第3話 夏は終わってないよ。
ちょっと個人的な理由で古典ギリシャ期にセミ(蝉)さん達は如何思われてたのかなって?
で暇に任せて調べてみた。
貧しい年金者が贅沢に使えるモノは暇なのだが結構「あっち向いて」ができないシガラミのせいで暇が細切れ状態です。
此の様に話の中にスイスイと愚痴が入ってくるのが老人病。で「もとい!」。
身近なところでイソップ物語の「蟻とキリギリス」は本来は蟻と蝉の物語、地中海以北では蝉さん知名度が低い為とかナントカで現在の姿に。イソップのIndex,
Perry 373. The Cicada and the Ant。
とか、変身譚「セミになったトロイアの王子ティトノスと曙の女神エオス」等。
プラトンさんもパイドロスの中でセミの鳴き声の裏意味について?
The cicada-love connection is taken to another symbolic level by Plato. The dialogue Phaedrus, a back and forth conversation about, among other topics, erotic love and how to use rhetoric, invokes the bulging-eyed bugs three times. In it, Socrates and Phaedrus walk to a tree that has anti-aphrodisiac effects, and Socrates can’t help but remark how, “By Hera”, the place they chose to sit was beautiful:
“Feel the freshness of the air; how pretty and pleasant it is; how it echoes with the summery, sweet song of the cicadas’ chorus!”
僕としては蝉コーラスについてソクラテスさんと同意見で至極満足なんです。
アノ時代にトマトが旧大陸に伝播してなかったのが悔やまれます。トマトの茎の爆発寸前の青青した匂いがエゴエロスをたかめる現象についてもソクラテス先生と同意見に成ったはず。
何故僕等は物語るのが好きなんだろう。太古の時より焚き火を囲みながらあのアルタミラの壁画は文字が創出される前の物語の記憶のスィッチだったのだろう。
何処から物語を始めるのかを決めるだけで日々逡巡し気がつけばクレナイ色に染まった人生の直中にいる自分を見出している。
今更アタフタしても事態は好転すると思われないので
死人には墓穴も必要ない。生き残った者が文化コードの維持の為に掘るのである。
ここからは多少?ぶっ飛びします。
歴史が東方へ動き劇団も去り、残されたレンガ作りの建築物は、旅人フランツ ラジヴィルが帰ってきて光を与える時を待っていた。
その昔、ギリシャの小さな島々では一本のオリーブの老木が複時の遺産分けによって複数の所有者がいた。
ヴィルヘルムスハーフェンからもう少し西に行ったノルデンの港からカフカと叔父さんは灰色の海に浮かぶ島に渡って2週間休暇を過ごした。
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