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暮張メッセ三階、スタッフの休憩所のひとつとして提供されているスペースはガランとしていた。やけに数が多い自販機の稼働音が耳につくほど静かだ。時刻は十三時の少し前。大抵のスタッフが昼休憩を終えて、午後のイベントのために忙しくなる時間帯。
しかし実務のほとんどを日雇いのスタッフに任せている男は、誰もいないこの場所で、会場を見下ろせる窓際の席についてゆっくりとノートパソコンを操作していた。
駅前のコーヒー店で買ったアメリカンは既に冷め切っている。気は進まないが自販機で買い足すかと顔を上げたそのとき、休憩スペースの扉が開いた。咄嗟に、ノートパソコンを半分ほど閉じる。
アストラ・クロニクル三代目プロデューサー、久城浬だ。
「お疲れ様です、井坂さん」
「あぁ、お疲れ久城くん。今から休憩?」
男──井坂陽斗は不思議に思った。
スタッフの休憩所は二階にもある。今の時間じゃ椅子が空いていないということもなかろうに、わざわざ三階まで来たのだろうか。
「えぇ。あまり時間は取れませんが」
久城は疲れた顔で言って、井坂の向かい側に座った。
「大変だね。でも、アスクロのブースも調子が良いみたいで僕も嬉しいよ」
「はい」
短いやりとりだけで、会話は続かなかった。妙に重い沈黙に井坂は少し動揺する。久城はもともと愛想を振りまくタイプではないが、それにしても、いつもと様子が違う気がする。
「えっと、何も食べないのかい? それとももう食べてきたとか?」
「あんまり腹減ってないので」
久城は窓から会場を見下ろしながら答えた。視線の先には、人が徐々に集まり始めているアスクロブースがある。
「そ、そう? でも、少しは何か食べた方が良いんじゃないかな。これから忙しくなりそうだし──……」
「井坂さん、何でアスクロのシステムをいじったりしたんですか?」
それは、あまりに唐突な〝こうげき〟だった。
井坂は飲みかけたコーヒーの残りを危うくこぼしかける。
「わっ……え、──えっ!?」
「……………………」
久城は視線を会場からこちらに戻し、じっと井坂の顔を観察していた。まるで、井坂が弱点を見せるその瞬間を狙っているかのように。
井坂は必死に口角をあげて笑顔を作った。
「ど、どうしたの久城くん。システムをいじるって、何のこと?」
「証拠はあります。そのパソコンのデータ、抜き取らせてもらいましたから」
「え、あ……?」
「観念して、理由を教えてもらえますか。俺も大ごとにしたくないので」
静寂が訪れる。
まるで剣を突きつけられているかのような気分になりながら、井坂は息を詰める。そして数秒後、ため込んだものを一気に吐き出し、おもむろに問いかけた。
「……あのノラ猫を使ったのかい?」
久城が不快そうに顔を歪めるのを見て、井坂はいつもの人の良い笑みを浮かべる。
まだだ。まだ、戦いは終わっていない。
こんなことで、僕が培ってきたものは決してなくならない。
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