仮面の館のサクノミ

「大丈夫か?」


 誰かの声が聞こえる……。少年の声?

 リナナから目も鼻も口もうばったゴーストだったが、耳は奪っていかなかった。

 しかし声を出せないリナナにはその呼びかけにこたえることができない。

 リナナは何も見えないとわかっていながらも、その声のする方へ顔を向けた。


「その顔……、ゴーストにやられたんだな? 森がさわがしかったのはそのせいか。」

 

 少年はリナナの手をつかんでリナナを引き起こすと言った。


「俺についてこい。助けてやる。」


 少年はリナナの手を引きながら歩き出す。

 誰だかわからないけれど自分を助けてくれる人が現れた。リナナは嬉しい気持ちで泣きそうになったが、もちろん涙を流す目は顔についていない。

 少年は無言で前へと進んでいく。何も見えない暗闇くらやみの中、決して少年の手を離すまいとリナナは掴んだ手の触感しょっかんに集中して歩いた。

 少し余裕ができたころ、自分の手を引く少年が、目の見えない自分のために歩きやすい道を選んでくれていることに気がついた。どこに連れていかれるのかという不安も無くはなかったが、きっと悪い人ではないとリナナは信じたいと思った。



 周囲の音が静かになり、ほほに風が当たったので、どこか開けた場所に出たのかもしれないとリナナは想像した。足元の地面も固くなっている。


「段になってる。足下気をつけろ。」

 

 急に少年が立ち止まり言った。

 少年の言うとおりに恐る恐る足をみ出して段を上がると、前方でギィというとびらの開く音が聞こえた。

 そして歩く音がコツコツという木のゆかの上を歩く音に変わる。


「……汚いな。これで顔をけ。」


 リナナは少年に手渡された布で自分の顔を拭いた。……信じたくはないが本当に自分の顔に目も鼻も口も無い。自分で触ってみて、自分の顔があった場所にあるはずのパーツが何もないことを実感し、リナナは気持ちがしずんだ。奪われた顔は一生このままなのだろうか?


「拭いたな? これをつけろ……って、見えないか。俺がつけてやる。」


 少年がリナナの顔に触れた後、何か冷たくて固い感触が顔をおおった。

 リナナが目を開けると、目の前には金色の髪で、口元を黒い布で隠したあかい目の少年の顔があった。


「見える……! しゃべれる!」


 リナナは周囲を見渡す。その場所は小さなやかただった。ランプの明かりが部屋を照らしていた。壁には不思議な模様もようの絵や、何かの動物の模型もけい、そして様々な形の仮面が並べられている。テーブルが店のカウンターのように置かれて、その上にも仮面。天井からも仮面がり下げられている。床にも仮面が積み上げられていた。


「ここは……仮面屋さん?」

「違う。」


 リナナを助けてくれた少年がぶっきらぼうに答えた。

 リナナはあわてて頭を下げた。


「ごめんなさい! 助けていただいたのに。どうもありがとうございます。」

「たまたま見つけただけだ。運が良かったな。」

「私、リナナと言います。孤児院こじいんの出身で、みやこ修道院しゅうどういんに行くところだったんです。」

「そうか。俺の名前はサクノミだ。」

「サクノミさん。」

「サクノミでいい。」

「サクノミ、本当になんてお礼を言ったらいいのか……。顔もゴーストに盗られてしまって、もう一生、何も見えないままかと思ってました。」

「悪いがゴーストに奪われた顔は二度と戻らない。」

「え? でも、私、今……。」


 リナナは自分の顔に触れた。冷たくて固い感触がある。どんな素材かはわからない。だが、リナナは今、自分が仮面をつけているのだとわかった。そして、感じる少しの違和感……。


「これって……。」


 リナナはもう一度館の中を見渡して鏡を見つけると、恐る恐る近づいてのぞき込んだ。

 見慣れない茶色の仮面が、リナナのひたいから鼻の上までを覆っている。そして、仮面の奥に燃えるような紅い瞳が覗く……。


「これは……、私の顔じゃない……。」


 顔を奪われる前のリナナの瞳の色は青だった。マザーエレナが綺麗だと褒めてくれた、子供たちが好きだと言ってくれた透き通るような青……。

 リナナは仮面を外してみた。再び訪れる漆黒しっこくの闇。また仮面をつけると周囲が見えるようになる。

 サクノミが言う。


「俺はお前の元の顔は知らない。その仮面にかけられた魔術まじゅつの効果で顔が出来ているだけだ。」

「そんな……。」

「俺が出来るのはそれだけだ。……しばらくここにいてもいいが、落ち着いたら修道院でも孤児院でも好きなところに行くといい。」


 そう言うとサクノミは、館の奥の天井まで届くほど大きな本棚の前に行って本を取り、椅子いすに座って読み出した。

 リナナは呆然ぼうぜんとその場で立ちくすしかなかった。

 失った顔は二度と戻らない。

 サクノミにつけてもらった仮面のおかげで目も鼻も口も取り戻せたと思ったのにそれは偽物にせものの顔で、元の自分の顔ではなかったのだ。

 ポトリポトリと床に落ちる水滴すいてきで、リナナは自分が泣いていることに気付いた。


「この顔、涙も出るんだ……。」


 リナナは館の片隅かたすみに置かれた鉢植はちうえの植物に目をやった。サクノミは水をやらなかったのだろうか? しおしおとなってれていた。リナナにはその植物がまるで自分の姿を映したように見えた。でもこれならまだ……。お礼になるとは思わないけれど、せめて自分にできるのはこれくらいだろう。そう思ったリナナは植物に手を当て、神様のやしの力を使った。癒やしの力によって鉢植えの植物はすぐに元気を取り戻した。


「やっぱり私、ミカのことが気になる。行かなきゃ。」


 リナナは元気になった植物を見て、まだ自分には出来ることがあると思った。

 サクノミのおかげで目も見えるし喋ることも出来る。幸いにも五体満足ごたいまんぞくだ。それならば、いつまでもここで落ち込んでいてもしょうがない。神様も見ている。

 リナナは館の奥に向かって声をかけた。

 

「サクノミ。私、修道院に行きます。ありがとうございました。あ、そうだ! そこの植物にちゃんと水をあげてね!」


 リナナは、館の扉を開けて外に出た。


「前に進まなきゃ。」


     ◇


 なんとかひとりで暗闇の森を抜けて仮面の都ロキに着いたリナナは、都の人々に道をたずねながらも修道院に辿たどり着いた。都のその大きさ、人の多さ、そして皆が仮面を付けているという異様いような光景に圧倒されながらも、リナナはくじけなかった。

 リナナは修道院の扉を叩く。

 すると、中から修道女しゅうどうじょの仮面をつけた女性が現れた。


「あ、あの、私、森の向こうの孤児院から来たリナナです。やっとここまで辿り着きました。仮面を無くしてしまって。中に入れてもらえませんか?」

「孤児院のリナナ? ……あなたは誰ですか? 修道女の仮面をつけていない者を受け入れることはできません。」

「あ、仮面は……。」


 リナナが話し終えないうちに女性は修道院の扉を閉めようとする。


「待ってください! 孤児院から誰か来ませんでしたか!?」

「……孤児院からは一名と聞いています。あなたのことは知りません。」

「それは……。」


 きっとミカだ。ミカが自分にり代わって修道院に入ったのだ。どうしよう? 仮面を取ってみせたところで今の自分には顔がない。自分がリナナだと証明することができないとリナナは気付いた。

 ちらりと施設しせつの中を見えたが、同じ修道女の仮面をつけた人ばかりで、あの中にミカがいるかどうかもわからない。

 リナナには大人しく修道院を去るという決断をするしかなかった。


「わかりました……。」

「……。」


 修道院の女性は無言でリナナを見下ろした後、ガシャンと扉を閉めた。

 質素しっそ装飾そうしょくの修道女の仮面のせいか、その瞬間しゅんかんに自分の未来が閉ざされたのだと痛いほどわかったからか、リナナには修道院の女性が自分に冷酷れいこくだったように感じられて苦しくなった。



「これからどうしよう……?」


 リナナは都の通りを当てもなく歩く。

 初めての土地で、どこに行けばどこに辿り着くのかもわからない。

   

「……今思うと、ミカは山の向こうの村におよめに行きたくなかったんだ。だから私の仮面を奪ってまで、自分が修道院に入りたかったのかも。それなら、私はミカを責めてはいけないと思う。修道院で神様の近くでおつかえできないのは残念だけど、それは私の代わりにミカがやってくれる。私は大丈夫。きっと。」


 リナナは何度も同じことをつぶやいた。

 ミカを責めてはいけない。自分は大丈夫。


「でも、孤児院に帰ることもできない。みんなは顔が違っても私を受け入れてくれるかもしれない。でも、そうしたらミカは連れ戻されてばつを受けてしまう。」


 いつしか都は夜になろうとしていた。

 人通りも少なくなっていく。道が石畳いしだたみから土に変わり、なんだか周りの家々も簡単な作りになっているような……。

 ここはどこだろうか?

 ぐう。

 リナナのお腹の音が鳴った。

 そういえば、もう丸一日、何も食べていなかった。

 

「あんた、お腹が空いてるのかい?」

「あ……はい……。」


 道のすみに座っていたねずみの仮面をつけた女性がリナナに声をかけた。

 ねずみの仮面の女性はみを浮かべてリナナに言った。


「それならこっちにおいで。パンをあげる。」

「……ありがとうございます。」


 ねずみの女性は横の家の中に入り、パンをひとつ持ってくるとリナナに渡す。

 少し固いけれどリナナはありがたくパンをもらって食べた。


「変わった仮面をつけてるね。この都の子じゃないね?」

「はい……。私、リナナと言います。森の向こうの孤児院の出身で、いろいろあって行くところがなくなってしまって。」

「ふーん。それじゃ、私のところで働くかい?」

「働く?」

「そうだよ。生きてくためには金が必要だよ? そうでなければ、このパンだって買えないんだ。」

「ごめんなさい。お金がないのに、パン、いただいてしまって。」

「いいんだよ、それはあんたにあげたものさ。うちで働けば金はかんたんにかせげるよ。」

「あの、働くってどんな……?」

「なあに、かんたんさ。ちょっと客と仲良くすればそれでいい。」

「仲良く……。」

「やってみるかい?」


 リナナはねずみの仮面の女性の顔を見返した。

 しかし、仮面に隠された表情は読めない。少し迷ったリナナだったが、パンももらったし、今の自分には頼れる人がいない。自分に出来ることならやってみようと思った。

 

「……私にできるなら。」

「それじゃ、こっちにおいで。」


 ねずみの女性はリナナと手をつなぐと通りの奥へとリナナを連れていった。


     ◇


「あの……私、何をすれば……?」


 ねずみの女性に連れられたリナナは、通りの奥の小さな小屋がいくつも並んでいる場所で、一人の男性と引き合わされた。

 ねずみの女性はリナナを男性に預けると、どこかに行ってしまった。

 男性は黒いちょうのような仮面をつけている。

 独り、男性の前に取り残されたリナナは挨拶あいさつと自己紹介をしたが、男性はそれを無視して、リナナの体を不快な目つきでジロジロと見て言った。


「なんだ、ぼうっ切れみたいなうでだな。」

 

 男性の手がリナナのお尻をガシッとつかんでむ。


「ひゃっ!」

「だが、肉はやわらかそうだ。」

「や、やめてください!」


 リナナはこれから自分に起こることが不吉ふきつなことのように思われて、男性の腕をはらって距離を取ろうとした。


「なんだよ。店に金払ってるんだぞ。」

「で、でも……。」


 男性はリナナの腕を掴むと、無理矢理に小屋の中にり込もうとする。

 小屋の中はせまくて暗く、寝床ねどこだけが見えた。


「い、いや!」


 リナナは必死で抵抗するが、男性の腕力にかなうはずもなく、小屋に連れ込まれそうになる。


「おい。」

 

 その時、誰かが声をかけ、男性とリナナのあいだって入った。リナナはおどろいてその人物の顔を見た。しかし、リナナと男性の間に立ったその人物は猫の仮面をつけていて顔がわからない。

 次に、猫の仮面をつけたその人物は男性の腕を掴んで、リナナから手を離させた。

 機嫌きげんが悪くなった男性が、猫の仮面の人物に言う。

 

「なんだ、猫の姉ちゃん。もしかして代わりに相手してくれんのか?」

「誰が姉ちゃんだ。」


 猫の仮面の人物が男性の目の前で何かをしたかと思うと、男性は一人で小屋に入りヘコヘコと奇妙きみょうな動きを始めた。


「夢でも見てろ。」


 男性を小屋に残し、扉を閉めて外に出ると、猫の仮面の紅い目がリナナを見る。

 リナナはその目に見覚えがあった。


「サクノミ……? サクノミなの?」

「……帰るぞ。」


 猫の仮面を外して、黒い布で口元を隠したサクノミはそう言うと着けていたマントをリナナに渡した。



 都を出てからも何も語らず歩くサクノミの後を、リナナは置いていかれないように必死でついて歩いた。サクノミの歩く速度は速くて、森で自分を助けてくれた時とは違うとリナナは思った。もしかして怒ってる?


「どうしてサクノミはあそこにいたの?」

「……。」

「サクノミもお客さんだったの?」

「なっ、違う!」


 やっとサクノミが応えてくれたので、リナナはずっと言いたかった言葉を言った。

 

「ありがとう……。二度も助けてくれて……。」

「……お前、孤児院に帰れ。」

「ううん、帰れないの……。どこにも行くところがない。」

「……そうか。」

「でも生きるためにはお金が必要なんだって。」

「だからってお前——」

「だから、私をサクノミのところで働かせてもらえませんか? 掃除でも、料理でも、なんでもやるから。」

「はぁ!?」

「私、頑張がんばるから。お願いします!」


 リナナはサクノミの腕を掴んで言った。

 月の光が二人をらす。

 紅い目のサクノミ。仮面をつけた紅い瞳のリナナ。

 二人は見つめ合った。リナナはサクノミがうなずいてくれるまでこの手を離すまいと思った。

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