『一騎当千・男らの意地・そして鉄板包み焼き』について

 2022年8月14日に、処女作を書いた。

 現実世界から乖離するほど恥ずかしくなるので、徹底的に現実的に書いた。

 同年8月20日には、なぜかファンタジーバトルを書いていた。

 夏休みも終わっていたというのに。


「大人になって小説に挑戦する人で、ファンタジーを書く人は珍しい」というツイートを見て、「書いたら褒められそうだし、書ける気がするし、書くか」とあっさり決めてしまった。現実的でないと照れるとか言ってたのはなんだったのだ。


 一作目『あの日の夜の白煙の』は、スプリットステップになったのだと思う。テニスでボールが飛んでくる時の「移動はせず、その場で跳ねることで、次の動きをスムーズにする」やつ。

 現実世界ものでぴょんと跳ねたら、次の一歩でファンタジー世界に駆け出すことに、驚くほど抵抗がなくなっていた。

「俺はすでに、小説を書いたことがある人なのだ」「結構読めると評価してもらえた人なのだ」という自認が、「えー、ファンタジー小説!? キモーイ! 下手くそなファンタジー小説書いて喜んでていいのは中学生までだよねー」という脳内嘲笑者を黙らせてくれたようだ。


 前作に反して、今作はがっちりとプロットが固まった上で書いた作品だ。モブが強者にすりつぶされ、徒労であったことすら判明して終わり。

「モブ 対 ヒーロー」の脳内のイメージは、「大根 対 おろし金」だった。隊列が進むのは、包囲網を狭めてるんじゃないんだよ。先っちょがおろされているだけなんだよ。おら、前に進みたくねぇよ。


 好きな言葉(多分、自分で考えた言葉だと思うのだが)に、「量産型の意地」というのがある。「主人公にはなれないが、作中世界では優秀な人を魅力的に見たい」という欲求だ。

 漫画『スプリガン』YAMA編のA級エージェント部隊であったり、『ウルトラマン』の科学特捜隊であったり、漫画版『機動警察パトレイバー』の第一小隊やAVS-98であったり。なので、名を付けなかった主人公くん一団には、最大限「善戦」してもらった。


 執筆上意識していた要素はいくつもある。もう一つ大きな要素が「自分が楽しめるレベルで、目一杯悪趣味にしてやろう」ということだった。

 ……ぶっちゃけ『オーバーロード』の影響がかなり大きい。アニメ放送中だし、放送開始に先だって原作も一巻から読み直したし。アレを見てしまうと、他作品の主人公の活躍を見ていても「次の瞬間出てきた圧倒的な悪役に、手もなく蹂躙・陵辱されてしまうのでは!??」と非常に精神衛生に悪い。

『くノ一ツバキの胸の内』アニメ最終回エピソードなんて、お気楽なテイストに反して、いつ化け物が美少女くノ一の虐殺を始めるのかと、冷や汗をかく気分で見る羽目になってしまった。

 ということで、蹂躙させていただきました。

 主人公たちの陣営は「正義」ですらなかったという悪趣味エンド。

 しかし、結果的に世界はマシな方に守られているのが、私の楽しめる範囲の悪趣味エンド。

「鉄板包み焼き」というタイトル、思い切り悪趣味に振ったつもりだったのだが、読者からの言及は特になかった。「ふーん」と受け止められるワードチョイスだったのか、何を指しているか気付かれていないのか。


 古今よくある描写だが、「作劇の都合で、非合理的に敵をナメているやられキャラ」が嫌いだ。『伊賀の影丸』とか、なんであんなに簡単に「ふっ、口ほどにもない」ってなるの!? 相手も強い忍者なんだから、せめて死体を確認してから油断しなさいよ! 必殺技を披露していい気になっている時にやられる率が高すぎる! 残心! 残心!

 反対に、登場人物が油断せず、ベストを尽くす形で面白くしてくれる作品は最高。

 ということで、今作では双方全力でぶつかってもらった。彼我の実力差は覚悟の上でベストを尽くし、必死に勝利を拾いにいってもらおうじゃないか。


 ファンタジー世界ではあるが、「リアリティ」には気を配った。

 個人的に、「レベル」や「ステータス」は「現実をモデル化して、有限選択肢のゲーム処理に落とすためのもの」であって欲しいと考えている。だから、小説で積極的に「ステータス」の概念を利用するのは好きではない。異世界ものライトノベルでは、今や使わない方が少数派であるようにも思うが。

「ある日ベンチプレスで何キログラム持ち上げた」「武道何段の認定を受けた」くらいまで単純化した数値ならいいが「攻撃力」みたいなパラメータを計測することは、現実では不可能だろ、と思う。

 なので、この世界のダメージ判定は現実準拠にさせてもらった。

 火の玉を鎧の戦士にぶつけても、ただちに「HPにいくつのダメージ」は通らない。鎧を超えて衝撃なり熱なりを伝えない限り、強力な魔法使いの魔法も無力なのだ。逆に、高レベル魔法使いにも、剣を当てれば怪我をさせられる。なんてフェアな世界なんだ。

 長編だと、勝手が悪くて使いにくい設定になるのかもしれない。


「限られた視野と知識」というのも、リアリティ上意識したポイントだ。

 アニメや漫画だと、視聴者は当然のように戦場を俯瞰できるが、現場目線の人間が観察できる範囲って、本当に狭い。主人公は鎧で視界を狭めているから、さらに狭い。十メートル先では何が起きているのか分からない中で行動を決めねばならない不安は、どれだけのものか。でも、実際の戦争だってそうだと思う。恐い恐い。絶対に当事者にはなりたくないものだ。今回は相手がどんな兵器(魔法)を持っているかも、分からないわけだし。

 情報の不完全性とか非対称性とか、作劇上不便なことも多いだろうけど、面白いよね。

「こっちにとっては唯一の敵だが、向こうに取ってはワンオブゼム」という感覚に、講評でも言及いただいた。嬉しい。

 主人公に嗜虐心が起きてしまう描写、淡く混ぜるだけにしたけれどやはり講評者は気付いてくれるね。

 いや、だって、敵が好みの美少女で「痛めつけていいぞ(ただしお前が生きていたらな)」みたいなことになったら、多少のSっけは出てきてしまうさ。

 迷ったのだが、今回の作品でお互いに対する「同情心」は極力描かないことにした。ラッシュやポエナは敵部隊のことを賞賛はすれど、「殺してしまった罪悪感」は表明しない。あの世界は、現代日本より絶対に命が安い。日本人の感覚からは外したかった。変に悩まず「つかれたー!」とだけ言っている方が見ていてさっぱりするし、場合によっては命の軽さが切なさ、さらなる悪趣味ポイントを追加してくれるかな、という期待もあった。どうだっただろうか。


 エピローグの語り手が、本章の語り手と一人称が変わらないので混乱した、という講評もあったが、これは狙いの一つなので良しとする。

「もしかして、主人公は生きていた……?」という誤解から読者をたたき落とすことを期待して、ポエナと話す「俺」を登場させたのだ。

 語り手には名前を与えていないが、本章主人公とエピローグ主人公を混同してくれていたら半分成功、「生きていたのか!」と喜んでくれていたら完全成功だった。そういう読者も存在することを祈る。


 こんな感じで、今作は自分なりの工夫や思いを結構詰め込めることのできた作品だった。これと別なり延長上なりの「異なる作品」を生み出す余地が自分にあるのかはわからない。

 しかし、現段階での全力は余さず発揮できたし、面白がってもいただけた。納得できる作品である。


(追記)

そういえば、本編主人公の死に際のカウントアップは、なぜかフィボナッチ数列になったんだよね。

なんでそうしたくなったかは、謎。

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あとがきというかライナーノートというか 今井士郎 @shiroimai

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