第2話 命名、ヴェーダ。

山の中で助けた彼を連れ山を下る。多少時間はかかったが見覚えのある場所まで戻ってくることが出来た。記憶喪失の彼も自身の状況が分かっているのかいないのか、取り乱した様子など微塵も感じさせずに黙って付いてきてくれていた。


「そろそろ人通りも出てくるわ。その腕は見つかると面倒な事になるかもしれないから隠しておきましょう。」


彼にそう告げ、あり合わせの布などを駆使して左腕を隠した。


「やっぱりあまりこういう腕の奴はいないのか?」


随分と調子を取り戻してきたらしく、受け答えも確かなものになっていた。それに意識を取り戻したての頃とは違い、眼差しも確かなものとなってきており、今では女性らしさではなく凛々しさを感じる。


「ええ。ただの義手としてもそんなものつけてる人はいないし、ましてや自由に動くなんてね。興味を持つ人もいるでしょうね。」


「そうか。」


「あ、もしかしたら、流れ星のせいかしら!」


冗談交じりにそんなことを言ってみる。


「流れ星?」


「ええ。あなたが倒れていた場所の近くに昨夜流れ星が落ちた気がしたのよ。もしかしたらその影響であなたの身に何かが起きたのかも?」


「ふーん。」


私としては中々に浪漫がある考察だと思うのだがどうやら彼には刺さらなかったらしい。もしかしたら怒ったのかも。表面に出さないだけでその内心は不安で一杯だという可能性もある。冗談にしても軽率だっただろうか?

そう思い横目で彼の表情を伺うが、特段気にした風もない。自分の身に起こったことだというのに関心がないのだろうか?まあ喚き散らされるよりはましではあるが。

そんなことを思いながら歩みを進めていると村へと出ることが出来た。どうやら私の村の隣にある村の近くに出たようだ。


「どう、見覚えはある?」


隣を歩く彼を見ながら聞いてみる。


「いや、全く。」


半ば予想通りではあったが、幾分か気落ちしてしまう。この村に彼を知る人が都合よくいればいいのだがそう上手くはいかないだろう。ここらはあまり人口も多くないため、彼のように目立つものがいれば噂位は耳に入っていたことだろう。


「あまり期待はできないけれど村の人にも話を聞いてみましょう。」


彼にそう告げると私は彼を連れ立ち外で農作業に勤しんでいる人に声をかけた。


「おじさん、この人に見覚えない?今日山で拾ったのだけど、記憶喪失みたいなの。」


「ん?いやーないな。悪いね。ここら辺の人じゃないんじゃないか?見覚えはないな。」


麦わら帽子を被ったおじさんはくわを振る手を止め、こちらに応えてくれる。


「そう。ありがとう!」


お礼を告げて他の人を探す。予想はしていたがやはり難航しそうだ。

私の想定は当たっており、それからも幾人か当たってみたが彼を知る者はいなかった。村を見て回っている中で彼の記憶が戻るかもとも考えたのだが、やはりそう上手くはいかないらしい。


「ちっとも見覚えはない?」


散々村を見て回ってキョロキョロと辺りを見回しながら隣を歩く彼に聞いてみるがやはり見覚えなどないという。


「うーん、ここらじゃあなたみたいな人見たことないし、これはかなり難儀しそうね。どうしようかしら。」


何故彼があんな所にいたのかは分からないがまっとうな手段では彼の素性は分かりそうにない。そもそもこんな外部から訪れるものなど数えるほどしかいないような村々に彼を知る手掛かりがあるようには思えない。


「それにしても、自分のことが何もわからないなんて大変ね。」


「どうかな、余り実感はない。もしかしたら大分楽観的な性格だったのかもな。」


「きっとそうね。私だったらもっと取り乱してるかもしれないわ。でも記憶を失くした時の仮定なんて無意味か。」


良い方法はないかと頭を捻る。だが唸ってみても思考は堂々巡りで状況を打開するような妙案は出てこない。


「よし、仕方ない。」


そうして私は一つの決断をした。


「ウケミの町へ行きましょう。」


「ウケミ?」


「ええ。そうよ。ここから3日ほど行ったところにあるのだけれど、ここいらじゃ随分と大きな町よ。人の流れもこことは比べ物にならないし、あなたの事も何か分かるかもしれないわ。それにもし何も分からなかったとしても大きな町だし、職にはありつけるはずよ。」


少し薄情な気がしないでもないがここまで面倒を見てあげれば十分だろう。幸いにして彼はかなりタフな性格のようだし、見知らぬ土地でもなんとかやっていけるだろう。


「そうか、異存はないよ。というか悪いな。そんなに面倒見てもらって。」


飄々とした様子で彼は告げる。悲しんだ様子はない。自分の事だという実感があるのかどうか少々不安にならないでもない。


「いえ。気にしなくていいわ。どうせ家に居てもやることないしね。」


あの流星を見たのも何かの縁だったのだろう。無為に日々を過ごすよりも誰かの役に立つ方がいくらか気がまぎれるというものだ。


「じゃあ、早速向かいましょう。今から行けば日が暮れるまでには宿のある町に着くわ。それにしても名前がないのは不便ね。なんか適当に名前をつけましょうよ!思い出すまでの繋ぎとしてさ。」


「そうだな。ならこの世界に沿ったものをつけようか。ちなみにお前はなんて言うんだ?」


「あたし?そう言えば名乗ってなかったかしら。私はエルハーベンよ。改めてよろしくね。」


そう言い私は彼に手を差し出す。


「へー、いい名前だな。じゃあヴェーダだ。ひとまずそう名乗っておく。」


彼、もとい、ヴェーダはそう告げ私の手を取る。


「かっこいい名前じゃない。由来とかあるの?」


「いや、なんだか頭に浮かんできたんだ。だが妙にしっくりくる。案外ホントの名前なのかもな」


「そうだといいわね。改めてよろしく、ヴェーダ。」


彼の手に軽く力を込める。これからどうなるかは分からないがこの性格であれば心配はいらないだろう。



ヴェーダと出会ってから3日程が経った。ウケミの町への道程は順調そのものだった。結界に守られた街道を歩いているのだから当然と言えばその通りなのだが、魔物に襲われるなどといったこともなく、三日目、傾きかける前には目的地へと辿り着くことが出来ていた。


「着いたわ。ここがウケミの町よ。」


町の門をくぐるとすぐに往来を行く人々の姿が目に入る。通りの傍らには多くの建物が立ち並び人の営みを感じさせる。


「へー、こりゃ随分と活気づいてるな。」


視線の先には多くの店が並んだ通りがある。どの店もその店先では店主が客を呼び込んでおり、時折往来を行く人が足を止め、四方山話に花を咲かせている様子が伺える。


「ええ、ここは北の主要都市の一つだからね。物流も活気もそこいらの村の比じゃないわ。それにね、世界に数えるほどしかない魔術を教える学校があるの。」


何を隠そう私の卒業した魔法学園もこの町にあるのだ。ここを離れてからそれほど時は経っていないのだがなんだかとても懐かしく感じる。


「ここに来るまでにヴェーダのことについて分からなかったのは残念だけれど、ここなら何か分かるでしょう。この町なら私も伝手があるし分からなかったとしてもなんとかなるわ。」


「そうか、何から何まで悪いな。」


「良いのよ。気にしないで。私も久しぶりにここに来られてよかったし。せっかくだしあなたのことについて調べる前に町を見て回りましょう。ここでしか見られないもの、食べられないもの、たくさんあるわ!」


ヴェーダの手を引き往来の中へと紛れていく。青春を過ごした地に戻ってきたことで少々舞い上がっているのかもしれない。



ヴェーダと私はウケミの町の大通りを買い食いしながら見て回っていた。


「どう?これおいしいでしょ?」


そう言う私が加えているのは串に刺した肉に衣を纏わせ油で揚げたものだ。


「ああ。味付けと衣の感触がマッチしてて旨いな。」


「そうでしょ!そうでしょ!ここは競争が激しいからおいしいものがたくさんあるのよ!手軽にこんなものが食べられるなんて本当に便利だわ。」


ヴェーダの同意を得られた私は少々得意げになりながら食べ物の解説をする。長く過ごした町の事なので故郷を褒められたようになんだか鼻が高くなる。


そんな風に食べ歩きをしながら町を見て回っているとどこからか呼ばれたような気がした。


「ん?」


「どうかしたか?」


ヴェーダが不思議そうにしてこちらに問いかけてくる。


「いや、なんだか呼ばれたような気がしない?」


辺りを見回してみる。


すると建物と建物の間、通りの喧騒とは離れた細い路地に露店を構える目深に黒いフードを被った人物と目が合った。


「占い師かしら?」


どうやら呼んでいたのは露天商のようだ。机の上には数珠の巻かれた干からびた腕のような、木の根のようななんだか良く分からない呪い道具のようなものを置いている。異質であるが、私たちの他に気に留めるものはいないようであり他に客はいない。


「行ってみましょうか。」


不思議と興味を惹かれ私は露天商の方へと足を向けていた。ヴェーダも異存はないようで私の後をついてくる。


「…占おう。」


露天商の前に着くと目深にかぶったフードの奥からしわがれた声がした。


「占いね。私はそういうのあまり信じてないんだけど、ものは試しかしら?ヴェーダ、あなた占ってもらってみたら?もしかしたら何か分かるかもよ。」


「いや俺もそういうのはあまり信じてないな。」


「…手を出せ。」


こちらの話を聞いていないのか、はたまた痴呆が進んでいるのか、老婆はこちらの様子などお構いなしに口にする。


「まあいいじゃない。」


渋るヴェーダを無理やり前に押し出す。面倒そうではあるが彼も了承してくれたらしい。


「…左手を。」


老婆が囁く。出せということだろう。


「婆さん、左手は怪我してるんだ。右手でいいか。」


ヴェーダはそう言い右手を差し出した。


「…まあ、良い。」


老婆はそう言ってヴェーダの右手を取り、食い入るように見つめていた。1分近く黙ってみていたが、老婆が何も言わないので不審に思って話しかけようとする。すると、老婆がそれを遮るようにして口を開いた。


「…おかしい。」


「え?」


私は思わず問い返してしまっていた。一分近く黙っていたというのにようやく発した言葉がそれか。だがそんな事に構わず老婆は続ける。


「…お前は役目を終えておる。生者のものではなく、さりとて死人でもない。魂のない抜け殻と同じ…。」


…言っていることの意味が分からない。いきなり占いをさせろとせがんでおきながら客にそのような訳の分からないことを言うとは…。ボケているのだろうか?


「随分な言いようだな。客商売とは思えない。」


だがヴェーダは占い師の訳の分からない言葉に気を悪くした風もなさそうに笑う。


「わしはこの聖邪の手に従い、この地へときた。それが斯様なものを目にすることになろうとは…。おぬしは何じゃ?」


老婆は机の上に置いていた枯れ木のような呪い道具に指を這わせこちらへと問いかけてくる。


「さあね、記憶がないんだ。気づけば山奥で倒れててな、こいつに助けてもらった。他は知らん。」


ヴェーダはそう言い、私を指し示す。正直言って老婆のいうことは胡散臭いことこの上ない。この上ないが、行きずりの人物だからこそ尋ねられることもある。それにこの老婆はどこか普通ではない。怪しいがどこか抗いがたい魔力を持っているような気がする。


「ねえ、左手も見せてみたら?」


「ん?ああ、まあそうだな。」


私の意図を理解したのか、それとも彼もこの老婆に何か不思議なものを感じていたのか、左腕に巻いていた布をほどき老婆に左手を差し出した。


「これは…、」


老婆は何か宝物でも扱うかのように恐る恐るといった風でヴェーダの手を取り、食い入るように見つめた。


「これは…、理の抜け殻?…しかし、何かが欠けておる。いや、そもそもが歪な…。」


老婆はヴェーダの腕に指を這わせ、訳の分からないことを呟いていた。だが、しばらくそうしているとあっさり手を離した。


「どうだ?何か分かったか。」


手を引っ込め、布を左腕に巻きなおしたヴェーダが老婆に尋ねる。


「すまぬ。儂には何もわからぬ。」


まあ、老婆の反応からあらかた予想出来ていたことではあるが、あのような訳の分からないことを言われるとは思ってもみなかった。こうなってしまうと余計に謎が深まったようにも感じる。こんなことならば見てもらわない方が良かったかもしれない。


「そうか。まあいいさ。見てくれてありがとうな。」


だがヴェーダは落胆した風など微塵も感じさせない。確かに占いを信じていないと言っていたし彼にとっては老婆からもたらされた情報などどうでもよかったのかもしれない。


「…ついでじゃ、お前も出せ?」


老婆が、思い出したようにこちらに向き告げてくる。さっきの老婆の様子といい、正直言って気味が悪いのだが、ヴェーダに勧めた手前、私だけ断るというのもなんだか後ろめたい。


「…うーん、分かったわ。はい。」


暫くの逡巡の後思い切って左手を老婆に差し出す。その白く濁った瞳は見えているのかいないのか。私の手を取り、食い入るように眺めだした。


「…は、は、これは面白い。」


老婆は私の手にこれでもかというほど顔を近づけている。興奮しているのか老婆の吐息が吹きかかってなんだか気持ちが悪い。早く終わらせてほしいものだ。


「…お前の行く道は理の往く道、大きな可能性を秘めておる。犠牲と引き換えに世界は原初の理を紡ぐやもな…。」


老婆は興奮のためか震える声で言い終わると、名残惜しそうに私の手から離れていく。


「そ、そう。ちなみにどういう意味?」


こんな訳の分からない占いなどどうでも良いのだが、なんだかとても大仰なことを言っていた気がする。内容にそれほど興味はないが、せっかくなので一応尋ねてみる。


「…お前の選択はこの世界に新しい理を啓く。聖教の敷いた運命すら超えるほどの可な…。最果てにそれはある。世界の果てすら越えた先に…。」


「は?」


世界の果てを越える?何を訳の分からないことを言っているんだろうか?やはり尋ねる必要などなかった。一体だれがこのような占い師の世迷言など信じるというのか。


「ねぇ、」


最後に一言文句を言ってやろうとするが、次の瞬間には老婆は陽炎の如くその姿を空気に溶かすようにして私たちの前から姿を消していた。露店も、あの不気味な枯れ木のような呪い道具も跡形もない。


「夢でも見ていたのかしら。」


狐につままれた気分でヴェーダを見るが、どうでも良さそうに首をかしげるだけだった。


「なあ、聖教ってなんだ?」


ヴェーダがこちらに向かい問を発する。老婆が目の前から姿を消したことなど対して気にした風もない。そう言えばヴェーダは記憶喪失と言っていたがまさか、この世界の常識すらも忘れてしまっているのか…。


「そのことも忘れちゃってるんだ。聖教っていうのは実質的にこの世界を支配している宗教よ。私達人間は聖教の敷いた結界の上でしか生きていけないのよ。」


「…?どういうことだ?」


ヴェーダは頭に疑問符を浮かべている。どうやら本格的に重症のようだ。


「あんたを襲ってた魔物がいたでしょ?結界の外にはあんな風な魔物がいるの。とはいっても結界から大分はなれないとそんなに強い魔物は現れないんだけどね。」


「魔物?」


だがヴェーダの表情は不思議そうなままだ。もしかすると魔物の事すら忘れているのだろうか。


「あんた魔物のことも覚えてないの?嘘でしょう?襲われてたのに、…参ったわね。」


本当に何もかもをも忘れてしまっているようだ。記憶が戻ってくれるのが一番だが、あまり期待はできそうにない。彼の職を探すにしても基本的なことくらいは叩き込んでおかなければならないようだ。


「とりあえず宿でも探しましょうか。そろそろいい時間だし。」


面倒事は後回しにしてしまおう。占い師の言うことは良く分からないし、ヴェーダは一般常識も忘れてしまっている。なんだか頭が痛くなってきた。



その日はウケミの町の宿屋に泊まり、翌日から本格的にヴェーダの素性探しと職探しに本腰を入れることにした。この町で宿屋を使った経験はほとんどないのだが、人の流れも多いため宿屋は簡単に見つかり、値段やサービスもここに来るまでのものより大分良いものだった。やはり競合他社があるとそういうものも発展するようだ。


眠りにつく前、宿屋のベッドの上で今日あったことを思い返す。あの占い師の言葉からヴェーダのことを思い浮かべる。思えば出会った時から彼は謎に満ちていた。初めて見たのは流星を追ってきたとき、死んでるように見えたのに生きていたし、左腕は材質不明の何かがついてるし、記憶もないのだという。あんな何もない山奥で倒れていたことと言い、もしかすると彼は流星とともに落ちてきたこの世界の外側からやってきた人物なのかもしれない。


「…なんてね。」


そう呟き、馬鹿げた思考を終わらせる。こんなくだらない妄想をするよりもとっとと寝てしまおう。もう夜も大分更けている。明日になればヴェーダのことが何か進展することを願い、私は瞳を閉じて眠りについた。

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