長テーブルいっぱいのロマン




「おはようございます、」

 ある日の放課後、いつものように二河原にこうら高校図書館の司書室に入った僕は、作業台に積まれた大量の本と対面することになった。


 司書室は、図書館の閲覧スペースを壁や窓で隔てた空間だ。カウンターの奥に存在する空間に踏み入れることができるのは、当然、図書局員と司書教諭の平森先生のみである。

 細長の司書室には、過去の活動ファイルや平森が使用しているパソコン、その他、展示などで使う道具などがひしめき合っている。

 入って左側には扉が二枚並び、奥は常に開け放されている。そちらは書庫とつながっていて、書架に並びきれていない本や修復が必要な本、その他、理由あって表には並ばない本が収納されていた。

 手前の扉は主に図書局員が使う準備室だ。そちらは図書館に隣接する空き教室、通称補習室ともつながっていて、司書室以上に狭く細長い。こちらも過去に使った道具やよくわからないものが空間を埋めており、現在は局員が荷物を置くためのスペースと化している。いつかは片づけて有効活用したいというのが、現在図書局に所属する一年生の野望である。

 とはいえ、二高生が部活動に使える時間はごくわずかだ。

 カオスから目をそらし続けている結果、局員は司書室の狭い空間を使わざるを得ない。


 そんな司書室の中央、局員が使用する大きな作業台が、今日は一番とカオスだ。

 見る限り、本、本、本の山だ。

 まるで僕たちと作業台を使用する権利を競い合うように積まれた本たちは、まだ汚れもない美しい状態のものばかりであった。


 入口で足を止めた僕に、平森は新刊が入ったと教えてくれた。

 私立高校である二河原は、司書教諭の平森に予算の使い方や購入する本の選定を一任しているらしい。僕たち図書局がそれらの業務に関わることは滅多になく、基本的には平森の趣味で本は選ばれる。

 平森は、ありとあらゆるジャンルに精通している。彼が選んだ本に不満はなく、新刊が入荷する日は局員にとってちょっとしたご褒美の日だ。僕は分類番号すら貼られていない本の隙間に腰かけて、これから蔵書の一員になる本たちをじっくりと眺めた。


「ちょうどよかった。椿、小口印代わって」

瀬成せなりさん、いたんですか」

 疲れた声を出したのは、本の奥にいた瀬成だった。

 姿は完全に埋もれていたらしい。狭い司書室で窮屈そうに肩を伸ばした彼女は、僕に年季の入った判子を押し付けた。

「いたもなにも、あんたたちの授業が終わる一時間前からやっていたわ。もうだめ。集中力切れた」

「瀬成、下手だもんな」

 狭いスペースで器用にブッカーを貼っていた三鷹みたかが、遠慮のない評価を下す。

 普通科所属の二人は、進学科よりもはやく授業が終わる。その分、僕たちよりも先に作業を始めてくれていたようだ。

 瀬成が担当していたのは、盗難や紛失の際に見分けがつくようにつけられる目印の一つだ。本の上部、裁断面に学校名が入った判子を押すという、なかなかコツがいる作業である。

 瀬成は、判子の形状や天地がどうのと、言い訳めいたものを口にした。細長い判子は均等に押すのが難しく、一年が担当した本はすぐにわかるというのが図書局あるあるとして囁かれている。

「まあ、人には向き不向きがありますからね」

 僕は回ってきた判子にインクを沁みこませながら、改めて司書室を見回した。


 進学科の授業は、先ほど終わったばかりである。

 僕が一番乗りなのは、ホームルームが短縮された為だろう。七時間目の授業が担任だと、こういうボーナスが時折訪れる。ホームルームが長いクラスはいつも決まっていて、南方みなみがたなどは今日も最後にやってくるに違いない。

 一緒にやってきたはずの城之じょうのがいない。

 どこかに寄り道しているのか、今日は真っすぐ帰るのか。当番以外の参加は任意の為、何を考えているかわからない同級生の動向は僕もわからない。



 僕が小口印と格闘を初めて数分後、上級生の一人が顔を出した。

「お、やっているなあ」

伊達だて先輩。珍しいですね」

「新刊が入る日は流石に。借りたいものもあるし」

 爽やかな笑みを見せたのは、二年の伊達だった。

 彼が当番以外で顔を出すのは、本を借りに来る時くらいである。荷物を置いた彼は、早速本の山を覗き込む。目当てだったらしい書籍を引っ張り出した彼は、作業中の平森を急かし始めた。

 貸し出し用のバーコードを作っていた平森が、溜息をついてプリンターを起動する。優先で作ってくれたらしいシールは、伊達が自ら新品の書籍に貼るつもりらしい。

「それ、映画になるやつですよね」

「そう。前から読みたかったんだけど、映画になるならますます読みたくてさ」

「相変わらず、ミーハー」

 三鷹が同級生の気安さで伊達を評価する。

 思わず顔をあげると、瀬成と目が合った。彼女も概ね同意見のようで、僕にしか見えない位置で小さく肩を竦める。苦手な業務から解放された彼女は、上級生を避けるように無人のカウンターに移動する。

 伊達は、そんな僕らに対してもいつもの笑みを崩そうともしなかった。

「好きに言えよ。流行は面白いから生まれるんだ」

「映画は観に行くんですか?」

「行きたいけど、金がない」

「伊達先輩が行きたいって言えば、いろんな女の子がチケット買ってくれるんじゃないですか」

 扉から顔を出して言う瀬成の顔には、明らかに揶揄いと皮肉が混ざっていた。だが、そんな彼女の意地悪に気づいた様子もなく、伊達はあっさりと首を横に振った。

「やだ。映画は一人で観たい」

「へえ。友達とわいわいするのが好きそうなのに」

「それも悪くないけど、趣味が合う奴じゃないとつまらないだろ」

 伊達は淡々と語りながら、作業台に埋もれていた定規を引っ張り出した。

 ブッカーの上に本を置き、サイズを合わせて必要な形にハサミを入れる。

「俺は面白くて流行っているものに興味があるんだ。どうして大勢の人間に響いたのか知りたいし、分析したい。観た後は細かく語り合いたいし、色々な見方をしたい。でも、そこまで出来る奴は滅多にいない。映画館に行くことが目的で、内容なんてなんだっていいって奴も多いだろ」

「だから、一人で観るのか」

「そう。案外繊細なの、俺」

 表紙の端にフィルムを貼った彼は、粘着面に貼られたシートを少しずつ剥がしていく。定規を使って行うのは、余計な空気を潰す為である。ゆっくり丁寧だが、素早く無駄もなく。隙間なくきっちり貼ってしまうと本が反り返って開きにくくなるが、隙間がありすぎても美しくない。絶妙にコツがいる同じ作業を一年繰り返してきた先輩方は、皆ブッカー貼りがうまかった。

 思わず見惚れてしまった僕の前で、伊達は最後まで丁寧に新品の本を扱った。

「原作を読んで、予告や事前に公開されている情報の予習をばっちりして、映画館に行くのが好きだな。その方が上映を特別なものに思えるし、歴史的瞬間に立ち会えている気がして嬉しくなる」

「結局ミーハーではあるんだな」

 三鷹の嘆息をよそに、伊達は満足気に仕上がった本を蛍光灯に掲げた。気泡も少なく、美しい仕上がりである。

 平森先生のチェックも通れば、本はもう並べるだけの状態だ。早速自分の学生証を取り出した伊達は、自分で貸し出し処理まで完了してしまう。

「じゃ、そういうことで」

「え、もう帰っちゃうんですか」

「少しは手伝っていけよ」

「自分が読みたい本だけやっていくとか、サイテーですよ、先輩」

 僕と三鷹、瀬成の文句を一気に受けた伊達は、形のいい瞳をぱちくりと瞬かせた。

 彼はそこで初めて、作業台のカオスに気がついたようだ。眉を下げ、借りたばかりの本を見下ろす。


 新しい本は、当然ながら美しい。

 そこにシールを貼り、判子を押して、ハサミを入れるのが僕たちの仕事だ。利用者の手に届く頃には図書館の本の顔になっていて、新品の美しさは薄れている。

 だが、新品の本にハサミを入れる罪悪感は、もう消えていた。

 自分たちで分類番号をつけ、カバーをかけた本には、不思議と愛着めいたものも感じるものだ。好きな本ならその思いは余計に感じ、伊達のように読みたい本を優先的に作るのは図書局の特権でもあった。


 自分で仕上げた本を、伊達は大人しくカバンにしまった。

 作業台に腰かけ、再び使い慣れた定規を手に取る。

「わかった。レオが来るまでやる」

「なんか今日、あいつ呼び出しくらってなかった?」

「大封先生、放送かけていましたよね。また何かやったんですかね」

 僕たちは、無駄口を叩きながら、それぞれの作業に戻る。

 そのうちに利用者が増え、瀬成が明るく受け答えする声が図書館に響いた。

 今日も穏やかで静かな放課後に、道具を扱う音や局員の声が重なる。


 静寂を破る大声が聞こえてくるのには、あともう少しかかるだろう。


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それは不可能です、ナポレオン 番外編 伍月 鹿 @shika_novel

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