第11話 姉弟

「あらあら、皆さん何処へ行っておりましたの?目が覚めたら誰もいないのでびっくりしてしまいましたわ~!」


村へ帰るなり私たちの顔を見たフローズンハートがそんなことを口にする。


「ああ、ましら様が現れたのだ。お前は眠っていたので置いていったが。」


「まあ、起こして下さいな!そういう時は!」


フローズンハートはそう言って騒ぎ立てるが、…まあ無視してもいても問題ないだろう。


「だが何はともあれこの村での用は済んだ。夜が明ければ村を発つ。それまではしばし身を休めるが良い。」


あと数時間もすれば夜が明ける。フローズンハートはおいておいても私たちは体を休めておかないと。…だがその前に、


「アズライド、一つ我儘を聞いてもらえないかしら。」




夜が明けて村が活気づくころ、私はイームスの家を訪ねていた。


「別にあんたは付いてこなくても良かったんだけどね。あんたも気になるの?ましら様のこと。」


「ましら様に興味はないが、お前が何をそんなに拘っているのかには興味はあるな。」


「ふーん、まあ良いけど。」


私の隣に立つヴェーダとそんな会話をしながらイームスの家の戸を叩く。それほど待つことなく「は~い。」という声がして扉は開かれた。


「あらエルハーベンさん。それからヴェーダさんも。」


出迎えてくれたのはイームスの母親だった。


「おはようございます。昨日ぶりですね。」


「こんな朝早くからどうかされたんですか?」


「報告に、ましら様は昨日の晩アズライドさんが倒しました。」


「ええ!?そんなにすぐ!?ありがとうございます!」


「でもヒナちゃんは既にもう…。」


「…そうですか。イームスには私から伝えておきます。でも本当にありがとうございます。なんだか不思議です。生まれた時から教わっていたましら様が、こんなにあっさりいなくなるだなんて…。」


そういう彼女の瞳はどこか潤んでいるように見えた。だが私の要件は別にある。というかそちらの為に来た。


「すみません。それから聞きたいことがあるんです。」


「…ええ。なんでしょう。私にできる事であれば何なりと。」


「ましら様についてです。全てお話ししていただけないでしょうか?」


「ましら様?でも、もう倒されたんですよね?」


「ええ。ですけど気になることがあって。」


「…そうですか、私が知ることは昨日全てお伝えしたので、それ以上のことは私にも…、ですがそうですね。もしかしたら村外れに住むカンサクルという老婆であれば何か知っているかも…。今生きている村人で姿を見たというのも彼女だけですし、」


礼を言い私達は彼女の家を後にした。イームスにも会いたかったが、私にはヒナちゃんの結末を、まだ幼いあの娘に伝える勇気はなかった。




「それにしてもどうしてそんなに知りたがるんだ?結局魔物なんだろう?話す魔物ってのはそんなに珍しいのか?」


教えて貰ったカンサクルという老婆の所へ向かう途中ヴェーダが急にそんなことを言った。


「珍しいか珍しくないかで言えば珍しいわ。言葉を話せる魔物なんて聞いたことないし、でもそれが理由じゃないわよ。」


「なら何で?」


「あの魔物に心があったのなら一体どんなことを考えていたのか、少しでもそれが知りたいってだけ。」


「…随分と感傷的だな。相手は魔物だろ?それも倒しちまってるんだ。今更気にすることじゃないと思うがな。」


ヴェーダは呆れたような目でこちらを見ている。そんなことは言われずとも分かっているが気になるものは仕方がない。


「私も分かってるって。ほらそんなこと言ってたら着いたわよ。…っていうかボロっ!村八分にでもされているのかしら?」


そんな話をしていると教わった場所へ辿り着いた。カンサクルの家だろうか?ここが?本当に人が住んでいるのだろうか?随分と古い。というか古すぎだ。屋根には正体不明の植物が生えており、壁はツタに覆われ、所々に穴が開いているのが見える。


「本当にここ?場所間違ってないわよね?」


「入ってみれば分かるだろ。」


ヴェーダはそう言ってボロ家の扉に手をかけた。よほど立て付けが悪いのだろうバキバキと音を立てて扉は開いた。


「ちょっ!?」


開いた扉はそのまま前方に倒れてしまう。


「あんた壊してんじゃないわよ!」


「まあ仕方がない。いずれこうなっていただろうしな。」


悪びれた様子もなく嘯く。


「それよりほら、どうやら人が住んでたようだ。」


ヴェーダが顎で示した先には外見に違わぬぼろぼろの家屋の隅で胡坐をかく老婆の姿があった。


「…いきなり人の家の戸を壊しておいて随分な言いようだな。何の用だ、この村のものではないな。」


死んだ魚のような濁った瞳をこちらに向けてくる。これは不味い。こんなことなら一人で来ればよかった…。だがやってしまったものは仕方がない。なんとか挽回しなくては。


「すみません。壊すつもりはなかったんですが…。」


「…まあ良い。早く用を言え。そしてすぐに帰れ。」


「あ、ありがとうございます。」


どうやら話位は聞いてくれるようだ。見た目と違って優しい人のようで良かった。


「ましら様のこと、」


「帰れ。」


私が言葉を言い終わらぬ内に老婆が言葉を遮った。だがその態度から彼女が何かを知っていることが分かる。


「お願いします。」


「帰れ。」


「そこをなん…」


「帰れ。」


「…倒したんです。」


「…何?」


取り付く島もなかった先ほどまでとは異なり老婆はこちらの話に反応した。


「ましら様を、昨日の晩。」


「…そうか、ようやくか、…ならば座れ。茶など出せんがな。」


一瞬、老婆の目が優しいものに変わったような気がした。だが良かった。どうやら話位は聞いてくれるようになったようだ。言われるがまま腰を下ろす。ヴェーダもそれに続いた。


「…それで、何が聞きたい?」


「私たちはましら様と話しました。会話と呼べるほどのものではなかったかもしれませんが…、その時聞いたんです。誰かに閉じ込められている。友達が欲しいと。」


「…そうか。」


そう呟くと老婆はしばらくの間黙り込んで何かを考えるように、懐かしむかのようにしていた。そうして幾ばくかの時が流れ、やがて老婆は口を開いた。


「…ましら様は、儂の弟じゃ。」


「な!?」


冗談でも言っているのだろうか?ましら様は確かに魔物であった。あの消え方は魔物特有のものであった。それは間違いはない。だが老婆は私の動揺など意にも介さず話を続ける。


「儂の母は魔術師じゃった。じゃが娘である儂には魔術の才がなく相当に失望しておった。だからか次に生まれた弟のロージゥが、魔術を扱えるということが分かった時には大層喜んでな、優秀な魔術師になれるようにと手をかけておったのじゃ。」


そこでカンサクルは一つため息を吐き、悲しそうな口調で告げた。


「…じゃが母は道を違えてしまったのじゃ。ロージゥが優秀な魔術師になれるよう、それのみを願っておった我が母は、手を出してはならぬものに手を出したのじゃろうな。どのような術を用いたかなど分からんが、…気づけば弟の身体は白い毛に覆われていき、やがて言葉も曖昧になっていった。」


「…人が魔物に?」


そんな魔術は聞いたことがない。一体どれほどの業を重ねればそんな真似ができるというのか。


「かろうじて自我は残っておったものの、最早弟は人の営みの中で暮らすことなどは出来なくなっておった。そこまでしてようやく母は自らの過ちに気付いたのであろうな。だが変わり果てた姿となろうとも、我が子を殺めることなどできんかった。弟を森の奥深く、人の立ち入らぬ場所へと閉じ込め隠し通そうとした。弟の命が尽きるその時までな…。」


「…でもあなたの弟は人にも危害を加えたのでしょう?それでも放置していたんですか?」


「…真実ではない。…確かに弟は魔物になって得た力で村から色々なものを奪い取っていた。時には人や獣もな。…じゃがそれだけだ。助けを求めようとしたものを殺すことなどはしていない。」


…聞いていた話と違う。ましら様はこの村を脅かし、助けを求めようとしていたものを殺めていたはずだ。


「…まさか、」


「…鋭いの、村の者は魔物の存在を恐れ、聖教に伝えようとした。…じゃが私の母はロージゥが魔物として殺されてしまわぬようにと、…村の遣いを殺したのじゃ。…そして魔物にましら様と名付け、助けを求めようとすれば殺されると村の者の不安を煽り、ロージゥの存在が外へと伝わらぬようにした。それからのことはお前の聞いた通りじゃろう。」


…老婆の話が終わった。…悲しい話だ。一人の魔術師の暴走により引き起こされた悲劇の話。


「なら昨日村に現れたのは偶然?」


「…じゃろうな。だが、運命かもしれん。」


「…あなたの母親は?」


「死んだ。何十年も前にな。儂の母じゃぞ。」


まあ80は越えていようかという老婆の母親なのだ。当然と言えば当然であるが。


「…ありがとう。…ましら様を、儂の弟を、」


去り際、後ろからそんな声が聞こえた。声のする方を見ると、老婆が魂の抜けたような表情で、虚空へと優しい眼差しを向けているのが見えた。



「…以外だったな。」


アズライドたちの待つもとへと戻る途中、ヴェーダが不意にそんなことを言う。


「…そうね。まさか本当に人間だってなんて。」


「アズライドにはなんて伝える?」


「別に、聞かれなければ答えないわ。例えましら様も被害者であるということが分かっても、魔物であることに変わりはなかったのだし。」


「だがなんとも救いのない話だったな。」


「そうね。」


「…あの話を聞いた時、ましら様のことを知りたがっていたお前はもっと動揺すると思ってた。場合によってはあの婆さんに殴りかかるかもとかな…。」


「…そんなことしないわよ。とてもやるせない気持ちになったわ。けれど、仕方のないこと。…カンサクルも一人きりで今日まで弟の秘密を抱えて生きてきたのよ。それで十二分に罰でしょう。」


「…ふーん、感傷的かと思えば、ドライな奴だったり、良く分からないやつだな。お前は。」


横目でこちらを見ながらヴェーダはそんなことを言った。


「未だ正体不明のあんたには言われたくないけどね。…あ、」


視線の先にアズライドとフローズンハートの姿が見える。アズライドの下へ行くと、こちらを一目見て「行くぞ」とそう一言発し、先へと歩みだした。ましら様について調べたいからと、出立を遅らせてもらったのだが、成果などは聞かれなかった。でも、それでいいとも思う。例えこの話を聞いていたとしても結末は変わらなかっただろうし、結局は私の自己満足でしかない。だがそれでもましら様の、いえ、ロージゥのことを知れて良かったと、そう思った。

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