第7話 side エレーヌ お母様の一周忌
この日は、白い空に灰色のどんよりした雲が浮かんでいた。今にも雨が降り出しそうな嫌な天気だった。
私は、その空を見ながらもしかしたらお母様が悲しんでいるのかも知れないと思った。一年前に亡くなってしまった母親の墓標の前に立ち、寂しさと悲しさを胸に手を合わせた。
その隣には、妻の一周忌だと言うのに顔を顰めて嫌そうに手を合わせている父親がいた。私は、合わせていた手を離して白い空を仰ぎ見る。何でこんなことになってしまったのだろうと、残念な気持ちを心に抱く。
私の母親は、病弱でほとんど家から出ることがなかった。季節の変わり目には、必ずといっていいほど体調を崩す。ごくたまに、どこかに出掛けようものなら次の日は熱を出してベッドから出られない。
そんな生活をずっと続けていた女性だったけれど、娘の私にはとても優しくて良い母親だった。母親の周りだけ、時の流れが違うかのようにゆっくりと時間が流れていた。
その流れの中で、娘にできるだけの知識を身につけさせてくれた。ほとんどの人は知らないだろうが、母親はとても頭のいい女性だった。
「何もすることができないから、本を読むくらいしかないのよ」とよく言っていた。そうだとしても、母親の知識は素晴らしいものだった。
唯一、私に色々な話を聞かせてくれている時だけが母親の顔が輝いていたように思う。
体さえ丈夫だったら、きっともっと違う人生だっただろう。本来の母親は、きっともっと好奇心旺盛で活発だったのではないかと子供ながらに感じていた。
でも普段の母親は、何も望んでいなかった。望んでいないと言うよりは、自分のことを諦めている女性だった。もっと、やりたい事をやったらいいのにと思った。
ただ、私の幸せだけを願っていただけだった。
母親の人生は、幸せだったのだろうか? 娘として、母親にしてあげられることがもっとあったのではないかと悔恨の念が押し寄せる。
母親が亡くなってから、私の生活は一変した。妻にも娘にも無関心だった父親が、自分の愛人を屋敷に招き入れたのだ。しかも愛人だけではなく異母妹も一緒に。
ブルックス家は、私の母親であるフランシールの家だ。婿として入った父親が、愛人を家に招き入れるなんて非常識にもほどがある。
私は、怒りを露わにして父親に抗議をしたが聞き入れてもらえなかった。生前母は、父親のことを悪く言わなかった。こんな私と結婚してくれて感謝している、ずっと我慢させていて悪いと思っていると憂いの顔を浮かべながら私に言っていた。
だからか、こんな父親でも悪く言えない。愛人と異母妹と父親が、三人で仲良くしている様子を見ていると私の方が邪魔なのだと思えてくる。
私は部屋を追い出されて使用人部屋に移されても、使用人として働かされても仕方がないと思った。こんな状況が良い訳ないのはわかっている。でも、楽しそうに暮らす父親を見ていたら、それを壊すのはかわいそうだとも思う。
私は、父親を追い出して不幸になって貰いたい訳じゃ無い。ただ、みんなが平和に心穏やかに暮らせたらそれだけで私は充分なのに……。
どうすればいいのかわからなくて、理不尽な生活が一年も続いてしまった。
「帰るぞ」
母親の墓石を見ながらこの一年間のことを考えていた私に、父親が声をかけた。私は、思い切って父親に訊ねた。
「お父様、これからどうするおつもりですか?」
父親と二人きりでいられるチャンスなんてそうそうない。屋敷に帰ったら、使用人としての仕事が待っている。
私自身、今年はデビュタントが控えている。デビュタントに出席することで、一人前の貴族女性として認められる。同時に、成人としてみなされる。
逆に言えば、デビュタントに出席しなければ貴族社会で生きていくことができない。勿論、結婚することもない。
本当なら、もう準備を始めていなくてはいけないのに何もしていない。父親は、私を一体どうするつもりなのだろう?
このまま、一使用人として終わるのだろうか? もし本当に父親が、そう考えているのなら流石の私も考えなければいけない。
「何がだ?」
父親が、ぶっきらぼうに答える。本当にわかっていないのか、話をはぐらかしているのか私では判断できない。
「アンジェリカ様とプリシラのことです」
私は、父親に確認する。あの二人を、このまま愛人としてブルックス家に住まわせるのか聞いておきたかった。
「どうもしない。今までずっと我慢させて来たんだ、表に出してやって悪いことなんてないだろ!」
父親が、鋭い視線を私に向けた。
「お母様の一周忌も終わります。再婚されると言う意味ですか?」
私は、はっきりさせたくて更に質問を重ねた。
「それは……。まだ、考えている」
父親が、意外にも言葉を濁した。
私は、てっきりすぐに再婚するのかと思っていたから。少なくともアンジェリカは、そのつもりだと絶対に思っているはずだ。
「そうですか……。それと、私が今年デビュタントだと気づいていますか? 全く用意をしていないのは、どうするおつもりですか?」
私は、これだけは聞かなければいけないと父親の目を見据えた。すると、父親が私から目を逸らす。
不味いことを言われたと言わんばかりに、顔色が変わった。
「もっもちろん、きちんと考えている。ドレスを作ればいいんだろう?」
私は、悟る。きっと、忘れていたか知らなったか……。間違いなく何も考えていなかった。
「ドレスだけではなく、当日のエスコート役も誰かに頼まなくてはいけません。普通は、婚約者にお願いするのですが……。私はいないので……」
私は、不安を覚える。デビュタントに参加しなかったら、私はこれからどう生きていけばいいのだろう……。
母親が生きていた頃は、父親がどんなに自分に無関心でも気にならなかった。婚約者がいないことも、母親に何か考えがあるのだろうと心配していなかった。
だけど、母のいない今となっては、この父親として無責任な人に自分を委ねるのは嫌だった。この人の下でずっと暮らして行くのだろうか? 明るい未来を思い描くことができなくて、暗雲が立ち込める。
「ちゃんと考えている。遅くなった、帰るぞ」
父親は、もう有無を言わさずに馬車に向かって歩き出す。私も、これ以上はもう聞いても仕方がないと諦めた。不安を抱えたまま、父親の後を追って馬車に向かった。
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