第三十一話 地上への帰り方


 ポタリ、と血が滴る。


「……くそっ」

 暗闇に紛れて息を着く。力を使ったせいで傷口が開いたようだ。体中の痛みが彼の五感を狂わせていた。


「……あの男、一体どこのどいつだっ? アーリシアンを攫って行ったのはあの男なのかっ? もう少しで……もう少しでアーリシアンは私の手に落ちる筈だったというのにっ」


 敗北感。


 傷の痛みと、全てを失った絶望に打ちひしがれ、やがてそれは憎悪となってムシュウの心を支配しはじめていた。

「このままで済むと思うなっ、」


 今や、彼は全てを敵に回したと言っていいだろう。仲間を殺した罪は大きい。その上、ユーシュライには誤解を受けたままなのだ。このままでは自分一人だけが罪人扱い。一刻も早くユーシュライの誤解を解き、あの男を殺さなくてはならない。


「ユーシュライ様は騙されているのだっ。私はただ、ただっ、」

 目は赤く充血し、息は荒い。

 ムシュウは呼吸を整えると目を閉じ、意識を集中させる。あまり力を使うと命に関わるかもしれなかった。ユーシュライの元へ飛ぼうと試みるも、途中でやめる。

「……もう少し…もう少し落ち着いてからでなければ、」

 傷口からの血は、いつしか、ムシュウの足元に小さな水溜りを作っていた。


「せめて、この血が止まるまでは」


 逸る気持ちを押さえる。

 アーリシアンは、いる。

 この屋敷のどこかに、いるのだ。

 ユーシュライの誤解を解き、あの男を殺した後でユーシュライに報告しよう。アーリシアンをもらい受ける、と。なに、ユーシュライはきっと賛成してくれるはずだ。自分こそがアーリシアンにふさわしい相手だと、認めてくれるはずだ。焦ることはない。


「……ふ…ふふ、」


 ムシュウの目は、もはや正常な者のそれではなくなっていたのである。






「……と、まぁ大体こんなとこだな」


 ラセル……とはいえ姿は精霊なのだが……は、唐突に部屋を尋ねてきた面々に一通りを説明した。もちろん、その前にセイ・ルー達の経緯も全て聞いたのだが。

 広い客室には簡単なリビングまで設置されており、四人はそこで茶など飲みながら報告会をしていたのだ。ちなみに、お茶を運んだのはメイシアである。彼女は調理場に出向きこう言ったのだ。

『セルマージ様にお茶を頼まれたのですが、お部屋はどこをお使いなのでしょう?』

 と。

 慌しい上に時間も大分遅い為か、すんなりと場所を聞き出すことに成功したというわけだ。マリムと違い、メイシアは機転が利く。


「じゃあ、今アーリシアンはユーシュライ様にその話を?」

 セイ・ルーが尋ねる。たった今ラセルの立てた筋書きを説明したところだった。

「そう」

「でも、上手くいくのかしら?」

 メイシアは不信顔だ。マリムは腕を組み、一心に何かを考えている様子だった。

「まぁ、無茶な話だとは思うが、地上に帰るにはそれしか方法はないだろう」

「……しかし、どうやって帰るつもりだったのですか?」

「そこなんだ」


 ラセルはポリ、と頭を掻き、続けた。


「俺はユーシュライに、白の術が使える者だと思われている。だから地上へも降りられる、という設定なんだが、正直なところどうやったら地上へ帰れるかなんて知らん。ユーシュライを丸め込めたとしても、下手すりゃ次の月食まで帰れないかもしれないと気付いたのはつい、さっきだ」


 自信満々に、ラセル。とても威張れる話ではないのだが……。


「なに言ってるんですか、ラセル。月食のとき精霊達が通る道は飛んで渡る道ですよ? ラセル、飛べないでしょう?」

 ピグルの幻術では羽は飾り物なのだから。

「……あ、」

「私が戻らなければ、一生天上界暮らしだったわけですね」

 ふふん、と余裕たっぷりにセイ・ルーが笑う。子供が、当たり前のことを自慢するのと似ている。ラセルは無言でセイ・ルーの頭をゴン、と叩いた。


「痛っ! 何故殴るんですっ」

「なんかお前、時々むかつくんだ」

「ひどっ」

「大丈夫ですかっ? セイ・ルー!」

 メイシアがセイ・ルーの頭を撫でた。マリムの目がギラリと光った。


「なんにせよ、結果オーライだな。セイ・ルー、話が纏まったら、俺とアーリシアンを地上に送ってくれ。上手いこと俺が力を使ったみたいに見せてな」

「注文が多いですね」

 セイ・ルーが口を尖らせ、言った。

「……反抗的だな」

 ジロリとセイ・ルーを睨みつけるラセル。セイ・ルーは首をすくめて目を閉じた。


「しかし、ユーシュライは承諾するでしょうか? もし、首を縦に振らなかったらどうするおつもりですの?」

 尋ねるメイシアに、ラセルは肩をすくめた。

「さぁね、それはアーリシアンが決めればいいさ。親子の問題なんだ。……もしトンズラしたとしても、もう追っ手はよこさないだろうけどな。ムシュウは今頃、きつい尋問をされている筈だし……」


 頭の後ろで手を組み、背もたれにそっくり返るラセル。


「え?」

 セイ・ルーが首を傾げる。

「……あの、ラセルさんもしかして、」

 おずおずと口をついたのはメイシア。

「なんだよ?」

「……ムシュウ、逃げ出したみたいなんですけど、」

「……はぁっ?」


 ラセルが勢いよくテーブルに手をついたせいで、ガチャン、と食器が揺れた。


「そういえば、その話するの忘れてましたね」

 セイ・ルーが苦みばしった顔で笑った。

「バカどもっ! それを先に言え!」

 立ち上がると、ラセルはシュルリと部屋から姿を消した。煙に巻かれるかのように。

「私たちも、早く!」

 メイシアが立ち上がる。セイ・ルーは頷いてマリムの方を見た。……無反応である。

「……マリム?」

「ん? ああっ、行きますぞっ」


 はっ、と顔を上げ、慌てて返事をするマリム。どうやら話を聞いていなかったわけではないようだ。

 そして三人は、またしても屋敷の中をさ迷い歩くハメになるのである。

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