リナナの目標って?

 窓にうつあかひとみの少女をリナナはじっと見つめる。

 自分のほほゆびでつぶしてたこのような口にしてみたり、逆に引っ張ってみたり、目を寄り目にしてみたり、はなぶたのように指で押し上げてみたりする。窓に映る少女の顔はリナナがそうしたとおりの顔になる。

 おっと、突然視界しかいが真っ暗になった。いけない。仮面がはずれかけてしまったのだと気付いて、リナナはあわてて仮面を直した。再び視界が戻る。窓に映る少女と目が合った。どんなおかしな顔をさせてみても窓の向こうの紅い瞳の少女は、文句もいわずにリナナにされるがままだ。


「リナナ? なにしてんだ?」


 店の窓の前でり広げられるリナナの変顔へんがおオンパレードを後ろからながめていたハヅキが聞いた。


「ちょっと自分の顔を見てて……。」

「なんだそれ、ははっ。でもリナナの変顔は見てて面白かったよ。」

「え、ずっと見てたんですか?」


 ずかしい……。窓の向こうの少女が頬を赤らめて答える。これが今のリナナの顔だった。魔物まものゴーストにうばわれた青い瞳と顔は二度と戻らないという。まだれないな……。リナナは窓に映る自分の顔についた仮面の模様もようをなぞった。


     ◇

 

「今日はちょっといなあ。客は少なそうだ。」


 ハヅキが窓の外を見て言った。

 空はどんよりとした灰色の雲でおおわれていた。

 濃いというのはみやこを覆う魔族まぞくのろいのことだった。鼻の利く剣狼族けんろうぞくのハヅキにはそういうことがわかるらしい。

 ハヅキが言ったとおり、今日の客はまばらだった。お昼時の一番いそがしいはずの時間でも席が全部埋まらない。当然、ひまな時間が出来る。そうなると沈黙ちんもくめるようにリナナとハヅキのあいだにも会話が生まれる。


「リナナは竜族りゅうぞくと知り合いなんだって?」

「竜族……あー、ドラゴフォートレスさん。私がお世話になってるサクノミのお友達で、私もいろいろ助けてもらって。」

「へぇ。ドラゴは相当なコネだな。」

「コネ?」


 リナナは知るよしもなかったが、ドラゴをかんする者、ドラゴフォートレスの竜族での地位はかなり高い。

 

「今度さ、良かったらあたしにも紹介してくれよ。」

「あ、はい。そういえば、ドラゴフォートレスさん、お店によく来るって言ってました。」

「マジで? じゃあ、あたしも会ったことあるのかな? みんな仮面してるからわからないんだよなぁ……。」


 ハヅキは耳と尻尾をパタパタパタとふるわせた。犬の仮面の下の顔がくやしそうな表情なのだとリナナにもわかったのは、その耳と尻尾の動きのせいだろうか。

 ドラゴフォートレスの話題につられて、リナナはドラゴフォートレスとの会話を思い出す。仕事は見つけることができた。そのあとは?

 あの日、ドラゴフォートレスは言った。


れが力を貸せるのはここまでだ。あとはリナナ自身で切り開いていかなければならないぞ。」

「うん。私、自分一人で生きていけるようになりたい。サクノミにも頼らず、誰にも頼らず。そのために、商会の公認印こうにんいんが欲しい。」

「ほぉ。そのためにはどうすればよいかわかるか?」

「……まだわからないけど、サファイアさんのお店で学べることは学びたいです。」

「そうか。一歩ずつだな。しかし、自分で目標を定めることができたのは素晴らしい進歩だぞ。」


 ドラゴフォートレスはリナナに答えを与えない。リナナ自身で答えに辿たどり着かなければ意味がないと思っているからだ。そして何より、リナナの持つ運命の力の強さに確信を持っていた。

 リナナは再確認をする。自分の当面の目標、商会の公認印を得ること。

 

「ハヅキ先輩は、何か目標ってあるんですか?」

「目標?」

「商会の公認印とか……。」

「商会の公認印は何か商売するんでなければ意味ないからなー。あたしが働いてるのは普通に生活のためだよ。ここはバイト代いいけど時間が短いから、夜は酒場さかばでも働いている。リナナは公認印が欲しいの?」

「はい。それを目標にしていて。」

「まぁ確かに、働き口は広がるよなぁ。」


 ハヅキはあごに手を当て、少し考えてから言った。


「でも、せっかく公認印を取るなら、自分で商売をする方がいいと思う。リナナには何か売れるもの無いの?」

「売れるもの?」

「そう。何か作ってもいいし、どこかから仕入れてきてもいい。」

「うーん……。」


 何か売れるもの。自分には何も無いとは思ったが、サクノミは魔術まじゅつで作ったものを売っていると聞いた。サクノミは自分で作った仮面に魔術を施すことが多いようだった。昨日も夜遅くまで仮面を作っていた。魔術とはいかなくても、サクノミに工作を教えてもらうことは出来るかもしれない。

 リナナが考え込んでいると、奥の調理場ちょうりばからサファイアが顔を出し、

「今日はもう店締めようかしら……。」

と言った。

 いつのにか最後の客が帰って、店はガランとしてしまっていた。

 外の様子を見て戻ったハヅキが言う。

 

「それがいいかもしれないですねぇ。こういう日はろくなことないですよ。」


 それを聞いたサファイアは店じまいを決定した。働いた時間分の給与がリナナとハヅキに支払われる。


「そうだったわ。配達が一軒あったのよ。」

「それならあたしが持っていきますよ。」

「ありがとう、ハヅキちゃん。頼むわね。」


 サファイアが袋をハヅキに手渡した。

 

「私もついていってもいいですか? 今日は時間がまだあるから。」


 オサルが入った袋を背負って帰り支度じたくをしていたリナナが二人に聞いた。


「うーん。でも、あたしは今日は早く帰った方がいいと思うんだよなぁ。」

「そうねえ。」

「そうですか……。わかりました。」


 ハヅキはリナナの頭をワシャワシャとざつでた。


「ごめんね、リナナ。今度、街の中、連れ歩いてあげるからさ。」

「はい。」


 こうしてハヅキは配達へ。リナナは都の出口へ。店を出た二人は別方向に歩き出した。


     ◇


 いつもの帰り道だったが空は薄暗く、道行く人もいない。

 通り沿いの店も、サファイアの店と同様に早じまいをしてしまっているようだった。


「どこのお店もやってないのね。これじゃ、買い物は出来そうにないなぁ。」


 リナナはサクノミの家にあった食材を思い浮かべながら歩いた。芋とたまねぎと、腸詰ちょうづめがあっただろうか。たまに自分が知らないうちに食材が増えていたりするのだけれど、今日は期待しないでおこう。

 ごほんごほんと都全体からき込む声が聞こえる気がする。

 仮面の都ロキには魔族の呪いがかかっている。呪いを受けた者は、咳き込み熱でうなされて、呼吸も困難な状態になり苦しみ死んでいく。仮面をつけて顔を隠していれば呪いを受けないが、完全に仮面を外さない生活など出来はしない。この都の人々は、仮面を外したわずかな瞬間の積み重ねで徐々に呪いにおかされていくのだ。今日のように呪いの濃い日には家の中に身をひそめて、なるべく顔を見せないことが慣習かんしゅうになっていた。

 

「なんだよ、今日は。店が開いてねえじゃねえか。しけてんなぁ。こんな仮面つけなきゃならねえし。」

「ごほんっ。まったくだな。」


 他所よそからやってきた旅人や冒険者の中には、呪いの恐ろしさや都で生きていく知恵を知ろうとしない者たちもいた。

 先ほどから開いてる店を探してうろついている様子の二人の男。どうやら都の外から来た冒険者のようであった。


「ごほっ、ごほっ。くそ、咳が止まらねえ。」

「おい、大丈夫かよ。」


 その男は運悪く今日に限って、つい仮面を忘れて外に出てしまっていた。さきほど慌てて仮面をつけたが既に呪いはその身にふりかかっている。


「あの……。大丈夫ですか?」


 リナナはたまたま道で咳込んでいるその男を見つけただけだった。

 本来なら関わり合いにならない方がいいだろう。しかし、先日、神様のやしの力でサファイアの娘のルビーの呪いを解くことが出来たリナナには無視することができなかったのだ。自分にならなんとか出来るのではないだろうかと思ってしまった。


「ん? なんだ、ガキか。あっち行ってろ。ごほっ、ごほっ。」

「でも、私、もしかしたら……。」


 リナナが咳込んでいる男に手をあてようとした時、

「おい、このガキ、上等そうな服着てるぜ。肌のつやもいい。」

「きゃあ!」

横からもう一人の男がリナナの腕をつかんで言った。不幸にも、リナナが声をかけた男たちは外の街から弾き出され仮面の都に流れ着いたゴロツキ崩れの冒険者たちだった。だが、リナナに手を出したのが彼らの運の尽きである。

 突然、男のゴツゴツした手に腕を掴まれたリナナは身の毛がよだつ感覚を覚えて反射的に悲鳴を上げた。リナナの悲鳴を合図に、リナナの背中でうなだれていた猿のぬいぐるみ『オサル』の赤い目が光る。

 その瞬間、ブォアっと大きな炎が上がり、リナナを掴んでいた男の手を燃やした。オサルはサクノミがリナナに持たせたぬいぐるみである。

 

あつっ! なんだ、こいつ!?」


 男が咄嗟とっさに掴んでいたリナナの腕を放すと炎は掻き消えたが、その腕は重度の火傷を負っていた。

 

「……え? 大丈夫ですか!? わ、私が……。」


 自分の背中のオサルが魔術を発動したと知らないリナナは、嫌悪感を押さえつけ火傷を治そうと男に近づいた。


「来るな!」


 しかし、火傷を負った男はリナナを拒絶し腰の剣を引き抜いて言う。


「こいつ、魔術を使ったぞ。人間じゃない!」

「ごほっ、ごほっ。くそ、厄日だな。」


 男たちのリナナの見る目は敵意に変わっていた。

 

「そ、そんな……。」


 助けようとしただけなのに。剣を構えてる男たちを前に、リナナは困惑しながら後ずさりする。逃げられるだろうか? いやだ、こんなところで殺されたくない。

 無情にも男の剣がリナナに振り下ろされようとしていた時、思わず目をつむったリナナが聞いたのは男たちの悲鳴だった。

 

「ぐぉ!」

「ぎゃあ!」


 リナナが目を開けると、男たちは皆、路上に倒れ込んでいた。

 

「うちの子に手をあげるなんて、命が惜しくないのかね!?」

「ハヅキ先輩!」


 リナナを背に庇うように立つハヅキ。

 ハヅキには傷一つ付いていない。一方、倒れている男たちは真新しい切り傷が無数に付けられていた。


「やぁ、嫌な予感がして追いかけてよかったよ。」

「すごい。」

「言ったろ。戦士だって。」


 うめき声を上げることしか出来なくなった火傷を負わされた男と、呪いに侵された男。リナナに関わらなければここまでのことにはならなかったのだが。

 リナナは自分が彼らを不必要に傷つけてしまった気がして申し訳ない気持ちになった。


「あの……ごめんなさい。」

「こんなのに謝る必要ないよ、リナナ。おい、お前たち! この都から出てけ! ここにいたら傷口から呪いが入り込むぞ!」

「ひ、ひぇえ!」


 ハヅキに脅された男たちは一目散に逃げていった。あの男たち、どうせ長くは生きられないだろ。ハヅキはそう思ったがリナナには黙っていた。


「ハヅキ先輩、ありがとうございます。」

「いや、あたしもこんな日にリナナを一人にするんじゃなかったよ。ごめん。」


 念のため、数日はリナナの送り迎えをしてやるか。

 ハヅキはリナナの頭をまたワシャワシャと雑に撫でると、

「都の外まで送るよ。」

と言ってリナナの背中を軽く押した。

 リナナの背の袋から飛び出ていたオサルの腕がぶらりと揺れた。

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仮面魔術師と顔無しの姫 加藤ゆたか @yutaka_kato

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