第三十三話 父の愛

「アーリシアン!」

「……セ…ル、」


 ムシュウがぱっと男を見遣る。そして息を飲んだ。


「……お前は、」

 角はない。髪の色も違う。しかし、どこをどう見てもこの男はあの魔物ではないか!


「セルマージ殿!」

 ユーシュライが名を呼んだ。そして、ムシュウは全てを理解した。

「なるほど、そういうことか」

 苦虫を噛み潰したような顔から、怒りの表情へと変わってゆく。そして、吐き捨てるようにして叫んだ。


「……さっきは一瞬だったから気付かなかったが、私の体に傷をつけたのはお前だったのかっ。この、化け物がーっ!」


 そして……力を使ったのだ。


 ドオオオオ、と部屋中に風が吹き荒れ、辺りの物を蹴散らかした。ユーシュライが風を避け、その場にしゃがみ込む。ラセルは顔を腕で覆い、しかしすぐに応戦した。

 ピタ、と風が止む。


「アーリシアンを、放せ!」

「ふんっ、そんなナリまでして、一体どういうつもりだ? どうやって天上界まで来たんだ、化け物め! ユーシュライ様、この男こそがアーリシアンを騙し、契約を結んだ魔物ですぞ! 騙されてはなりません!」

「なん……だと?」

 ユーシュライが、言葉を挟む。

「しかしこの男はアーリシアンを救った、と」

 それに、どこをどう見ても精霊の姿をしているのだ。彼が魔物だとは信じられなかった。


「私からアーリシアンを奪い去り、大怪我を負わせ口を塞ぎ、次にはユーシュライ様にも手を掛けようとしているのか!」

 ムシュウはここぞとばかりに付け込んで自分のいいように話を進め出した。ラセルは黙って聞いている。


「……そうなのか?」

 ユーシュライは、ラセルに向かって問う。ラセルは軽く肩をすくめると、答えた。

「あんたがアーリシアンを思う気持ちは痛いほどよくわかるつもりだ。騙したことは謝る。だが、俺にはアーリシアンが必要だ。悪いが、あんたのところに帰すわけにはいかない」

「…ラセル、」


 アーリシアンがムシュウの手の中で呟く。こんな風にちゃんと気持ちを口にしてもらえたのは初めてだ。本当に、嬉しかった。


「ほざくな! 今更どんな言い訳をしようとアーリシアンは渡さん!」

 言うなり、パチリと指を鳴らす。ラセルめがけて幾本もの白い矢が飛ぶ。

「ラセル!」

 ラセルはパッと腕を前に付き出した。矢は、ラセルの手の先でその動きを止め、バラバラと床に散った。


「クッ、手も足も出まい。せいぜい苦しみながらくたばるがいいわっ!」

 シュッ、と光の矢が放たれる。その矢はサクリとラセルの胸に突き刺さった。


「いやぁぁぁぁっ!」


 アーリシアンが目を背けた。

 ラセルはうっ、と小さく声を上げ、体を曲げると膝を突いた。幻術が解け、魔物の姿に戻る。ユーシュライが呆然とその姿を見つめていた。その、黒い生き物を。


「……なんて事だ」


 ムシュウの言う通りだった。アーリシアンは自分に嘘をついていたのだ。それはユーシュライにとってこの上なく辛い事実だった。

「ラセル! ラセル!」

 アーリシアンが、もがく。ムシュウは手にしていたナイフをラセルに向け、放った。ヒュッ、と空を舞ったナイフは、ラセルに留目を指す! ……筈だった。が、


 カラン、


 突き刺さる前に、ナイフは何かに弾かれるようにして転がった。咄嗟に結界を張ったのだ。


「なにっ?」

 その瞬間、ムシュウの手が少しだけ緩んだ。アーリシアンは、ガブリとムシュウの手に食いつき、

「くっ、」

 ムシュウが手を引いた一瞬に彼の腕をすり抜ける。

「ラセル!」

 ラセルの元へと駆け寄る。ラセルは膝を突き、うつむいたまま、ピクリとも動かない。


「ラセル! ねぇ、ラセル!」

 足元には血溜が出来はじめている。

「なんてことをっ! よくも、よくもラセルをっ!」

 今にもムシュウに飛びかかりそうなアーリシアンの服の裾を、ラセルが握った。

「……ラセル?」

「……大…丈夫だ…、」

 あまり大丈夫そうではない声で、そう告げる。ムシュウがフン、と鼻であしらった。


「そんなことを言っていられるのも今のうちだ。ここでお前に会えるとは、探す手間が省けたというもの。ここでお前に留目を刺し、アーリシアンは私のものとなる!」

 高笑いのムシュウを前に、しかしラセルは少しも慌てた風ではなかった。ゆっくりと立ち上がると、胸に突き刺さっていた矢を掴み、引き抜く。


「ったく、しつこい男だね、あんたも」

 握られた矢が、ラセルの手の中で砂と化しサラサラと散った。

「アーリシアンはお前のことなんて大っ嫌いだとさ。いい加減諦めろよ」

 ふっ、と馬鹿にしたように、笑う。それを見たムシュウがみるみる間に顔を赤くした。

「力ずくで女をモノにしようなんざ、モテない男の悲しい性だな」

 吐き捨てる。


「おのれ、言わせておけば、」

「ユーシュライ殿、騙してて悪かったな。アーリシアンに嘘をつくように言ったのも俺だ。彼女は悪くない。あんたも立場上、自分の娘が魔物と契約しているなんてこと許せはしないんだろうが、生憎俺は死にたくない。そんなわけで、アーリシアンはもらっていくよ」


 言葉遣いこそ乱暴だが、その物言いはとても優しい響きを含んでいた。


「父様、私騙されたわけでも何でもない。ただ、ラセルが好きなのっ。それだけなのっ。ラセルと一緒にいたいのっ。だって、私が生まれたときからずっとそうだったんだもの。これからもラセルと二人でいたいの!」

「……生まれたときから?」


 ユーシュライが繰り返す。


「そうよっ。母様の死を看取ったのはラセルなのよ? 母様から私を譲り受け育ててくれたのも、世界中で一番私を愛してくれてるのもみんなラセルなんだからぁっ!」

 ポロポロと涙を流し、ラセルにしがみついたまま訴え続けるアーリシアン。ユーシュライはそんな娘の姿を見、なんとも切ない気持ちになっていた。確かに、魔物との契約など認められるものではないのだ。しかし、この場でこの男を殺したなら、きっとアーリシアンは自らも命を絶つだろう。そんなこと、許せる筈もなかった。……ならば、道は一つだ。


「……ならば地上へ帰りなさい」


 ユーシュライが静かに告げる。

 他に方法など見つからなかったし、立場よりも今は、アーリシアンの幸せだけを考えたかった。


「……え?」

「アーリシアン、その男を連れて地上へ帰りなさい」

「……父…様?」


 ポカン、と口を開け、アーリシアン。


「私の娘は死んだ。母親のフィヤーナが死んだときに、私の娘も死んだのだ。私はね、フィヤーナとの間に生まれた子供が生きていたなら、どんなことをしてでもその子を幸せにしてやりたいと願っただろう。しかし娘はいないのだ。残念だが、仕方のないことだ」


 淡々と、そう語る。


「……じゃあ、」

「私は何も見ていない。屋敷の者たちには、人違いだったと言えばよい」

「……父様、」


 アーリシアンが立ち上がり、ユーシュライに駆け寄った。そのまま飛びつくようにして首にしがみつく。


「ありがとう!」


 その温もりはとても懐かしい、温かいものだった。……そう、フィヤーナと同じ匂い。

ユーシュライは、そっとアーリシアンの背中を抱き締めた。愛しい娘。


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