第3話 謎の才能

ウケミの町にたどり着いて二日目、当てがあるわけではないがヴェーダの素性を知るものを探して町を回ることにした。朝日はすっかり昇り切っており、宿の外へと出ると既に市場は活気づいている。


「じゃあ適当に町をふらつきながらあなたのことについて尋ねてみましょう。…あまり期待はできそうにないけどね。」


隣に立つヴェーダにそう告げる。


「ああ。だが、その前に魔物や聖教について教えてくれよ。ここじゃ知ってて当然なんだろ?」


「ああ、そういえば昨日そんな話もしていたわね。」


言われてみて思い出した。ヴェーダの記憶が戻らなければ、生きていくために彼の職を見繕ってやらねばならないのだが、常識的なことくらいは知っておかなければ不自由するだろう。


「そうね~、でも何から話せばいいのかしら。この世界じゃ子供だって知っていることだしね…。」


「そんなことまで忘れちまってるのか。重症だな。はは。」


焦った様子もなく言う。軽口を叩けるのはいいことだが、少しくらいは危機感というものを持って欲しい。


「それはその通りなのだけど、…箸の使い方とかは覚えてるのに、どうしてかしらね。」


そう言葉を区切り、私は歩みを進めながら、記憶を失くした彼にも伝わるよう言葉を選ぶ。


「まずね、この世界には大きく分けて三種類の生き物がいるの。まず私達人間でしょ、それから動物たち、そして最後に人間を襲う強力な力を持った魔物たち…。」


「ふーん、獣と魔物どういう風に違うんだ?見た目とかか?」


「いいえ、…まあそれもあるけれど最も大きな違いは魔物は人間のみを襲い、死ねば塵と化して消えていく。糧とするために殺すのではなく、無意味に命を奪い、何も残すことはなく消えていくということね。」


「死体も残らないのか?」


「ええ。」


「じゃあただ害をなすだけの存在か。なんだってそんなもんが存在してるんだ?」


「さあね。ただある時この世界に突然現れたらしいわ。それに普通の人間が魔物と遭遇すればまず間違いなく死ぬわね。」


「そいつは大変だな。…ああ、そうか、その為の結界か。」


言葉の途中で思い至ったのかヴェーダはそう言った。


「お!鋭いわね。魔物がそこらへんうろついてちゃまともに暮らしてけないでしょ。千年以上も前にとある天才がこの世界全体に結界を張ったの。そしてこの世界に網目状に張られた結界の上に人は町を築き、街道を整備したの。そのおかげで人の領域から外れなければ魔物から襲われることは滅多にないわ。」


そう言いながら活気づく市場を見つめる。


「結界が無ければ人類の発展もなかったでしょうね。それどころかもう人類は滅んでしまっていたかもしれないわ。」


「それだけの結界を作れる人間が良くいたものだな。随分と大層なものじゃないか。」


「いた、じゃなくて今もいるのよ。」


「何?」


ヴェーダが訝しげな顔をする。まあ当然と言えば当然だが人間はそんなに長く生きられるわけがない。唯一人を除いては。


「その天才こそ、聖教の頂点に君臨する大聖上エウドラス=ポラリスよ。」


「…ああなるほど。そりゃみんな知ってるわな。」


私の隣を歩く彼は得心がいったかのように呟いた。


「ええ、神のようなものだしね。ともかくこの世界は彼女のお蔭で今に至るまで続いているの。その影響か聖教の総本山は地理的にも物流的にもこの世界の中心にあるわ。聖都という所なの。私も実際に行ったことはないのだけれど話に聞くだけでも大分都会みたいね。シティってやつよ。」


「この世界の奴らは全員信者か?」


「別にそういう訳じゃないわ。聖教と言ってもその活動の最たるものは魔物の討伐だし。ただ民衆は魔物を討伐して自分たちに安全を与えてくれる聖教を崇めてるってわけ。」


「ふん、現実的だな。」


感心したようにも、馬鹿にしたようにも聞こえるような声で告げる。


「まあ普通の人にとっては自分の暮らしがすべてだしね。仕方がないわ。」


今も昔も人間の心などそう変りはしないはずだ。どのようにして世界に聖教が根付いたのかなど知る由もないが今と同じように魔物を討伐して回り信頼を勝ち得ていたのだろう。


「まあとりあえずはこんなことかしら。とりあえず結界の、つまりは街道から外れなければ基本的には問題ないわ。」


このくらい知っておけば十分だろう。それに私は机の上での勉強にはあまり熱心ではなかったので、これ以上を求められても困る。


「そういや、お前は魔物に襲われてた俺を助けてくれたんだよな。そんな危険な魔物から、どうやったんだ?」


ふと疑問に思ったように足を止めてこちらに尋ねてくる。そうか、ヴェーダは魔術の事も忘れているのか。


「魔術よ。世の中には魔術を使える人間がいるの。私もその一人ってわけ。」


そう言いながら私はあることを思いついた。


「そうだ、せっかくだからあなたに魔術が使えるかどうか調べてみましょう。」


「魔術?」


「ええ。丁度この町には魔道学園があるし、もし魔術が使えるとなれば職なんていくらでも見つかるわ。」


我ながら良い思い付きだと思う。つい数か月前までに通っていた学園にはよくしてくれていた知り合いの先生もいる。事情を話せば力になってくれるだろう。


「あんたのその腕だって、明らかに普通じゃないし、今は思い出せないだけで本当は魔術を使えたのかも知らないわ!」


「お、おい。」


そう告げると、反応など待たずに彼の手を引いて魔法学園までの道のりを歩きだした。


呆気に取られたようなヴェーダを引き連れ町を進み、魔道学園の前までたどり着いた。六年間通っていた学園は私が入学した時から変わらぬままそこに在り続けている。


「ここよ。」


「随分強引だな。そんなに来たかったのか?」


ヴェーダは呆れたようにこちらに向かって言った。

思い返してみると少々気恥ずかしくもあるが、気にしないのが一番だ。


「良いじゃないの。丁度今日は休みの日だし、私の仲が良かった先生も部屋にいるはずだから訳を話して協力してもらいましょう。その腕の事も何か分かるかもしれないし。」


「…別に不自由はしてないんだがな。」


ヴェーダは面倒くさそうに言うが、この位は付き合ってもらっても罰は当たらないだろう。今まで気にしないようにしてきたが彼の腕の事が少しでも明らかになるのなら興味がある。


「じゃあ行きましょう。」


私はそう言い、ヴェーダを連れて学園の中へと入っていった。


「当然と言えば当然なのだけれど全然変わってないわね。」


ここを卒業してからまだ数ヶ月も経っていないのだ。魔術の練習をした庭園も、毎日通っていた廊下も、そこから繋がる教室もここに居た時と何一つ変わっていない。だというのに、もうここへ来ることなどないと思っていた為かひどく懐かしく感じる。

感慨にふけりながら廊下を歩いているとすぐに目的地へと辿り着いた。


「ここよ。」


隣を歩くヴェーダにそう告げ扉を叩く。


「ジル先生、いますか?エルハーベンです。」


「…何?待ちなさいすぐに開けるから。」


少しの間があり扉の向こうから声が聞こえドアノブが回された。


「おやどうした?ホントにエルハーベンじゃないか!」


開かれた扉からは眼鏡をかけ白髪交じりの髪を適当に切り揃えた初老の男性が姿を見せた。


「久しぶりです、ジル先生。」


「いやまだ一年も経っていないじゃないか。」


先生はそう言い、笑みを浮かべこちらを出迎えてくれた。


「それにしてもどうしたんだい突然?君は卒業後に顔を見せてくれるようなタイプではないと思っていたよ。おや、そちらの子は?」


再会の挨拶もそこそこに先生は隣に立つヴェーダの存在に気が付いたようだ。


「紹介します、彼はヴェーダです。それで先生を尋ねた理由というのは隣に立つ彼なんですけど。」


そう紹介するとヴェーダは軽く会釈をした。


「ヴェーダ、こちらはジル先生。学生時代にお世話になったの。今はこんなだけど昔は凄腕の魔術師だったらしいわ。」


「今も、だよ。まあ立ち話もなんだ。中に入りなさい。少々散らかっているがね。」


先生はそう言い、私たちを部屋の中へと案内してくれた。部屋の中は乱雑に資料が山積みにされており、部屋のあちこちに使い道の分からない道具が散乱していた。


「相変わらず汚いですね。少しは片づけた方が良いんじゃないですか?」


「はは、厳しいな。だがこの状態が私にはちょうど良いのだよ。」


苦笑しながらどこから取り出したのか分からないお茶を私たちの前に差し出してくる。


「それで、どういったご用件かな?」


差し出されたお茶を啜りながら私は先生に事情を話す。ヴェーダが記憶喪失な事、その手掛かりを求めてこの町を訪れたこと、そしてもしかしたら魔術の才能があるのではないかと思い先生を訪ねたことを。


「ふむ。ヴェーダ君といったかな?それはさぞかし大変だっただろう。…だが、エルハーベン、分かっているとは思うが魔術の才とは誰にでもあるものではないよ?」


先生はヴェーダの事を気遣いつつも私を諫めるかのような視線をこちらへと向けてくる。


「分かってます先生。でも少し気になることがあって。ヴェーダその手を先生に見せてみて。」


黙ってやり取りを見ていたヴェーダに手を覆っていた布を外すよう促す。


「ん?ああ。」


彼が腕を覆っていた布を外し、先生の前に腕を差し出すと先生の目が慎重に吟味するような目つきへと変わった。


「これは?」


「さあ。さっき紹介されたと思うが記憶がないんだ。だからどういう経緯でこうなったのかは分からない。だが、…不自由はしていない。」


「そうか。ふむ、…感覚は?自在に動かせるかね?」


先生はヴェーダの手を取り、感触を確かめたり、叩いてみたりしながら彼に問いかけている。


「どうかな、触れた感覚はないが、触ってるっていうのは分かる。」


「ふむ。」


「で、どうですか?何か分かります?」


私たちのことなど忘れ、ただ一人の思考の世界に没頭しかけている先生に声をかける。


「いや、こういったものは見たことがないな。おそらくは魔術に因るものだろうがどんな原理なのか私には分からない。もしかすると現代では既に失われてしまった古代魔術ロストマジックかもしれないな。」


古代魔術ロストマジック、あまり馴染みのない単語だ。言葉の雰囲気からレアっぽいことは伝わる。


「それってどういったものでしたっけ?聞き覚えはあるんですけど…」


「時代の流れの中で失われてしまった魔術だ。だが冗談のようなものだよ。あまり気にしないでくれ。それに古代魔術ロストマジックなど知る人間は大聖上以外にもう存在しないだろうしね。だが君の言うことも分かった。確かに彼には魔術の才があるかもしれないな。力になろう。」


そう言って先生は席を立ち、机の下に顔を突っ込んでガサゴソとあさり始めた。


「えーと、どこにやったかな。…ああ、あった。」


やがて目当てのものを見つけたのか先生は体を起こし、掌に収まるほどの球体をヴェーダに向け差し出した。


「これは?」


いきなり訳の分からないものを差し出されたヴェーダは不思議そうな顔をしてそれを見ている。


「それは魔水晶よ、手をかざして集中してみて。その人の持つ魔力量に応じて色を変えるわ。」


「はは、昔を思い出すな。君のは深みのある実に美しい翡翠色だった。…それが今はどうしてこうなってしまったのか。」


先生は昔を懐かしむようこちらを見ながら付け加えた。後半のセリフには嘆きのニュアンスも含まれていたように思うが余計なお世話だ。


「まあいいじゃないですか。さあヴェーダ、水晶に手をかざして集中してみて。」


私は話をそらすように彼の方を見ていった。


「ああ。」


ヴェーダは魔水晶に手をかざした。しばらくの間試行錯誤していたようだが何も起こらない。

うーん、予想が外れたのだろうか?


「…お?」


そんな風に思っていたら何かが起こったようだ。先生が何かに気が付いたように声を上げた。少しの後、私も異変に気が付いた。


「何かしら。」


魔水晶の中で何かが揺らめいている。空気の流れのような、無色透明の何かが生まれている。…なんだろうか?気になって顔を近づけようとする。だが次の瞬間、


「うわっ!」

「きゃぁ!」


ガラスの砕けるような音をさせ、私の顔を何かが掠めた。頬が薄く切れじんわりと血が滲んでいる。どうやら魔水晶が砕けたらしい。


「な、何が起きたの?」


困惑する私と先生をよそにヴェーダは涼しい顔をしていた。


「あの水晶が砕けたみたいだな。すまん。」


「それは見れば分かるけれど、これってどういうことなんですか?魔水晶が砕けるなんて初めて見ましたけど…。」


先生に尋ねてみる。


「うーむ。私もこういった現象は見たことがないが、砕ける直前水晶の中には確かに何かが生じていた。さてどうしたものか…。」


先生はしばらく思案した後ヴェーダに告げた。


「…今、水晶に込めたのと同じようにしてみてくれるかい?」


「何もない所でか?」


「ああそうだ。万が一ということもあるので一応安全な場所でやってみるとしようか。」


私もヴェーダもその提案に了承し、先生の後に続いて実技の練習場へと向かった。


「ここで君を見かけない日はなかったね。」


「魔術は好きなので。」


練習場へと辿り着き、先生が声をかけてくる。なんだか妙に懐かしい。練習場は広さくらいしか取り柄のない空間だが、学生時代はここに入り浸り魔術の練習に明け暮れていた。ここならば何か起きたとしても大丈夫だろう。幸いにして今は私たち以外に誰もいないため都合がいい。


「よし、じゃあ早速やってみようか。さて何が起こるかな。」


ヴェーダは頷き、左手を体の前に出した。手のひらを仰向けにして力を込めるそぶりを見せる。

すると…、

何かが砕けるような音がしたかと思った途端、目の前が真っ白になるほどの強い光が煌めき、体が地面を転がっていた。


「…はっ?」


空気を吐き出すような声にもならぬ声が口を吐いていた。何が起こったのか確かめようとする。少し離れたところでヴェーダが腰ほどまである長い黒髪を靡かせながら立っている。吹き飛ばされたのだと気づくのにさほど時間はかからなかった。


「く、」


なんとかして身を起こすと視界の隅に同じようにしているジル先生の姿が留まった。

どうやら先生も吹き飛ばされていたようだ。その際にどこか怪我をしたのだろう。治癒の魔術を自身にかけていた。


「…い、一体何が起こったのかしら。」


ヴェーダの下へと戻り何食わぬ顔で突っ立っているヴェーダに尋ねる。


「…いや、私にも何が何だか。」


同じようにこちらへと戻ってきた先生も目を白黒させている。


「爆発したみたいだな。」


私たちは不意のことになされるがままだったが爆風の間近にいたヴェーダには見えていたようだ。


「あ、あんた何が起こったのか分かったの?いえ、それよりもよく…爆発?したっていうのに無事だったわね。私たちは吹っ飛ばされたのに…。」


「無意識の内に加減したんじゃないか?自分が怪我しないように。」


「…そういうものなのかしら。」


なんだかしっくりこないが彼にも良く分かっていないのだろう。今は大事にならなかったことを喜ぼう。


「ふーむ、外でやって良かったよ。部屋の中だと大変なことになっていた。それから…、これからはもう少し力の加減を勉強した方が良いかもね。なんというかその…、記憶を失くした状態で使うものではないかもね。」


先生は若干引き気味にそう伝えた。よく見ると眼鏡の縁は歪み、ガラスにはひびが入っている。…怪我はないようだし、まあいいか。正直こんなことになるとは思っていなかった。もしかすると記憶を失う前は有名な魔術師だったのかもな。


「確かに使い方を思い出すまではそうしといた方が良さそうだな。何が起こるか分からんし。」


ヴェーダも納得したように口にする。自身の力を恐れた様子などはない。肝が据わりすぎじゃないだろうか?


「…力になれたかどうかは分からないが今日はもう帰りなさい。私の方でも色々と調べてみるから、…そうだな3日ほどしたらまたここを訪ねてくれ。」


先生はそう口にする。こんな風に力を制御できない状態では魔術を使えるとは言えないし、何か分かるまでは大人しくヴェーダの情報を集めておくしかなさそうだ。

私たちは先生に礼を言い、宿屋へと帰ることにした。

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