13



『――ごめんなさい』


 華やかなイルミネーションが眩しい季節。光坂市に数年ぶりの雪が降り、行き交う人々がみな色めき立っていたあの日の夜。


 初めて、彼女の涙を見た。


『ごめんなさい、久城くん。……私……が……』


 寒さで赤くなった頬を、つ、と滴がつたって、グレーのチェスターコートに染みこむ。白い吐息が、血色を失った唇から不規則に零れていた。


『――あ……』


 突然、大きな瞳が浬よりも遙か上、天を見上げた。そこに何かを見つけたように。あるいは、縋るように。


そしてそのまま、彼女はふらりと――


 ――――……






「…………――――!!」


 自分が何かを叫んだことだけは分かった。


(……あれ、いま俺、何て言った?)


 うとうとしながら自問自答するが、突如大ボリュームで鳴り響いた音によって思考は途切れた。枕元に置いたスマホからだ。


 朝の七時四十分。浬の一日は、某有名RPGのファンファーレから始まる。


 冷水で顔を洗い、黄色い鳥のキャラクターがデザインされたタオルの中で盛大な溜息を吐いた。内容はよく覚えていないが、嫌な夢を見た気がする。


(……昨晩の、死刑宣告のせいだな)


 タオルから顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。


 疲れた顔に、寝癖が付いた黒髪、目の下に浮かぶクマ。浬が目に見えて弱っているところを見せると、噂好きの社員達はすぐ囁き合うだろう。


『やっぱりアスクロ、サ終が近いんじゃない?』


 半分濡れたタオルを、洗濯機の中へ乱暴に放り込む。身支度を整える間もずっと、頭の中では長谷田課長の言葉が繰り返し再生されていた。






 ICカードにもなっている社員証をかざしてオフィスに入り、DIVINEディヴァインに登場するキャラクターたちの等身大パネルが立ち並ぶ廊下を歩いていると、今一番会いたくないといっても過言ではない男の声が浬を引き留めた。


「おー久城、アスクロ、いよいよサ終なんだって?」


 しかも、最悪の話題。今すぐ魔法で家に帰りたくなった。しかしここは屋内だ。てんじょうにあたまをぶつけてしまう。


「……戸部」


「あ、他のやつらに聞こえたらまずいか。悪い悪い!」


 全く悪びれずに笑うその男は、戸部淳也。浬や東とは同期の男で、今はDIVINEディヴァインチームのディレクターとして井坂の下で働いている。


 当初、井坂がDIVINEディヴァインのディレクターのひとりに指名したのは、アスクロチームで勉強をし始めたばかりの浬だった。人手不足だったとはいえ、社内一の敏腕プロデューサーが新入社員を引き抜こうとするなんてと、当時は妙な注目を浴びたものだ。


 しかし、浬はアスクロに残ることを選んだ。代わりに選ばれたのがこの戸部だ。そんな経緯のせいか、戸部は事あるごとに浬を目の敵にしている。


 ワックスを塗りたくった、雑なポリゴンで作られたかのような戸部の髪を見やりながら、浬は嫌々応じた。

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