会議室の片付けを終えて廊下へ出ると、今度はワクワクを抑えきれない戸部とエンカウントしてしまった。ダンジョンの出口で確定バトルとは、性格の悪いレベルデザインだ。


「よお聞いたぜ、アスクロが不具――」


 しかし、戸部の笑顔は一瞬にして浬の視界から消えた。代わりに現れたのは不安そうに眉根を寄せる天宮だった。


「久城さん大丈夫でしたか?!」


「……いや、それより天宮、今……」


「へ? ……ぬわーーーーーっ!」


 久しぶりの悲鳴と共に天宮が飛び退く。床では、戸部が突っ伏したまま震えていた。


「も、もしかして私、タベさんを踏んじゃいましたか?!」


「と……戸部、だ!」


 磨きたての革靴が脱げているところを見ると、どうも天宮が戸部の踵を踏んづけたらしい。


 戸部は盛大にすっ転んだことでプライドが傷ついたのか、真っ赤になった鼻を手で隠しながら「気を付けろよ!」と捨て台詞を吐いて踵を返した。そんな戸部に、天宮は再度頭を下げる。


「すみませんでした、ナベさん!」


「てめぇわざと言ってんだろッ」


 薄ら涙目で叫んでから、戸部はBダッシュで廊下の奥へ消えていった。


「あっ、久城さん、報告会お疲れ様でした」


「切り替えが早いな?!」


「だって、気になっちゃって……あと、ノラちゃんのことも早く話したくて」


「ノラちゃん?」


「雪平さんの下の名前です」


 社員のフルネームは会社の管理システムにも登録されているし、特に雪平の名前は印象的だったので知ってはいた。浬が驚いたのは、天宮と雪平がファーストネームで呼び合う仲になっていたことだ。当然、良いことなのだが――天宮と雪平が仲良くしていると、どこか落ち着かない気持ちになるのは何故だろうか。


「ノラちゃん、食事も休憩も取らずにずっと仕事してて……さっき、ちょっと強引に休憩室へ連れて行ったんです。私は、飲み物を買ってくるって言って出て来たんですけど」


 そう話す天宮の左腕には、飲み物の缶をふたつ抱えられている。


「そうか、ありがとう。午前中に話してた決裁は俺が進めておくから、暫く様子を見てやってくれ。じゃ……」


「あっ、ま、待って!」


 立ち去ろうとする浬の手を天宮が掴んだ。華奢な指の感触と体温の高さに驚いて振り返る。咄嗟の行動に彼女自身もハッとしたように手を引っ込め、少しだけ視線を泳がせた。


「その……逆でお願いします」


 言葉の意味をすぐに理解出来ず、浬は目を白黒させる。


「逆?」


「久城さんがノラちゃんと一緒にいてあげてください」


「俺がノラちゃん……じゃない、雪平と? 何で。天宮、仲良いんだろ?」


「それが最良の選択肢だからです。飲み物は買ってきましたので、これをどうぞ!」


 訳が分からないまま、温かい缶をふたつ渡された。コーヒーと……おしるこミルクサワー?


「待て待て待て、全く説明になってない。あとおしるこミルクサワーって何だ?! まずそう!」


「ノラちゃんは東倉庫隣の休憩室にいます。よろしくお願いします、久城さん」


 ぺこっと頭を下げて、天宮は足早にアスクロチームの部屋へと戻っていく。ひとり残された浬は、その背中を黙って見送ることしか出来なかった。

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