第4話 記憶飛んで嘘思い込み、検証無し。恥シラズ。

人には忘れたフリして記憶の底の方へ沈め累積させているプチトラウマがいくつも有るはずだ。のひとつに「カラマゾフ兄弟の設問」と名付けてもいいモノがある。一九世紀のロシアとトルコの戦争で、実際に起こったとされる胸糞が悪くなる数多くの残虐事件を題材にして、設問され一応答え的のものが書かれている。

設問とは戦争中、乳飲み子を母親の胸から奪い取って、空中に投げ上げて銃剣で殺すという自由を、神は人間にあたえているか、あたえていないかだ。小説内での答えは、神は人間にそういう自由をあたえている、です。ただし、真性の信者は、そういうことはしないという付帯条件を付けて。

まず、神が与えたとする確証は証明可能なのか?

余りにも長い間沈黙している神の真意を知ることができるのか?もし、どこから観ても欠陥人間(人殺しを嬉々とするモノ)なら創造主は責任を取って破棄するべきだし。被害者には賠償をと思うのだが。

一般論として真の信者?(一部は人権派と呼称されている)なら其のような非人道的行為には走らないであろう?。でその行為者サイコパスに罰を下すには、地獄行きの脅しか「悔い改め」の暗示ぐらいしか無いのか。


この設問には前提として創造主と被創造者の関係が覆いかぶさっている。(創造主としての存在証明は各各の微存在の僕らの脳に有ると言われても)。

絶対的主体としての神、其の神が責任放棄するので、神によって作り出された小さい小さい存在に在るか無いか解らない良心に判断を委ねる構図が出来上がってしまった。

では、神というファクターを外して最初から良心に委ね法治を目指すのが最良なのか?

神を外しても設問の形式が神問答の形を継承しているのなら意味がないのでは?


循環迷路。

ドフトエフスキーはこの問題にどっぷりだったが、出口がないのは最初から気付いていたはずだ。

逃口は博打場の瞬間瞬間のみ。


新聞を毎朝丹念に読むことの意味

何が書かれていようと

高みの見物、経緯にコメントし放題。

一般的に損得関係には入らない。

紙面に目を通す事によって

全能の地位を得られた感覚を得る。

十全たるストーカーになる。



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