第7話 本体
「その、今の会社に上手くなじめないんです」
決して、悪い会社ではないという。
ブラックなわけでもないと彼女は言っていた。
ただ、仕事中、何をしても空回りしてしまうらしい。
ミスが重なり、結果残業が増えて毎日がどんどん辛くなる。
「全部、私のせいだってことはよくわかっているんですけど、どうすればいのか分からなくて。今朝も、会社の鍵を何処かに失くしてしまったみたいで」
「鍵、ですか?」
「そうなんです。ちょっと色々行き違いがあって私が社外で先輩から預かってたんです。朝確認した時はあったのに、会社に着いたらなくて」
それで、捜しに外に出てたのか。
鍵、か。
うん、もう渡した方がよさそうだ。
「あの、これ……」
ポケットから鍵を取り出し、彼女に見せる。
最初、彼女は呆然とした表情で鍵と俺の顔を交互に見つめ受け取るそぶりを見せなかった。
とりあえず、彼女と俺の中央にそれを置き、事情を説明した。
実は俺が彼女と同じ路線に乗っていて、たまたまホームで彼女が鍵を落とすのを見ていたこと。
気付いていないようだったので急いで鍵を取りにホームに出て、拾った鍵を渡そうと思ったらその瞬間に電車のドアが閉まったこと。
そして、鍵のプレートを頼りに此処まで来たら丁度彼女に出会えたこと。
唐突に泣かれたからすぐに鍵を渡せなかったこと。
「……え、……あ、そ、そうだったんですか。そうとは知らずに私、自分語りなんてしてしまって。ごめんなさい!」
「え、いや、話を聞かせてほしいと言ったのは俺なんで。こっちこそ、すぐ言わなくてすいません」
「いえ、私の方こそ……」
「いえ、俺の方こそ……」
「いえいえ……」
「いえいえいえ……」
どっちもテンパっていたのか、謎の押し問答が暫く続いた。
ようやく双方落ち着つと、彼女は鍵を取り、立ち上がった。
「本当に、ありがとうございます! じゃあ、私はこの鍵を会社に届けないといけないので……」
そう言いながら、彼女は携帯を取り出した。
「連絡先を、交換しませんか?」
連絡先を交換して、軽く会釈したのち彼女は急ぎ足で、というか走って会社の方に向かって行った。
ビルの中に消えていくまで見送り、再び俺はベンチに腰をかけた。
途端に、疲労感が襲い掛かってきた。
慣れない人探しと、重苦しい社会人の話を聞いたこと。
あんな話しすら、社会人の中では序の口なのかもしれない。
そう思うと、将来への何とも言えない不安がのしかかる。
まだ、大学生と言うワンクッションがあるが、それも2年経てばすぐに就活になり、同じプレッシャーを感じることになる。
「俺は、こんな所で何をしてるんだろうな」
中学の時はまだよかった。
好きなことがあって、それをずっと続けていくと思っていたから。
好きなモノから、ひどい仕打ちをされて、それで自分の心が折れる音を本当に聞く羽目になるなんて思ってもいなかった。
なのに、身体だけは馬鹿正直に朝早く起きて、学校に向かう。
部活を引退した直後はもっとひどかった。
無意識の内に部活の道具をカバンに詰めていた。
時間を確認すると、まだ昼になったぐらいだった。
一気に暇になってしまった。
「そうだ、映画でも見よう」
高校生は1000円で映画が見れる。
普段お金を使わないタチなので、この機会にちょっとばかし散財するのも悪くない。
上映中の映画を確認すると、いくつか面白そうな作品が上映されていた。
まずは一番興味の惹かれるSF映画をみて、体力に余裕があったら、……そん時考えよう。
映画館のあるショッピングモールに着くと、平日にも関わらず人が多かった。
だが、そんなことを気にせず、俺は最短距離で映画館に向かう。
目当ての映画の10分前に着いたので、少々違反になるが自販機でお茶を買い、それからチケットを買う。
金の無い高校生からポップコーンだのコーラだの、金をむしりとられてはかなわん。
でも、あそこで買うのが憧れでもあるので、もう少しお金に余裕が出てきたら買おう。
バッグにお茶を仕舞い、チケットと学生証を店員に見せて館内に入る。
学校サボってなにやってんだという感じだが、今は楽しもう。
───最高に当たりだった。
これでもかってぐらいド迫力で繊細なCG映像。キャラが魅力的だったし、何より内容がスッと入ってきてすぐにのめり込んでしまった。
正直、あの世界観にもうちょっと浸っていたい気持ちがあるので次の映画は見なくていいかもしれない。
でも、せっかくここまで来たし、まだ精神的にも体力的にも余裕あるし……。
ええい、ままよ。
そう意気込み、俺はもう一本気になっていた作品のチケットの欄をタップした。
───疲れた。
内容は、結構よかった。
けど、中盤辺りから前の映画の疲労が出てきて、ぼーっと見てしまっていた。
これは、もっかい観直そう。
うん、今週の休みにでも来て観よう。
外に出ると、だいぶ日が傾いていた。そういえば親に遅くなる連絡を入れてなかったのと思い出し、連絡アプリを開くと何故か親が了承済みだった。
映画を見た影響で記憶があいまいとしているのかな。何時の間にか連絡を
していて、俺はこんなに優秀だったっけ。
自転車に乗り、駅に向かう。
それなりに急げば、丁度いい電車に乗れる。
この時期の風は心地いい。生温くなり始めた空気が肌をなでるのを感じながら、俺はゆっくりとペダルを踏み続けた。
駅に着き、携帯を開くと鍵を渡した女性から着信があった。
開くと、後日お礼がしたいので休日で空いている日があれば教えてほしいとのむねだった。
すぐに、いつでも空いてますと返信しておいた。
電車は、あと15分で到着する。
ふと視線を感じて、入り口の方を見ると、学生が1人こっちを見ていた。
あまり気にせず改札口を通ろうとして、足元がふらついた。
『卓球の事は、任せたわ』
突然、聞き覚えのある声が脳内に響く。
なんのことだよと思った瞬間に、朝と同じ気持ち悪さが全身を駆け巡った。
『もっかいがんばれよ、石森慎吾』
「だから、なにを、……だよ」
ゆっくりと、深く、呼吸を繰り返す。
心臓が変な動悸になっている。誰かが駆け寄ってくるのが足音で分かった。
「大丈夫ですか、返事できますか」
駅員さんが来たのだと分かり、なんとかくぐもった返事をする。
だんだんと落ち着いてきたので、身体を持ち上げ、なんでもないことを伝える。
半ば無理やり駅員さんを引き離し、改札口を通る。
ホームに降り、ベストタイミングで来た電車に乗る。
席に座る。
もう暫くは、立ち上がれそうになかった。
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