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 空車のタクシーが何台か控えているが、眠ったままの女性をおぶってタクシーに乗り込むのは、かなり気が引ける。端から見れば事件の香りさえする光景だ。


 そんな浬の不安を読み取ったかのように、天宮が手を上げて言った。


「じゃあ、私も付き添いますっ!」


 願ってもない申し出に、浬はホッと胸を撫で下ろす。


「ありがとう。悪いけど頼めるか?」


「はい!」


 一連のやり取りを見ていた花里が、口元に手をあてて小さく笑う。その笑いの意図をくみ取れずにいると、黒木がぺこりと頭を下げた。


「じゃあ、私たちはこれで。……あ、でも、その前に」


 別れの挨拶をしたかと思えば、黒木は何故か改めて浬に向き直り、真剣な声音で話し始める。


「浬ちゃん、夏イベの見直しを入れるって話のとき、渋ってしまってごめんなさい。私の絵で、あんなに喜んでもらえたのは初めてで……頑張って良かったと思ったわ」


「あーっ、あたしも! 浬ちゃんや星七が頑張って企画を考えてくれてたのに、嫌な態度取っちゃってごめん!」


「ん?! い、いや、謝られるようなことじゃない」


 まさか謝られるとは思ってもおらず、浬はあたふたとしながら首を横に振った。


「急に言い出したことなのに、対応してくれて感謝してる。……花里も」


 少し距離を取っていた花里に、浬は目を向ける。


「いつも以上の作業を、厳しいスケジュールの中こなしてくれてありがとう」


「ふふ、どういたしまして」


 小首を傾げて微笑む花里を、駅方向から漏れる光がうっすらと照らした。


「でもみんな、あんまり頑張り過ぎないようにね」


 花里の言葉に、数人の「はーい」が被る。最後にそんな会話を交わしてから、祝賀会はようやく解散となった。



――――……



 宇佐見に教えてもらった駅に到着し、天宮とタクシーから下りる。雪平はまだ夢の中だ。


 タクシーの中で天宮と相談し、駅に着いても雪平が目覚めなかった場合はホテルの部屋を取ってそこで休ませることにした。ただのホテルではなく、天宮の実家が経営するAMAグループのホテルだ。幸いこの近くにあるらしく、天宮はこうなることを見越してついてきてくれたのだろうと思った。


「悪いな、天宮。ホテルの手配まで」


「ぜんぜん大丈夫ですよ!」


 スマホを片手で操作をしながら、天宮が笑顔で答える。


 駅から少し離れるだけで人通りはぐんと減り、申し訳程度の外灯が寂しく並ぶ夜道。二人分の足音が、やけに鮮明に聞こえた。


「雪平さん、大丈夫ですかね?」


「うーん、顔色は悪くないし、呼吸も乱れてないし……よく寝てるだけかと思うけど、心配だな。明日はよく休むように連絡を入れておこう」


 明日が休日で良かったと思いながら、よっこらせと雪平を背負い直す。小柄で華奢な雪平は驚くほど軽かったが、人をひとり背負って歩くのはなかなか骨が折れるものだ。


「……もしかして私、お邪魔でしたか?」


「ん? 邪魔って何の?」


 聞き返すと、天宮はおずおずとこちらを見上げ、小声で言った。


「送り狼ルートの邪魔です」


 今、飲み物を口に含んでいなくて良かったと心底思う。含んでいたら、間違いなく噴き出していただろう。


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