再現するために、必殺技を放った後は大ダメージを負うらしい。凄いピーキーなキャラクターになるんじゃないだろうか。


「……間宮君。同じ必殺技を、クールに言うことってできる?」


「クールに?『アセム』のままで、ですか?」


「あー、うーん……。双子の兄、的な感じで」


「コトブキ先生?」


 いきなりメインシナリオライターのコトブキ先生が無茶振りをしてきた。双子の兄でクールとは。「アセム」とは別のキャラクターで、クールな感じが欲しいのだろうか。


 誰も想定していなかったようで、全員がコトブキ先生の方を見ている。そのご本人は何かを紙に必死に書いていた。やっていいんだろうか。


「あの。クールな感じだと途中の『あああああっ』って叫びを省いていいですか?」


「あ、それは要らない。そこだけカットしてセリフはそのままで言ってくれる?」


「わかりました」


 それぐらいの修正ならペンで書き足したりしなくて良いだろう。


 音響さんのQと共に、「アセム」じゃない「誰か」を演じる。


『流転を示せ、月の宵闇ノクターン……。妖精郷の夢を月夜に、映し出せ。模倣・妖精の楽園ティル・ナ・ノーグ!』


 少し余韻を入れて、言葉を切る場所も変えてみた。声質も明るい感じじゃなく、低めにしてやってみる。必殺技もさっきみたいに声を張り上げて音を伸ばさず、そのままセリフを短く言い切った。


 言い終わった後、コトブキ先生の様子を即座に確認しようとしたが、先生は一心不乱にメモ書きをしていた。


 あれ。聞いてなかったのかな。


 コトブキ先生の無茶振りだったので、コトブキ先生が何か言ってくれないと進められない。音響さんが今のボイスを使うかどうかはわからないけど録れているかどうかの確認をしていた以外、誰も動けなかった。


 コトブキ先生はメモが終わったのか、すぐ隣に座っている川口プロデューサーへ首をグルンと向けていた。


「キャラを二人増やして、アセムの設定変えて良いですか⁉︎」


「えぇ……。そんなところだとは思ってましたけど、どんな風に?」


「オリジナルとクローンを足して、アセムをただの非道な実験の被験者ではなく偶然生き残ったクローンの一体にします!失敗作扱いで」


「まあ、アセムはそこまで変わらないっぽいですし、良いですよ。クローンとオリジナルってことは、デザインは同じく十円饅頭先生にお願いすれば良いですね?」


「ええ、それで」


 みるみる内に新しいことが決まっていく。


 懐かしいなあ。昔の映画撮影とかもこんな感じだった。何か良いことを見付けるとどんどんと取り入れて作品が変わっていくことが多々あった。


 ゲーム製作でもそこは変わらないんだなぁ。新しい発見だ。


「他の人にも伝えるために、新しいキャラのサンプルボイスも録っておきますか?」


「そうですね。そっちの方が十円饅頭先生もイメージしやすいでしょうから。間宮君、ちゃっちゃとキャラ設定とセリフ起こすから待っててね」


「はい。アセムの続きはどうしますか?」


「流用できる奴だけ録って、後は変更になるからまた今度録り直しかな。ごめんね」


「いえ、大丈夫ですよ」


 どのセリフを使い回しにするのか考えるとのことで、一旦ブースから出て休憩になった。川口プロデューサーが色々な場所へ電話をかけて、コトブキ先生はひたすらセリフを書き出していた。


 僕は飲み物を飲みながら出来上がった新しい二つのキャラの設定を見ていく。今日録ることはなさそうだけど、どっちも兼役として僕がやらせてもらえるそうだ。


 こんな形で新しいキャラをやらせてもらえることになるとは思わなかったので松村さんと社長には今回の流れを一通り連絡する。


「光希。それってすっごい珍しいことで、いくらメインの人がそこにいたからってそんなポンポンキャラは増えないわよ?」


「そうなんですか?」


「私は初めて聞いた。モブならまだしも、ちゃんとした名ありのキャラでそれは珍しいことよ」


 そうなのか。いやでも、キャラクターを一つ増やすとなったらかなり労力がかかるもんな。


 絵に設定、セリフ。僕のように声を当てる必要もあるし、ゲームで動かすグラフィック班の人にも苦労をかける。様々な人が関わってるから、確かにポンと増やすわけにはいかないか。


「間宮君、今事務所の社長と話してるのかい?ちょっと代わってもらえないかな。野原君が演じるマッドサイエンティストの役、今回の変更でちょっと設定変わるから」


「わかりました。流山社長、メインシナリオライターのコトブキ先生に変わります。野原さんの演じるキャラクターの設定が変わるようで」


「わかったわ」


 スマホを渡して社長とコトブキ先生が話し始める。野原さんは僕の後に収録予定だったからここに来る前に変更のことが伝えられるだろう。


 ちょっとお手洗いに行くことを伝えて収録スタジオの外に行くと、トイレの近くの自販機の前に野原さんがいた。


「お、間宮。収録終わったのか?」


「野原さん、お疲れ様です。随分早いですね」


「え?あと十分もすれば俺の収録予定時間だけど?」


 スマホは渡していて時間が確認できない。時計はリュックの中だ。トイレに行くだけだから財布しか持ってきていなかった。


 野原さんのスマホで時間を確認すると、確かに野原さんの収録予定時間が近かった。野原さんは三キャラ演じるので結構長めに時間が取られているけど、僕は一キャラの予定だったからそこまで長い時間収録を予定していなかった。


「その様子だとなんかトラブルか?機材トラブルとか?」


「あ、いえ……。なんだか、演じるキャラクターの設定が変更になって、二キャラ増えました」


「ああ?何それ?」


 やっぱり野原さんも初耳らしい。


 トイレだけ行かせてもらって、事情説明をする。野原さんの演じるキャラも若干変わるらしいということも含めて。


「へえ。やっぱりお前って凄いんだな。あ、でもコトブキ先生か……。あの人、声優の収録現場を見てキャラの設定を変えることで有名だからなぁ」


「そうなんですか?」


「寝坊してきた声優を見て、そのキャラに寝坊助設定が増えたとか。噛んだセリフを決め言葉に取り込んだりとか。そういう話は聞くな」


 コトブキ先生は恋愛ゲームとアクションゲームのシナリオを執筆する先生で、恋愛ものだったら清々しい青春モノを、アクションゲームだったら異能万歳、設定破茶滅茶なぶっ飛びゲームが売れたことで有名なのだとか。


 松村さんから聞いただけで、僕はコトブキ先生のゲームをやったことがない。アニメ化された作品もあったが、それも見ていない。


 なにせ原作が十八禁のものばかりで、アニメもそういうものかなと思って手を出せなかった。


 でも昔の十八禁ゲームって、あえて十八禁にすることで購買層を広げたとかなんとかで、戦略的に年齢制限を付けたゲームもあるんだとか。そのせいでシナリオが有名な作品にそこそこ十八禁のゲームのタイトルが挙げられる。


 その後全年齢版やR15が付けられて移植されたりするのだとか。僕も読んでいたノベルゲームの一つがそういうゲームだった。


 野原さんと一緒にブースに戻って、野原さんには直接事情がスタッフから説明された。そのまま僕の収録の様子を見ていくようで、収録が終わった後に僕も野原さんの収録を見ていった。


 野原さんは舞台をやっていただけあって、演技が上手い。声と見た目のギャップで違和感が出てしまうだけで、声質も演技もかなり良い物を持っていると流山社長のお墨付きだ。


 三キャラきちんと演じ分けていて、マッドサイエンティストの狂った笑いなんて「キュエヘへへヒュヒュぺぺべ‼︎」という発音も難しい笑いを完璧に一発OKを貰っていたほど。


 それ以外にも男の風の精霊(カッコイイ)と、獣人の戦士(気弱)を見事に演じ分けていた。


 僕たちの設定変更があったせいで収録が押して、本当は今日三人の声優が収録する予定だったのに時間が足りなくなって最後の一人の収録が別の日に持ち越しになった。


 その可哀想な人は誰だろうと、ブースの使用予定表の名前を見たら『パステルレイン』でも一緒の東條さんだった。現場に来る前に東條さんの事務所に一報を入れたようで、来ました収録せずに帰りました、なんて事態にはならなかった。


 売れっ子声優だからスケジュールの調整が大変なんだろうなと心配したが、僕たちの演技がマズかったせいで押したのではなく、コトブキ先生の暴走なので罪悪感を抱くこともなく野原さんと一緒に帰った。


「前に収録してた声優がNG連発で収録が延びて別日に移動なんてよくあることだから気にするな」


 野原さんと夕飯として牛丼チェーンに行って食事しながらそんな慰めの言葉をもらった。


 僕もこれから一人で収録する仕事の時はそういうこともあるんだろうなと心に留めて牛丼を食べる。でも収録予定時間に間に合わなかったら遅刻になってしまうのでその辺りは普通の社会人と一緒だから気を付けないと。


 野原さんは食事の後、舞台関係で雇ってもらっているアルバイトに向かった。まだ声優一本で食べていけないので前職のツテで雇ってもらっている場所で三時間ほどバイトなのだとか。


 割りが良いから、そのアルバイトと声優としてのギャラで生活はなんとかやっていけるという。


 僕は子役の頃の貯金があるから不自由なく暮らせてるけど、やっぱり声優でも最初の内は食べていくのも大変らしい。


 まあ、僕の去年の年収を考えたら東京で暮らすだけで大変だというのは実感していたけど。 


 家に帰ってからは『パステルレイン』の台本と、ラジオ生放送の台本のチェックをしてから眠りについた。

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