生を綴る
柊三冬
第1話
「……これでいいかな」
「保存」のボタンをタップして、手に持つスマホから自身の膝へと視線を移動させる。
左手に持ち替えたスマホをベンチに置き、自由な右手で私の膝を枕にして眠っている者の肩を揺すった。
「…………ん………………なに……」
「できたよ」
寝起きの弱々しい声を出すその者の目は開いておらず、二度寝しようと私の膝に顔を埋める。
「寒いからココア買いたいんだけど。早くしないと置いてくよ」
「それはやだ」
起きないのでちょっとした脅し文句をひとつ言うと、顔をこちらに向けて拗ねたような態度をする。
風がひとつ吹いて、公園に植わっている木々を揺らした。葉と葉が掠れる心地よい音が周囲を満たす。鬱蒼としたこの場にいるのは私とこの者の2人だけ。時間は優に0時を回っていた。
のっそりと起き上がったかと思えば、急に体をこちらに向けて頬に手を添えられる。そのまま唇に柔らかくて温かいものを押し付けられると、目の前に迫った赤い双眸が満足気に目を細めた。
10数秒程の静寂が流れ、唇が冷たい外気に晒される。
「これでよし」
してやったと言わんばかりの笑みを浮かべてこちらを見据えるのは、周囲の目を引く端正な顔立ちをした青年だ。
普通とはかけ離れている出会いをし、普通とはかけ離れている関係を続けて今日で1ヶ月。今日も夜中の公園で彼にスマホを手渡した。
「これで終わりだよ。だから早く───」
「じゃあ番外編読みたい。あと短編小説も」
私の思考を見透かして、言い終える前に彼が口を開いた。これも何度目のことやら。
筆者と読者。作家とファン。従者と主。
そして───
「死神が人を生かしてどうすんの」
人間と死神。
趣味で小説を書いている私の、熱狂的なファン第1号は死神の彼だった。
頬に添えられていた手が離れていき、左手に持っていたスマホが奪い取られて代わりに彼の手が収まった。指を絡めながら私のスマホに綴られた小説を読んでいる彼は、どこからどう見てもただの眉目秀麗な青年だ。
彼の手をそのまま引いて、公園の外に置かれている自動販売機で100円の缶のココアを買う。冷えた右手で温かい缶を包み込み、幸せを堪能してからココアを1度口にした。今度は右手だけでなく体の内側を温めてくれる。
缶を持ちつつズレたマフラーを戻していると、不意に右手から温もりが消えさった。
「美味しくてあったかい……」
「死神なのに寒いのね」
「残念ながら死神でも寒いものは寒いんです」
数十分前に日付が変わり師走となった今日。太陽が見えない真夜中は一段と冷え込む。
彼と出会ったのもこんな寒い日だった気がする。
私が通うきれいな大学の屋上で、鬼籍に名を残そうとした時に死神の彼と出会った。
「死んじゃうの? ならそのスマホちょうだい」
「…………は……………?」
私が死ぬことよりスマホが壊れることを懸念する彼は、私に向かって手を差し出した。困惑していたけどどうせ死ぬんだからと私のスマホを彼に手渡すと、そのまま手首を掴まれて彼の胸元に収まった。
「え、ちょ、な───」
「連載中なのに書き手が消えたら困るでしょ。読み終えるまで待ってて」
素知らぬ顔で熱心に小説を読む彼を見て、趣味で書いた小説を読まれるこそばゆさを覚える。ネット上に上げた私の小説には、読み手が1人もいなかった。だから彼が読者第1号で、唯一の私のファンである。
「続きは?」
「ない。連載中だけどそれで終わり。あと早く離してくれない?」
「離したら死ぬでしょ?」
「……別にいいじゃん。私の勝手でしょ」
顔を伏せて覇気のない声で言葉を返す。
私をいじめる奴らのせいで死ぬのは癪だが、生きるぐらいなら死んでしまった方が楽な気がした。
彼から伝わる体温に安心する心地よさを覚える。
「俺、死神なんだよね。本当なら君の魂が欲しいんだけど、これ読みたいから死なせない」
「しに……がみ…………?」
頭がおかしいのかと思った。もしかしたら、私をいじめる奴らが手を組んで、私を陥れようとしているのかもしれないとも思った。
だけど、口から出たのはそんな言葉ではなかった。
「……なら……それが。その小説が完結したら、私を殺してくれる?」
「いいよ。けど俺が読みたいって言ったら書いてね」
「……分かった…………」
大好きな小説を書き続ける間が私の寿命で、それが終われば私はこの世から去る。
いつ殺されてもおかしくないのに、皮肉なことに19年の人生の中で最も充実して楽しかった。
馬鹿にされたばかりの小説を読んでくれる彼は、死神だけど私の大切な読者で。
死神のくせに私に甘えてくる彼から逃れようとは思えなくて。
冷たい風がひとつ吹き、もう一度、私の唇に柔らかくて温かい彼のそれが重なった。添えられた手から感じる温もりは、あの時から変わらない。
舌を絡め取られる私の両耳には、彼が送ってくれた三本の黄色いガーベラのピアスが揺れていた。
生を綴る 柊三冬 @3huyu
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