第13話 星詠の言葉

大橋を越えて大聖堂へと辿り着いた。間近で見る大聖堂は外観だけでもただの建造物でないことが分かる。ただの石ではない。継ぎ目のない白磁のような材質の外壁は、どのような手段を用いて作られたのか皆目見当もつかない。そして私たちは大聖堂の中の一室へと通され、アズライドはどこかへと行ってしまった。


「あんまり触らない方が良いんじゃない?」


「でも気になりますわ。何なのかしらこのお花、北の方では見かけませんでしたが。」


フローズンハートが高そうな花瓶に生けられたオレンジ色の美しい花をつつきながらそう言う。もし何かの間違いで花瓶でも割ったりすれば大変なことになると思うのだが、まあいいか。フローズンハートだし。


「…あ~あ、あとどの位待てばいいのかしら、やるなら一思いにやってほしいわ。」


「焦ってもどうにもならないだろう。どんと構えていればいい。」


「でもヴェーダ、もうすぐ日も暮れるわよ。この気持ちを抱えたまま明日を迎えたくないわ。」


「その気持ちは分からんでもないが、…む、噂をすれば、だな。」


ヴェーダが扉の方を見ながらそう呟いた。すると戸が開かれた。


「…エルハーベン、ヴェーダ。付いて来い。」


扉の前に立っていたのはアズライドだった。いつもより眉間にしわが寄っている。ただでさえ怖い顔がより怖い。


「…はい。」


「お前は来んで良い。」


「…そうですの。」


腰を上げようとしていたフローズンハートが再び椅子に腰かけた。





暫くの間無言で歩いていたが沈黙に耐え切れなくなり私は声を発した。


「…これからどこへ行くんですか?」


聖都までの道中アズライドは私たちのことを悪いようにはしないと言っていたが、何か問題でもあったのだろうか。後ろからちらりと見える彼の横顔は険しい。


「まもなくだ。」


そう言ったきり再び押し黙ってしまう。だが彼の歩みは人気のない方へと向かっていく。大聖堂の上階へと向かい階段を上る。下の階には聖教の関係者と思しき姿の者たちの姿が見えたが三階を越えたあたりからはすれ違うこともなくなっった。…もしかして幽閉でもされてしまうのだろうか?そんな不安が頭をよぎるが、不意にアズライドの足がある扉の前で止まった。


「…ここだ。」


その扉は市井の建造物とは違う、人間に作れるものなのかも怪しい神秘的な雰囲気を持つ大聖堂において尚、一層異質であった。両開きの造りをしており白一色ではあるのだが精緻な彫刻が施されており、まるで芸術品のような印象を受けた。


「良いか、余はこの先に立ち入ることは出来ぬ。…中におわすのは大聖上だ。決して粗相のないように。」


「………え?今なんと?」


聞き間違いだろう。大聖上?星将以外のものは姿を見る事すら滅多にできないはずの存在だ。それが聖都に訪れたばかりの私たち前に姿を見せるだなんてあるわけがない!だがアズライドは何かを推し量るようにしてこちらを見ている。


「…余にもわからぬ。だが大聖上は貴様らに直接会うと仰った。この先で何が起こるのかは分からぬ。…だが、…いや、ともかく他の選択肢はないのだ。腹を決めるしかない。」


他人ごとのように言ってくれるが彼のこちらを見る瞳には険しさの中にも、どこか優しさを感じた。


そして私たちはアズライドの視線を背に受けながら扉を開いた。そして流れ星に導かれるようにして、ヴェーダと出会って動き始めていた私の運命の歯車は、その律動を確かなものとした。


室内は想像していたよりもシンプルだった。白を基調とした空間で調度品の類はほとんどない。入口の向かいには継ぎ目のないガラスの巨大な窓があり、そこからは大聖堂の外側に広がる海を眺めることが出来た。だが、日も暮れかけた今、海面は夕日の光を反射しており、茜色に輝いている。そしてその光景を眺めるようにしているものの姿が一つ。後ろ姿だけでも分かる。身にまとう白を基調とした装束は所々に黄金の装飾が施されており、煌びやかでありながら下品な印象を一切抱かせることはない。やがてこちらの存在に気が付いたようにゆっくりとこちらを振り返る。


「ようこそエルハーベン。……待っていましたよ。」


まるで月の光を束ねたかのような美しい銀髪と不思議な引力を感じさせる黄金の瞳、千年以上の時を生きているとは感じさせないほど、いや、そう言われても信じられるほど神秘的で美しい。


「…あ。」


その雰囲気に呑まれ私はまともな受け答えをすることが出来なかった。だが大聖上はそんな私の様子を気にも留めず告げる。


「あなたに祝福を与えます。」


「…は?」


そうして彼女の口から発された言葉は、私の思考を麻痺させるのに十分な力を持っていた。祝福?大聖上より祝福を与えられるということは、すなわち星将に数えられるという事。…つまり、私が十二星将の一人になるという事?…いや、さすがにありえない。こうして大聖上に相対しているだけでも十分にあり得ない事なのだが、比にならない。聖教の一員でもない私が聖都に来たその日に星将になるだなんて…。やはり聞き間違いだろう。


「…なるほど。それは一体どういう意味でしょうか?」


「あなたを星将にすると、そういう意味です。」


そう告げる大聖上の瞳は、子を見守る母のような優しげなものだった。


「…私、何もしてないんですけど。」


「あなたは先触れと呼ばれる魔物を倒したました。本来であれば星将にしか倒せぬ存在。ですがあなたは祝福を持たない身でありながらそれを討伐した。逆説的にはなりますが、あなたは星将たるに十分な資質を持っているということです。それに、」


そう言うと大聖上は隣に視線を向けた。何もない空間へと。だが、やがて色を濃くするようにして人影が浮かび上がってくる。深く暗い色の黒髪に、美しい黒曜の瞳、肌は透き通るように白く人形のように整った顔立ちをした女性が姿を現した。


「彼女は星詠グリフィス。聖教において預言者の役割りを担っています。」


「やあ、紹介に預かった通り私はグリフィス、預言者だ。占い師のようなものと思ってくれていいよ。」


そう言って彼女は不思議な微笑をこちらへと向ける。


「…占い師、ですか?」


「ええ。ですがその予言は正確無比、占いなどと比べられるものではありません。公には知られていませんが、彼女の予言は聖教の方針にすら関わります。」


「なるほど。」


適当に相槌を打つ。もはや私の思考を越えて話は展開されている。全部聞き終わるまでは判断することすらできないだろう。


「そして、その彼女が見たのです。あなたの存在を。」


「うんうん。君の存在はこの世界に大きな変革をもたらすだろう。いわば総仕上げだよ。聖教が千年に渡り秘匿し続けてきたその悲願のね。」


「俺はその話聞いていいのか?」


今まで黙って事の成り行きを見守っていたヴェーダが口を開いた。そしてその問いに大聖上ではなくグリフィスが答えた。


「構わないよ。私の見た未来ではエルハーベンの隣に君がいた。遠く、見ることは叶わないが、きっと、君の存在も彼女の運命に大きく関わっているのだろう。」


「そうか。」


「ああ。ならば話を続けよう。だが、ここから先はエウドラスの口から話た方が良いかな。」


グリフィスの視線を受けた大聖上は彼女に代わり言葉を続けた。


「この世界は滅びの危機に瀕しています。今よりずっと昔から。世に魔物は絶えず現れ村を、人を、襲っています。結界を張ることで侵入を防いでいますが私の力は衰えその効力は年々弱まっています。あと百年もしない内にこの世界は魔物に蹂躙され世界から人は淘汰されることでしょう。」


…百年か、人にとってはとてつもなく長いが世界の寿命としてはあっという間なのだろう。…そんなことになっていただなんて。


「魔物の脅威より人類を救済するためには、魔物を残らず消し去るしかありません。それはあなたにしか出来ぬことです。」


「…ど、どうして?魔術に自信はありますが、星将と比べたら私の力なんて大したことはないはずです。それなのに、」


私の言葉を遮り大聖上は続ける。


「全ての魔物は一つの存在より分かたれしもの、その存在の名はゼノクエーサー。ここよりずっと南に、世界の果てすら越えた先に存在する、その者を倒さぬ限り魔物の存在がなくなることはありません。そしてその討滅は自らの資質のみでゼノクエーサーの先触れを討滅したあなたにのみ可能な事。他の星将には出来ぬことなのです。」


そう言い大聖上は私を見つめている。だが、そんな事を急に言われたところで分かりましたと頷ける訳はないし、第一そんな魔物の親玉みたいな存在を私に倒せるわけがない。つい一月ほど前にAランクの魔物にすら負けかけたのだ。


「…話は分かりました。信じられないこともたくさんありましたが大聖上様がそんな冗談を言うとも思えませんし、でも無理ですよ。私にそんな事。それにそもそも先触れとかいうのも倒していないかもしれません。村を襲った魔物はそいつじゃなかった可能性もあります。」


「いいえ、それはあり得ません。先触れの宿す力は確かにあなたに乗り移っています。そうでしょうグリフィス。」


「ああ。確かに感じ取れるよ。よって君が倒したことに疑いようはない。」


何ということだ。それにそんな訳の分からないものが私の身に纏わりついていただなんて、呪われたりしないだろうか。


「ともかく、あなたはこの世界に唯一存在する救世の鍵。拒否することは叶いません。明日、祝福の儀を行います。それまでは体を休めると良いでしょう。」


優しい、けれど有無を言わせぬ口調でそう言われた。私に判断する権利はないらしい。


「ではこちらだ。付いておいで。」


大聖上はそう言うとグリフィスに目配せをした。それを受けた彼女に連れられて私たちは部屋を後にした。






「ふふ、急なことだからね。驚いただろう?」


「ええ。」


グリフィスは私たちの前を歩きながら気さくに話しかけてくる。聖教での立場はかなりのもののようだが、どこか親しみやすさを感じる。


「それにしても、久しぶりだね。」


そう言って彼女はこちらを振り返った。だが、そんなことを言われてもこちらにそんな覚えはない。もしかしてヴェーダの知り合いだろうか?そう思って隣の彼に視線を向ける。


「ああ、あの占い師のババアだろう。ウケミの町で会った。」


「ふふ。姿を変えているというのに良く分かったね。どうしてだい?」


「ただの勘だ。」


「そうかい、まあそういうことにしておこうか。おっといつまで呆けた顔をしているんだい?」


「え、いや、面食らっちゃって。」


そう言えばウケミの町で良く分からない占い師に良く分からないことを言われたような気がする。


「まさか、あの気持ち悪いミイラの腕みたいなのを持ってたのがグリフィスさんだったなんて!あの時から私のこと知ってたんですか?」


「ああ。あの町に言ったのは君のことを見るためだ。それとあれは聖教にとっては霊験あらたかな代物なんだよ。実際には役になど立たないものだけど…。…だが、そんなものより、もっと面白いものも見れた。」


そうしてグリフィスはヴェーダに向けて熱っぽい視線を向ける。


「…君は不思議だ。長いこと生きてきたが、その在り方は今までに見たことのなかったものだ。どうして謎めいた存在はこうも心惹かれるのだろうか。」


「お前は俺のことを知っているのか?あの時は良く分からないみたいなことを言っていたが。」


ヴェーダもグリフィスの視線を正面から受け止め問い返す。するとグリフィスはヴェーダに吐息のかかりそうな距離まで近寄り、視線は顔に向けたままヴェーダの左腕に巻いていた布をゆっくりとした動作で外し、露わとなった鉱石のような腕に艶めかしく指を這わせる。


「君がどこから来た何者かなど知らないが、この腕はとても面白い。人から魂を抜けばきっとこんな風になるのだろうね。」


「それはどういう意味だ?」


「さあね。でもきっと君のその力は古くに失われてしまったものだろう。だが案ずることはないよ。君の在り方が変わることはない。」


「良く分からんが、まあ良いか。」


「ああ。記憶など、さしたる意味を持たないよ。放っておいても運命は結末へと向かって行くのだからね。」


そう言うとグリフィスは名残惜しむかのようにゆっくりとヴェーダから離れた。今の問答もそうだが不思議な人だ。何を言っているのか全然分からない。だけれど何故だろうか。あの老婆の時は胡散臭いことこの上なかったが彼女が聖教の預言者だからと知ったからか、どこか引き付けられる姿の為か、その言葉も説得力があるように聞こえる。


「…グリフィスさんって何歳なんですか?姿を変えられるようですけど、まさかあの占い師の姿の方が本当の姿なんてことはないですよね?」


「ふふ、まさか~、馬鹿にしているのかい?それに乙女に歳は尋ねないものだよ。」


うわ。なんだか悪寒がした。どうやらこの話題は避けておいた方が良いみたいだ。


「さあ、そんな話をしている間に着いたよ。ここが君たちにあてがわれた部屋だ。中にはフローズンハートもいるよ。明日になれば迎えに行くから。それまでごゆっくり。」


そう言うと彼女は立ち去ってしまった。私の身に起きたことが未だ信じられないが、なんだかドッと疲れてしまった。今日はもう寝よう。

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