孤児の少女リナナ

 中央王国の新しい王は、戦争によって疲弊ひへいした国力を回復させるため、新しい経済けんを作ることにしたらしい。それが魔法金貨であった。

 今やこの国で魔法金貨の価値を知らない者はいない——。

 辺境へんきょうで暮らし、生まれた時から世間とは隔絶かくぜつされて育てられた少女でもない限りは。



     ◇


「リナナ。おいのりの時間だからみんなを集めてきておくれ。」

「はーい、マザーエレナ。」


 庭で小さい子供の世話をしていた金色の髪の少女が、白髪はくはつの女性に声をかけられて返事をする。

 少女は世話をしていた子供の頭をでると、青いひとみで優しく微笑ほほえみかけて言った。


「さあ、みんな礼拝堂れいはいどうに行くよ。マイクやレオンはどこ? 呼んでこなきゃ。」

「ねえリナナ。お話の続きは?」

「また後で読んであげるから。」


 リナナは、ひざの上の子供を降ろすと手をつないで、一際ひときわ高くてとがった屋根の建物に連れて行く。それがこの孤児院こじいんの礼拝堂。一日一回、神様に祈るための場所だ。

 ここは様々な理由で孤児になった子供たちが集められた孤児院だった。

 


 リナナは礼拝堂の入り口で茶色い髪の少女とはち合わせた。

 少女とリナナのとしは同じくらいに見えるが、もちろん二人とも自分の本当の歳など知らない。物心ものごころつく前からこの孤児院にいて、姉妹のように育った二人だ。

 リナナは茶色い髪の少女ミカを親友だと思っていた。ミカも同様にそう思ってくれていると信じてうたがいようがない。だって今もミカはリナナに向けて、花が咲いたような笑顔を向けてくれているのだから。


「リナナ。私、やっと仕事が終わったわ。」

「よかった、ミカ。それなら午後は一緒に遊べるね。」

「お祈りの時間、疲れて寝ちゃいそうよ。」

「ふふ。寝ちゃだめだよ、ミカ。神様が見ているから。ところでマイクとレオンを知らない? 遠くまで遊びにいってはいないと思うのだけど。」

「きっとまたラマラの木のところだわ。男の子はいつもそう。」

「私、見てくるね。」


 リナナはそう言うと、子供たちをミカに預けてラマラの木のある裏庭に向かった。

 ラマラの木は孤児院の敷地しきちの外れに立っている大木で、孤児院の男の子たちが木登りをしたり虫を捕ったりする格好かっこうの遊び場になっていた。最近は秘密基地を作っているのだと、リナナはマイクから聞かされたのを思い出した。

 マイクもレオンもリナナより二、三歳ほど小さい。この孤児院ではリナナとミカが最年長で、みんなリナナを姉のようにしたってくれていた。



 リナナがラマラの木の下にやってくると、マイクとレオンが木の上から顔を出した。


「マイク。レオン。お祈りの時間だからおいで。」

「わかったよリナナ。今、降りる。」

「マイクもレオンも、そんなところにいたら危ないよ。」

「言ったろ? この上に秘密基地があるのさ!」


 リナナには、自分が忠告したところで男の子たちは聞かないだろうと分かっていた。でも、危ないことはして欲しくない。


「よいしょっと。」


 レオンが木の枝から飛び降りる。


「ちょっと! 危ないでしょ!?」


 リナナはあわてて言った。

 マイクもレオンも、リナナの慌てぶりがおかしいのか笑って言う。


「大丈夫だって。いつもこうやって降りてるんだ。」

「そうだよ。僕ら、もう大きいんだよ。」

「僕も降りるから……あっ!」


 ドスン!

 マイクがそう言ったそばから木の枝からすべり落ち、うでから地面に落下した。

 リナナは急いでマイクにけ寄る。


「マイク!」

「い、痛い……!」

「怪我したの!? 見せて!」


 マイクの腕がみるみるうちに赤くれていく。

 その目を背けたくなるようなひどさまに一瞬青ざめたリナナだったが、冷静になってマイクの腕に手をかざした。


「い、今、治してあげるから……。」


 リナナがマイクの腕の怪我に手をかざすと、リナナの手の甲には光の模様が浮かび上がった。あっという間にマイクの腕の腫れが引いて、マイクの表情がおだやかになっていく。


「ありがとう、リナナ。痛くなくなった。」

「よかった。治りそう。」

 

 リナナはホッとした。

 リナナには怪我や病気を治す不思議な力が備わっていた。マザーエレナは信心深いリナナに神様がお貸しくださった大切な力だから、むやみに使ってはいけないと教えてくれたが、マイクの大怪我を治すのに使わなければいつ使うというのだろうか。


「もう。木登りは禁止だよ!」

「……うん、わかった。これからは気をつけるよ。」

「気をつけるって、禁止だってわかったの!?」

「わかったって! リナナ、はやく行かないとお祈りの時間に遅刻するよ!」


 マイクはほんの少し前の怪我がうそのように元気になって、レオンと一緒に礼拝堂の方に走り出していってしまった。

 リナナは男の子たちに怒りながらも、どうせ二人は自分の言うことなんて聞かないだろうなとあきらめている。でも、マイクの怪我が治って本当によかった。今日のお祈りではいつもよりも心を込めて神様に感謝を伝えなければ、とリナナは思った。



    ◇


 ある日、リナナはマザーエレナに呼び出された。

 マザーエレナの部屋に呼ばれたリナナは、椅子いすに座って話を聞くように言われたが、いつもと違うマザーエレナの真面目な様子を感じ取り、少し緊張していた。


「リナナはもう十三歳だね。」

「はい。」


 リナナは孤児院に預けられた歳がさだかではなかったので、仮の誕生日と年齢を決められていた。それは孤児院の他の子供たちも同じだった。


「リナナにはみやこ修道院しゅうどういんに紹介状を書いていたのよ。今日、その返事が来ました。」

「修道院ですか?」

「ええ。リナナは神様に特別に愛されているから。将来、修道女しゅうどうじょになるのが良いと考えていたの。今よりずっと神様の近くにいられるのよ。」


 いつかは孤児院を出なければならない。それはリナナも理解していたが、想像をしても具体的に考えることはできていなかった。自分は孤児院の外のことを知らない。それなのに孤児院以外の場所で生きるなんて。


「私、修道院に行くんですか?」

「ええ。都の修道院もぜひリナナを迎え入れたいと言ってくれたわ。」

「神様のやしの力のおかげで?」

「いいえ。それは伝えていません。純粋にリナナの信仰心が評価されたのよ。」

「そう……。」


 リナナは突然のことで考えを整理することができないでいた。神様への信仰心が評価されたのは素直に嬉しい。でも、自分に神様のおそばでおつかえするなんてできるのだろうか? 同時に不安がき上がる。それに私が孤児院を出て修道院に入ったらもう戻っては来れないの? みんなとお別れになってしまうの? いつかはその日が来るとは思っていたけれど、今日それが来るなんて全然心の準備が出来ていない。いや、すぐに行かなければならないのだろうか? 猶予ゆうよはあるのか?

 リナナはやっと一言、マザーエレナに質問できた。


「……いつから?」

「修道院は早ければ来週からでも迎え入れる準備が出来ていると。」

「来週!?」


 それはいくらなんでも急すぎる。

 驚くリナナに、マザーエレナは優しく言った。


「わかるわ、リナナ。急よね。でも、これはまたとない機会なの。ちゃんとみんなにお別れの言葉を言う時間は作りましょう。」

「はい、マザーエレナ。」


 リナナの青い瞳に涙が浮かぶ。いろいろな感情がこみ上げてくる。

 マザーエレナはリナナの背中をさすって、リナナが落ち着くのを待った。

 それからリナナに修道院の手紙とひとつの包みを渡した。

 その包みの中にあったのは、黒と白で質素しっそ装飾そうしょくほどこされた仮面だった。

 

「リナナ、これを渡しておくわ。都ではこの仮面をつけるのよ。この公認印こうにんいんのついた仮面が修道女の証明になるの。」


 リナナが入る修道院は都にある。孤児院から歩いて三日の距離にある仮面の都ロキ。そこは呪われた都だった。

 都の人間たちは皆、仮面をつける。呪いから身を守るために。

 


     ◇


 リナナの出発の日は慌ただしく準備を進めているうちに訪れた。


「マイク、レオン。あなたたちはお兄さんなんだから、みんなをちゃんと守ってね。」

「わかってるよ、リナナ。」

「まかせておけって! だから、安心してリナナは行っていいよ。」

「二人とも、もう危険なことはしちゃダメだからね。」


 別れの日、マイクとレオンは気丈きじょうに振る舞ったが、こらえた目はふるえていた。二人だけではない。子供たちもリナナから離れようとはしなかった。みんな大好きなリナナとの別れをしんでいたのだ。


「ほら。それじゃリナナが困るでしょ。」

「ミカ。」


 少し大きめの荷物を背負った茶色い髪の少女ミカが言った。

 ミカはリナナと一緒に都までついてきてくれることになっていた。


「うん。じゃあね、リナナ。」

「リナナ、元気でね。」


 リナナも孤児院のみんなとの別れが悲しかったが、笑顔をやさないようにつとめた。


「みんな、お手紙書くからね。読めるように勉強しておいてね。」


 こうして、リナナは孤児院を後にした。

 何度も振り返るたびにまだみんなが手を振っているのが見えてリナナも手を振り返していたので、いい加減にしてよと同行してくれるミカに怒られたが、リナナはそれだけ名残なごり惜しかったのだ。



 都までの道のりは遠い。リナナたちの足で三日かかるので、途中で野宿をいられる。

 幸いにも街道沿かいどうぞいには魔物は出てこない。魔除まよけのじゅつがかけられているためだ。それに修道院のある方角には他に村も無かったので人通りも少なかった。

 日が暮れてきたので、ミカが起こしてくれた火を囲み、二人は軽く食事を取った。


「私、ミカが都までついてきてくれて良かったと思う。」

「なに、それ。」

「だって、一人旅だったら寂しくてきっと堪えられなかった。」

「リナナは昔から変わらないわね。」

「ミカも変わらないよ。いつも優しい。」

「……そうかしら?」

「私、急にみんなと離れるなんて思ってもいなかった。都で落ち着いたら、いつかまた会いに来るよ。ミカにも。」

「……無理よ、リナナ。私、聞いちゃったのよ。私はもうすぐ山の向こうの村におよめに出されるのだって。」

「お嫁?」

「……うん。」


 火のあかりがミカの横顔を照らしている。

 少し落ち込んでいるように見えるミカを、リナナは元気づけようとして言った。


「それだったら、私きっとその村にも会いに行くよ。」

「……そうじゃない……。」

「え?」

「ううん。ねえ、リナナ、このまま二人でどこか逃げちゃわない?」

「逃げる?」

「そう。私、リナナと一緒だったらどこでもいいのよ。」


 ミカがリナナの手をにぎって言う。

 しかし、リナナはミカの手を置いて答えた。


「ダメだよ、ミカ。私、修道院に行かなきゃ。神様の近くで、もっと神様に仕えるの。マザーエレナも望んでいたことだし。」

「そっか、そうよね。」

「ミカ?」

「なんでもないわ。」


 その日はそれ以上ミカは何も言わず、明日も早いからと寝てしまった。

 翌日もミカはいつも通りだったのでリナナは特に気にしなかった。それよりも、これから始まる修道院の新しい生活のことを考えると胸がいっぱいだった。



 二日目も、順調にリナナとミカは街道を進んでいた。

 街道は薄暗い森の中に続いている。


「ここは暗闇くらやみの森ね。都の呪いの外だけど、魔物ゴーストがうろついている。ゴーストは生前の自分に戻りたい執着しゅうちゃくから人間の顔をねらうの。だから念のため、ここから仮面で顔を隠した方がいいって。」


 ミカが荷物の中から仮面を二つ取り出した。

 ひとつはマザーエレナがリナナに渡した修道女の仮面。もうひとつは木で作られた仮面だ。

 リナナは、渡された修道女の仮面を身につけた。


「仮面って、口は隠さなくてもいいんだね。」

「そりゃそうでしょ、風邪じゃないんだから。呪いを防ぐためにつけるのよ?」


 木の面をつけたミカが言った。

 暗闇の森の中は木々が生いしげり、太陽の光がほとんど届かない。

 コォオという何かの声のような不思議な音があたりに響いている。

 道もやっと半ばといったところか。ここがおそらく森の中で一番深いところだった。

 ミカが立ち止まり、リナナの方を向いて言った。


「ねえ、リナナ。ここで仮面を取ったらどうなるかしら?」

「え?」


 ミカはリナナの仮面を素早すばやうばうと、数歩後ろに下がった。

 リナナは、目の前の親友の豹変ひょうへん困惑こんわくしながら言った。


「ちょっと、ミカ。こんなところで悪ふざけはやめてよ。お願い、仮面を返して。」

「……。」


 しかし、ミカにはリナナのお願いを聞き入れる様子はない。

 仮面の下のミカの表情は固い仮面に隠されていて読み取れなかった。


「ミカ、いったいどうしたの?」


 やがて森の空気が一変した。周囲に冷たい空気が立ちこめる。コォオという音がしだいに大きくなっていく。魔物ゴーストたちが二人に近づいてきていた。

 はやく仮面をつけなければと、リナナはあせる。


「ミカ! いい加減にして! 仮面を返して!」


 リナナは仮面を取り返そうとミカに手を伸ばしたが、ミカはリナナを無言で突き飛ばした。


「きゃあ!」


 倒れたリナナが次の瞬間に見たのは、仮面と荷物を奪って走り去っていくミカの後ろ姿だった。


「ミカ! 待って! 戻ってきて!」


 気付くと、リナナの周囲を魔物ゴーストが取り囲んでいた。ゴーストの暗い目がリナナの顔をのぞき込む。どうしよう!? このままでは顔を盗られてしまう!

 リナナは立ち上がると手で自分の顔を隠して、ミカを追うように走りだした。

 でも本当にミカを追えているのかはわからなかった。手で顔をおおっているせいでまっすぐ走れているのかもわからない。

 急にリナナは後ろから強い力で押されて、前のめりに転んだ。次々とゴーストの腕が追いついてリナナの体に触れる。


「やめて! 助けて、ミカ!」


 リナナの叫びもむなしく、ゴーストたちがリナナにのしかかる。

 腕を、足を、ゴーストたちが押さえつける。


「いや! 助けて! ミカ! ミカ! お願い!! うぐっ!」

 

 ゴーストがリナナの頭を、乱暴に地面に押しつけた。

 実体が無いはずのゴーストの重みを、リナナは全身に感じていた。

 動けない……!

 リナナが抵抗できなくなったとみると、ゴーストたちはリナナの顔を再び暗い目で覗き込んだ。木の葉まみれの金色の髪、恐怖の色が浮かんだ青い瞳。リナナの顔は涙と土でぐちゃぐちゃに汚れている。

 ふいに、リナナの顔をぬめりとした何かが撫でた。


「……!!」


 リナナの視界から全てが消えた。

 急におとずれた暗闇の中でリナナは叫ぼうとしたが声が出なかった。

 目を奪われたので何も見えない。

 口を奪われたので声も出せない。

 無情にも、リナナはゴーストに顔を奪われてしまったのだ。



 ……どれくらいの時間が経っただろうか?

 目が見えなくなったリナナには、今が昼なのか夜なのかもわからなかった。

 ゴーストたちはとうに居なくなっていた。

 最初はそれでも前に進もうと地をっていたリナナだったが、ミカに裏切られた衝撃しょうげきと、顔を失った喪失感そうしつかんによって次第しだいに無気力になっていった。

 もう自分はこのまま死んでしまうのかもしれない。

 こんなところを人が通るのはまれだし、助けを呼ぼうにもリナナは声を失っている。

 目が無いから涙も出なかった。



 すべてを諦めかけたその時、リナナは自分に向けた声を聞いた。


「そこにいるのは誰だ? そこで何をしている?」

 

 その声の主は男性というにはまだ青々あおあおしい、少年のように思われた。

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