タイルの怪我
石田明日
。
滑る足に気を取られないようにして歩いた。下手くそな歩き方が歩いてる人、すれ違った人にバレていたっていい。こんなに雨が降っているのに、傘を刺していない時点で当たり前に浮いているのだから。
失恋したわけでも、何か大きな失敗をしたわけでもない。何もなかったといえば何もなかった。自分ではしょうもないとは思っていないが、世間的にはしょうもないと言われる理由で今私はタイルの上を靴擦れの痛みに耐えながら歩いている。とにかく歩いているのだ。
あ、ここって確かこの前自殺した人の靴が落ちてた場所だよな。とか、似たような服を着た女がうじゃうじゃいるなとか、とにかく無駄なことを考えた。
そんなことをしたって、私が無駄にした金も時間も帰ってくることがないことはわかっている。どれだけ争っても私たちには平日が来るように、日曜日の次に月曜日が来るのと同じように、どうしようもないことなのだ。
面白くなかった。何もかも面白くなかった。主題歌すら最悪だった。あんなクソ映画今すぐ上映中止にしてしまえ。犬が死ねば泣くと思ったか? 意味もなく家族愛をひたすら嘆けば響くと思ったのか? 本当にいい加減にしてくれ。
何も楽しみにしていなかった。期待なんて一切していなかった。なのにここまで落胆するものなのか? 駄作のあまり涙を流してしまうことなんてないと思っていた。傘を刺す気にもなれないとは私自身もびっくりだ。
指通りの悪くなった髪の毛を触りながら、シャツを絞った。バス停には私以外誰もいない。こんなびしょびしょな状態でバスの椅子に座るわけにもいかないからと、絞ったシャツの皺を伸ばすことなく駄々を捏ねるときのガキと同じように床に座り込んだ。
多分ガキはオムツを履いているから、多少勢いをつけて地面に座り込んだとてあまり痛くないのかもしれない。いくらジーパンといえど、私がガキの真似をするとあまり聞きたくない音が聞こえてきたし、立ち上がりたくなくなるくらいの痛みが全身に残った。
タクシーが交差点に出ると、大きな水飛沫を上げて光の中に溶けていった。それを腕の隙間から見ては目を瞑って、何度も映画を思い出した。
序盤は良かった。何が良かったかというと、ありきたりだったからだ。よくある死に方をしたし、よくある男女の恋愛がはじまった。BGMもよく聴かなければおしゃれで、雰囲気を引き立てていた。今思えばクソだったと思うが、何も知らない私はきっとあのとき期待が最大限に膨らんだ。
セックスだって日本ではなかなか際どいものだし、その辺は狙ってるなとは思ったが、日本に住んで、日本の映画を見ている今、そこには何も触れなかった。
と思えば次はなんだ? 意味のわからない理由で愛した人が死んで? そのショックで立ち直れない恋人が家族に励まされたかと思えば? 唯一の癒しだった犬が散歩をしていたらリードがちぎれ車に轢かれて死んだ? 私が今見ているのはお笑いか? これはもうウケ狙いだろ。と笑い堪えたのと同時に貧乏ゆすりが激しくなった。
話の全体は、絶望から立ち直るためにはどうするべきなのか。主人公はどうやって成長していくのか、そして愛が一番だよね。と言うことが言いたかったんだと思う。
それはよくわかる。わかったが、なぜ映画にした? テレビやネットでなぜここまで話題になった? 前に座ってたカップルや、隣に座ってたおそらくOLであろう女はなぜ泣いていたんだろうか。
僕たちは新しいことにチャレンジしましたなんて気取った態度のこの映画は何も新しくなかった。私たちが考えることを放棄してしまうくらい残酷なことを繰り返している時点で、ゴミだ。それが狙いならまだしも、そんなことを公式が言っていた記憶もない。私が忘れているだけだと思い、映画館を出てすぐに調べたが、やっぱり書いていなかった。
好みの問題なのかもしれないと希望を見つけたが、そういうわけでもない。私は私の好みが分からないし、好みが定まらないようにするために色んなジャンルの映画を順番通りに見るようにしている。
愛がなんだ、死がどうだというものが特別刺さるわけでもない。単純だからと1歩引いてるというのもないのに、今回の映画は本当にダメだった。
何もかもがつまらなかった。
憤りを感じたあの瞬間をまだズルズルと引き摺っている。私の後ろをダラダラと歩いていた、足を持ちあげない、革靴のうるさい足音を立てた虫のようで、本人は虫が大嫌いだと声を大にして言いそうな弱いサラリーマンのことを思い出した。鬱陶しいあの感じが似ている。それにまたタラタラと怒りが垂れてくる。
もういい加減にしてくれよ。と今度こそ視界を真っ暗にした。
がら空きのバスで私は立っている。上手く手に力が入らず、何度もよろけた。何もかもが下を向き、ペラペラになった私を誰もが惨めだと思い、軽蔑ではなく同情の眼差しをぶつけてきそうな見た目を今はどうすることもできない。
バスが来る前は髪から水が滴り落ちていたが、今はもう触ると鳥肌が立つくらいには乾いた。パリパリとした感触が、より私の体を冷やした。
あれだけ怒りを雨にぶつけたから、泣き疲れた赤ん坊のように私は疲れている。風呂に入るのもめんどくさいし、家に着くまでの間、このバスに乗っていることでさえもめんどくさくてたまらない。
次の停車駅で降りて、適当にベンチを探してそこで寝るのもありだ。もう体はこんなに汚れているんだから、今更雨の中眠りについたって綺麗になることはなく、ただ汚れていくだけ。
マイナスな状態からゼロに戻すのはものすごくめんどくさい。いっそ開き直ってどこまで汚くなれるかを考えた。
考えたはいいものの、自分が降りる駅は終点だ。動かずに、じっとしていることが何よりも楽なことに気づいた。
窓には水滴がついているし、道路は街灯のオレンジが反射して普段よりも夜がうるさい。余計な物が追加された夜は目を背けてもなかなか終わらない。
家に着いても抜け切らない映像のおかげで濡れた服を脱ぐことができない。だからと言って、濡れたままの体でベッドに行くわけにもいかない。放心状態のまま玄関で暗すぎる部屋を睨んだ。
髪が傷んでる。体が冷えてきた。私は気づいている。
同級生が自殺した。よくある死に方というのはこれで、次に私には好きな人ができた。ディナーに行き、都会の夜を手を繋ぎながら楽しんだ。彼の告白を受け止め、嬉しくて泣いた。その後はありきたりなことをただ繰り返した。一緒に映画を見たり、テーマパークに行ったりといわゆる恋人としたいことというものを長い年月をかけて叶えていった。
するとどうだろう。倦怠期というものがくる。これも当たり前のイベントだ。私の方がだんだんと冷めていき、彼に冷たく当たることが多くなった。彼の少し抜けているところが前までは愛おしかったのに、今では腹が立ってしょうがない。
倦怠期になったカップルからよく聞くのが、相手が変わったんじゃなくて私が変わってしまったというパターンだ。本当にそうなのか? と何度も考えたが、私自身が変わるのと同じように、彼だって変わるものだ。誰かの恋人だからと言って、片方だけが変わることなんてない。人間は時間が経てば経つほど変わっていく生き物で、楽しかった過去に縋りたくなるものだ。だから、悪い意味で彼が変わらないと騒ぎ立てるし、私が変わってしまったんだと浅い傷を自ら深くする。
お互いそんなことを繰り返していると、好きではなく、執着に変わっていってしまう。私はわかっていたから、過去と未来から身を剥がした。
なのに彼は違った。私が愛してくれないといい自殺した。意味がわからない。意味が、わからないんだ。私にとって都合の悪いことを考えたが、何も納得しなかった。
人に求めて、それが帰ってこなかったら死ぬ。愛というものはそういうものなのだろうか。一方的なもので、誰かが苦しまないと成り立たないものなのだろうか。
やっと靴を脱ぎ、トイレに駆け込んだ。胃液がダラダラと出てくるだけで、起きてしまった出来事を吐き出すことはできなかった。簡単に流せてしまう吐瀉物は可愛くなんかない。
余計に気持ち悪くなり、何度も吐いた。
初めの方は映画を見ることができなくなった。次に仕事が手につかなくなり、携帯すらも触れなくなった。実家に住んでいないことが唯一の救いだったような気がする。
何日も連絡が取れなかったからなのか、安堵に気づいた次の日に母が私の家に来た。傷を癒したかったわけでも、誰かに話を聞いてほしかったわけでもない。だけど、何かを隠して今の状況を説明する力は私にはなかった。
同級生が自殺したこと、彼も自殺したこと、その理由が私だったことを母に伝えた。すると一旦帰省するように言われた。母が帰るタイミングで、私も一緒に実家に帰った。
父や兄が私を見て、同情してきた。母が何か話したというわけでもなかったのに、やつれて醜い見た目に変わってしまった私を見て、あいつらはとにかく同情して、優しくした。
改めて家族の愛を実感し、楽になったような気がする。あくまで気がしただけだ。実際は、家族愛という不潔なもので頭がいっぱいになったから、余計なことを考えずに済んだだけだった。
健康的な生活を繰り返していくうちに、外にも出れるようになり、1日の終わりに散歩に行くようになった。ある時、父の提案で犬も連れて行くことになった。断っとけばよかった。汚れて古くなったリードに違和感を持てるくらいの余裕ができてから行くべきだった。
犬も犬で久しぶりの散歩だったみたいで、私が引っ張られてしまうほど強く前に進んだ。
「車だよ、待って」
そう声を出し、止まらない犬を止めるために、私はリードを少し強く引いた。ミヂッと聞いたことのない音を立ててリードが切れた。
そこからは簡単だ。また聞いたことのない音を立てて犬が潰れた。おかしいだろう。どうしてみんな私の把握できるところで死んでしまうんだろうか。
笑いが止まらなかった。笑うことしかできなかった。涙なんて出ない。目が覚めたら何かいいことが起こりそうな予感のある悪夢だと思った。ずっとそう思っていた。
だから、視界を真っ暗にして、もう一度目を開けた。なのに赤いランプが目の前に広がっているだけだった。
大勢の人がいろんなところから声を出していた。その声は私に向けたものもあっただろう。だけど、私の脳には私の笑い声しか響いていない。
映画だとハッピーエンドだ。最近の小説だと、こういう場合、何もうまくいかないまま終わる。それがリアルだからだ。それが現実で、今はそれが美しいみたいだから、そんなものばかり溢れている。
家族愛も私には癒しにならなかった。久しぶりに見た映画も救いにはならなかった。だから、私に起こった出来事を重ね、つまらないと泣き叫んだし、文句を言い続けた。イライラし続けた。
正直、見た映画は何も覚えていない。どんなジャンルだったかすら思い出せない。それくらいだ。今の私は何もかもそんなものにしか感じられない。
あぁ、私の作り上げた映画はどんなだっただろうか。もう思い出さなくてもいいのかもしれない。
母が作ってくれた私の好物のコロッケを思い出し、油の匂いが広がってしまったリビングを思い出し、また吐いた。
タイルの怪我 石田明日 @__isd
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