なんの瑕疵もなく幸せだけ賜りたいなんざ、何様のつもりだ

 その日の内に馬を走らせた彩光あやみつは、に火が入った空の下で鴇城に乗り込んだ。

 日頃から顔見知りの門番ははっきりとした身分と官位で黙らせた。

「おいこら、若造! どこにいんだ、空丸!」

「親方、やってる事が賊と一緒なんですけど、止めてくれません? 幾ら地元で顔見知りしかいないとは言っても恥ずかしいんですけど」

 一国の城で元服を疾うの昔に済ませた若君を幼名で怒鳴りつけるのを、恥ずかしいで済ませる辺り、彩雲あやくももいい性格をしている。

 ちなみに、家来衆達は慣れた様子で帰り支度をそのまま進めていた。

 城の漆喰も震わせる怒号を聞きつけて、奥からどたばたと足音が一つ近付いて来る。

 息を切らして行恒ゆきつねが姿を見せる。

「如何しました、彩光殿!?」

「烏賊がも蛸がもあるか!」

 彩光は顎をしゃくって適当な部屋に行恒を促した。

 どっちが城主なんだと言いたくなる態度だが、残念ながら城主である恒正つねまさは屋敷で臥せっていて不在だった。

 行恒は幼い頃にはもう帛屋きぬや一門の凄腕として名を馳せていた彩光に逆らえず、言われるままに部屋に入った。

 上座も下座もなく、畳の上に三人が座る。

「ごちゃごちゃと面倒な前置きはいらねぇ。で、うちの末弟子の仕事ぶりはどうだったよ」

 いの一番に全てお見通しだと突き付けられて、行恒は顔を青くした。

 彩光は立膝になるついでに足で畳を踏み鳴らす。

「だいたいだなぁ、手前ぇで想い人も迎えられねぇ癖に、親心で取り付けられた縁談に文句並べるたぁどういう了見だぁ、ぁあ! そもそもが浚ってでも囲えや、タマついてんのか、こら!」

「いや、一国の跡取りが隣の藩の姫攫うとか大問題でお家取り潰しになりかねませんが」

「物の例えだ、茶化すな!」

 茶化したくなるような言い方をする癖にと、彩雲は疲れたように溜め息を吐いた。

 しかし口の悪い職人に怒鳴り散らされるのに慣れていない若君はすっかり委縮して既に土下座していた。

「し、しかしながら! しかしながら、某とて姫が物のようにやり取りされるは我慢がなりませんで」

「んなもん、お前ぇの腕ん中に包んでから喧しい奴ら黙らせて姫の心をほぐせばいいだろうが! うちの小娘だってそれくらい分かってたぞ、この唐変木!」

 一を訴えれば声量で百倍にして返されて圧し潰される。

 彩光はずいと行恒に迫り顔を上げさせる。

「なんの瑕疵もなく幸せだけ賜りたいなんざ、何様のつもりだ。艱難を功徳に変えるのが変毒為薬だろうが、お前は朝晩何を仏に誓ってんだ」

 きっぱりと引導を渡されて、行恒に言い返せるような度胸はない。

 彩光はたっぷりと三拍の呼吸の間、行恒に告げた説教が染み込むのを待ってから口を開く。

「だいたいそんなお前さんに嫁いで晶姫あきひめが幸せになれると本気で思ってんのか」

 はん、と態と彩光は吐き捨てた。

 その言葉を聞いた途端に行恒は畳を手で打ち体を持ち上げる。

「晶姫は私が幸せにします! 私こそが誰よりも姫を幸せにすると誓って申し上げる! 我の他には大君おおきみとて姫を幸せにする男はいないと仏に誓い、今此処で、彩光にも宣言致す!」

 一切の畏れなく行恒は吼えた。

 彩光の口許が笑みに持ち上げられる。

「おう、よく言った。よし、それ今すぐに文に書け。んでもって晶姫に送れ」

「え、いや、それはあの……」

「ぁあん? さっき言い切ったのは口だけか、こら。書け」

「分かりました!」

 この期に及んで晶姫に本音を打ち明けるのを躊躇う行恒だったが、彩光が容赦無く凄めば情けなく自棄になって声を張り上げた。

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