第三十五話 それぞれの場所

『術者が消えたんだから、術も消えているはずだぞ』


 そう言い切ったラセルの言葉は嘘ではなかった。

 セイ・ルー、マリム、メイシアは、魂を捕らえられたピグル達の村……メイシアの村へと戻ってきていた。セイ・ルーの張った結界である魔物達がウヨウヨしている。幻といえど、やはり気持ちが悪かった。初めてそれを見たマリムなどは、大騒ぎだ。

 セイ・ルーが天高く手をかざし、結界を散らす。と、そこには元の村の姿が現れた。


「……メイシア、」


 村に入ると、一軒の家の中から一人のピグルがメイシアの名を呼ぶ。


「お母さん!」


 メイシアがダッと駆け出し、母親と抱き合った。奥や他の家からもぞろぞろと他のピグル達が顔を出す。どうやら、ラセルの言う通り術は完全に溶けているようだった。


「……セイ・ルー、わかっているんでしょうな?」

 小声でマリムがそう言い、セイ・ルーを突付いた。セイ・ルーもまた、小声で返す。

「もちろん、わかってますとも」

 そして父と母を連れ、戻ってくるメイシア。当然のごとく、こう言った。


「お父さん、この人はセイ・ルー。私の婚約者よ」

 メイシアの父と母は、娘の結婚相手が精霊であることに驚きを感じつつもセイ・ルーに対しては好印象のようだった。


「そのことですがね、メイシア」

 セイ・ルーが切り出す。

「どうしたの?」

 メイシアが何の気なしに尋ねる。この笑顔を壊すのかと思うと、多少気が重いが、このまま彼女と契約を結ぶことなど出来やしないのだから、仕方あるまい。


「あのですね、えー、実は、私にはもう婚約者がいます。だからあなたとは結婚出来ない。申しわけありませんが、ご承知ください」


 ペコリ、と頭を下げる。周りで村人達がザワリと揺れた。これだけの大勢が聞いているのだ。彼女にとっては屈辱かもしれないが、きっと自分を嫌ってくれるだろう。そして泣き出し、走り去るメイシアをマリムが追って慰める、という筋書きだった。

『いい案だと思いますぞ。所詮あなたは天界へ戻るお人だ。その点、私はメイシアちゃんの側に一生いることが出来るのですからな。はーっはっはっは』

 と、計画を告げたときのマリムは自身満々に言ったのだ。

 が、


「セイ・ルー、嘘が下手ね」


 ふっ、と大人っぽい、艶っぽい微笑み(あくまでもピグル的に、であって、セイ・ルーにはそうは見えなかったが)を返し、メイシアは言った。


「そんなつまらない嘘を吹き込んだのはマリム?」


 名を呼ばれ、ギクッと肩を震わせる。


「セイ・ルー、私だって精霊の基本的な生態は知っているわ。精霊は、あらゆる種族の中でもとても愛を重んじる生き物。……心から愛した者とでなければ契約を交わせないって事もね」

「メイシア、」


 セイ・ルーが安堵の息を漏らす。彼女の涙を見ずに済むことは、とても有り難かった。


「あなた、これから天上界に戻るの?」

 吹っ掛けられたとも知らず、

「いいえ、しばらくは地上で生活しますよ。痛てててっ」

 マリムに足を踏まれた故の悲鳴である。

「なら、まだ私にはチャンスがあるっていうことね。あなたが地上にいる間のお世話は私がいたします。ね?」


 パチリ、と片目を瞑る。


「ええっ?」

「メイシアちゃんっ」

 思ってもいなかった返答に驚く二人。


「だって、そんな、メイシアのお世話になるなんて……ねぇ?」

 思わずマリムに同意を求めてしまう。

「そうですともっ。そんなことっ、許せませんぞっ」

「あ~ら、マリムに許してもらおうなんて思ってないわ。……お父さん、いいわよね?」


 振り向き、父親に尋ねる。と、


「お前のしたいようになさい」

 ……理解のある父親である。


「と、まあそんなわけだから」

 ニッコリ、満面の笑みで微笑むメイシアなのである。


「……は…はは、」


 苦笑いで返すセイ・ルー。

(そりゃ、確かにマリムやメイシアと一緒にいたら、ピグルの生態もよくわかるだろうけどなぁ)

 なぜかセイ・ルー、ピグルという種族に興味心身なのである。ついでに言うなら、ラセルのようにピグルの幻術もマスターしたいと思っていたのだ。


「さあ、村中を上げてあなたの家を作ってあげるわ、セイ・ルー。何しろあなたは私たちの命の恩人ですもの!」




 その夜、ピグルの村では村を救った英雄であるセイ・ルーの歓迎会と、追放されていたマリムを迎え入れるという許しが出た祝賀会とで宴会ムード一色、大いに盛り上がった。セイ・ルーが飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしているその頃、ラセルとアーリシアンは森の中の家にいた。ラセルの傷はメイシアとマリムによるピグル的癒し治療のおかげで随分よくなっている。


「……静かね」

 アーリシアンが、ラセルの肩に頭をもたげて、言った。

「そうだな」

 ラセルは窓の外、星の輝く空を見上げて返した。


「……私ね、」

 アーリシアンもまた、空を見上げる。


「ん?」

「私、父様に会えて、よかったと思ってる。父様ね、私と話してるとき母様の話を沢山してくれたの。母様がどれだけ父様と愛し合っていたか。どれだけ父様の子を産みたがっていたか」

「……そうか」

「父様、言ってた。『お前を育ててくれた人にはどんなに礼を述べても足りない』って。『母様の残した大切な宝を、今まで守り抜いてくれたのだから』って」


 父親の気持ちならラセルにだってわかる。なにしろ隣に座っているのは紛れもなく自分が育ててきた娘なのだから。

 そう考えると、やはり自分の持つアーリシアンへの気持ちは父性愛なのかもしれない、とも思ってしまうのだが……。


「あのね、ラセル。私ラセルが好きよ。誰よりも、誰よりもラセルのことが大好きよ」


 愛しい。


 その思いに間違いはない。だが、

(……それだけでいいだろうか?)


「早く子供作ろうね」

「ぶっ、」


 唐突なアーリシアンの言葉に思わず赤面してしまうラセルなのである。


「おっ、お前なぁ、」

「だぁって、子供は愛の結晶でしょう? 私とラセルの愛の結晶、早く欲しいもんっ」


 せがむアーリシアンを、押し退ける。


「それはまだ先!」

「どうしてよー。ラセルのケチっ!」

「ケチ、って、あのなぁ、」

「ケチったら、ケチ!」

「ついこの前大人になったばかりのお前に、子供なんかまだ早い!」

「意地悪っ」

「何とでも言え!」


 くしゃ、とアーリシアンの頭を撫でつけ、なんとなく場を濁す。よくよく考えてみると魔物と精霊の間に子など設けられるのか、それすら謎だ。角と羽が両方生えてる子供が出てきたらどうするんだろう。少し、怖くなり苦笑い。


「……ま~、そのうち、な」


 今はこのままでいい。

 しばらくは、こうして二人で、静かに時を重ねていればいい。愛する者と同じ時間を共有出来ることが、二人にとって一番大切なのだから……。

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