第三十四話 決着

「……なにをっ、」

 ふらり、とムシュウがユーシュライの方に向かって歩みを進めた。ぱっとアーリシアンを背に庇いムシュウと対峙する。

「何を馬鹿なことを! ユーシュライ様、気がれたのですかっ?」

 ムシュウが叫んだ。ユーシュライはそっと首を振り、言った。


「私は気がれてなどいない。ムシュウよ、今後一切、この二人への手出しは無用だ。いいな?」

「なっ……、そんなこと、」


 わなわなと震えている。


「そんな馬鹿なことっ、」

「お前はまだ調べを受けている最中であろう。仲間を殺めたこと、おとなしく罪を償うのであれば、刑についてはある程度の配慮を、」

「黙れっ!」


 ピシ、

 部屋の窓ガラスにヒビが入る。


「アーリシアンは私のものだ! そして老いぼれたあなたに代わってこの地を統治するのも私だ! 裁かれるのはお前の方だ、ユーシュライ!」


 バリバリバリ、とガラスが砕ける音。そして砕けたガラスはそのまま宙に浮いている。


「危ない!」


 ラセルが叫ぶと同時に、硝子の破片が、ユーシュライめがけて飛んだ。ユーシュライはアーリシアンを庇う形で飛んでくる硝子に背を向けていた。


「きゃああっ」

「ぐあっ!」


 叫び声と、鮮血!


「アーリシアンっ!」


 ガン! と扉が開く。ドアをブチ破って入ってきたのはセイ・ルー、マリム、メイシア。メイシアが小さく息を呑み、目を背けた。

 辺りにはガラスの破片が散らばり、凄惨な光景だ。


「ラセル……、」


 セイ・ルーが言葉を掛ける。まさか、こんなことになってしまうとは……。


「……ああ、手加減してる間がなくてな」


 チラ、とムシュウを見遣った。

 ……いや、さっきまでムシュウであったものを、と言った方がいいだろうか。


「……ユーシュライ殿、怪我は?」

 セイ・ルーが近付き、手を差し伸べた。

「大丈夫なようだ。……アーリシアン?」

 腕の中で震えるアーリシアンに声を掛ける。アーリシアンは頷き、立ち上がるとラセルの方を見た。傷口からはまだ、出血があるようだ。しかしそれよりも、彼の顔を見て驚く。


「……ラセル、」


 ムシュウであったもの。

 それは今、形を留めていない。その体のほとんどがラセルの力によって破壊されている。粉々に、消し飛んでしまっているのだ。そこに残されたのは肉片と、むせ返るような血の匂い。その中に立つラセルは、まさに魔物そのものにも見える。しかし……、

『加減している暇がなかった』

 と、彼は言った。


(……そうか、)


 ユーシュライはやっと気付いた。彼は、黒の術を扱う者なのだ。白の術同様、いや、それ以上に強い古の力。昔、どこかで聞いたことがある。黒の術を使う者は、破壊神グラディアスの血を継ぐ者……。魔物の世界で彼は、神と同じくらい高い地位を持つことが出来るだろう。しかし、彼の表情はどうだ? まるで何も見ていない。力を使う事に抵抗を感じているとでもいうのだろうか? 本来なら誇らしいものの筈のその力を、彼はギリギリまで使わずにいた。もっと早く殺ろうと思えば出来たのに、ムシュウを生かしていたのは何故だ? 自分の持力を疎ましいと思っているかのようなその顔は……。


「ラセル……、」


 アーリシアンが、一歩、また一歩とラセルに近付く。

 こんな顔したラセル、見た事がない。

 何も見ていない虚ろな目。

 どこか、思い詰めたようなその表情。


「ラセル!」


 最後は駆け出していた。そのままラセルに飛び行き、力いっぱい抱きしめる。

「ラセルは悪くないよっ。私を守ってくれたんだもん。ラセルはなにも悪いことなんてしてないんだよっ!」

 何度も何度も、ラセルを弁護する言葉を掛け続け、細い腕で力の限りラセルを抱き締め、泣きながらラセルを庇い続ける。誰も彼を責めるものなどいないのに。彼自身が彼を責めているようで。そのことが、とても辛くて悲しくて。だから叫び続けた。


「本当の名はラセル……というのか?」

 ユーシュライは静かにそう言った。

 ピクリ、とラセルの肩が震えた。

「……ええ、」

「……地上に戻ったら、アーリシアンを魔物の住処に連れ帰るのか?」


 ふっ、と自嘲気味に笑って、ラセル。

「生憎、俺は追放された身でしてね。もう地の宮には帰れない」

 ピク、とユーシュライの眉が震えた。

(黒の力を持つ者が、追放、だと? そんな馬鹿な……)


「……そうか。それならいい」


 ユーシュライは深く頷いた。彼には彼なりの事情があるのだろう。アーリシアンを引き取って育てたというだけでも魔物にとっては命を削る危険な行為だ。その上契約を結んだともなれば、帰れる家を失ったも同じ。追放された、という事は少なからず、彼のしたことに対し仲間からの制裁を受けたということなのだ。魔物としての誇りを捨ててまで、アーリシアンと共に生きて行こうと彼が思っているのだとしたら、一体どうして二人を咎められる? それほどまでに、娘を愛してくれているのならば……、


「……どちらへ?」

 そっと席を外すユーシュライに、セイ・ルーが声を掛けた。

「屋敷の者たちが彼の姿を見たら大変だ。私は少し、嘘をついてくる」

「ああ、そのことでしたら、」

 この部屋に幻術を掛けてあるので大丈夫、と言おうとして口を閉ざす。自分が白の術を使うこと、ユーシュライに告げてもいいものか迷ってしまったのだ。力によって身を滅ぼしたムシュウの亡骸を前にしているのだ、躊躇いが出たのは至極当然ではある。


「悪いが、彼に伝えてくれないか」

 抱き合っている二人の姿を見つめ、ユーシュライ。それはとても穏やかな、幸せそうな顔だった。

「……あなたを信じる。娘のことを頼みます、とね」

 マリムとメイシアがわっと手を取り合った。


「……あっ、ありがとうございます」

 セイ・ルーは慌てて礼を述べると、深々と頭を下げた。

「……フィヤーナもきっとわかってくれるだろう」

 それだけ言うと、ざわざわする廊下へと姿を消した。扉の向こうから部屋を覗くと、カラッポの空間が見えるはずだ。外のざわめきは、いる筈のユーシュライの姿が部屋にないことと、部屋に入れないことが原因だろう。ユーシュライの姿が突然現れ驚いたのか、外のざわめきが一段と大きくなった。


「……さあっ、ラセル、アーリシアン、地上に戻りましょう!」


 パンパン、と手を叩き、セイ・ルーが二人に声を掛けた。ラセルはセイ・ルーを見、不機嫌そうに言った。


「お前が仕切るな」

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