第三十話 小人(ピグル)天上界へ行く

 丸い、月が美しく輝いていた。

 辺りはぼんやりと青い光に照らされ、昼間とは違う幻想的な風景を映し出していた。


「……ああっ、なんて美しいのっ」


 手を胸の前で組み、目をキラキラさせているのはメイシア。その姿は幻術によって精霊の姿に変えられている。美しい、女の姿だ。


「まぁ、こんなもんですよ」

 そう、コメントしているのはマリム。一応こちらも精霊の姿をとっているのだが、三頭身である。


「……帰って来てしまった」

 溜息交じりに呟いているのはセイ・ルー。結局、二人に押され天上界まで連れてきてしまったのだ。


「よっしゃ、ユーシュライの屋敷に乗り込むぞ!」

 元気よく拳を振り上げるマリムを横目に、またしても溜息の出てしまうセイ・ルーである。

「乗り込むって言っても、そこにムシュウがいるという確信はないのですよ?」

「でも、ラセル殿はいるのでしょう? それに、アーリシアンだって一緒の筈ですぞ。だったら乗り込んで二人を救出するのに何ら問題ありますまいっ?」

「そりゃ、そうなんですけど、」


 気が乗らない。

 なにしろユーシュライの屋敷というのは馬鹿でかく、乗り込んだからといってラセルに会うことが可能かどうか。不審人物として捕まってしまったら、それで終わりなのだ。しかもセイ・ルーは一度アーリシアンを地上に戻すことに手を貸している。バレたら命に関わるかもしれないというのに……。


「夜のうちなら忍び込みやすいし、今がチャンスですわ、セイ・ルー。行きましょうっ」

 メイシアがセイ・ルーの腕を掴んだ。マリムがそれを見てムッとする。

「え、ああ、はぁ」

 結局、メイシアに引っ張られるようにしてユーシュライの屋敷へと足を運ぶことになったのである。


「……ここですよ」

 高い塀に囲まれた巨大な屋敷。門は硬く閉ざされ、静まり返っている。天上界は元々物騒な場所ではない為、見張りなどは置かれていない。しかし、閉じられた門を開けることは出来ないので、別の入口を探さなければならなかった。

「セイ・ルー、飛べ」

 マリムが塀を指して、言う。

「はぁ?」

「アーリシアンとここを脱出したときは、塀を乗り越えましたぞ。飛んで」

「ここをですかぁ?」


 思わず、見上げる。


「……メイシア、飛べません?」

 駄目もとで聞いてみる。が、メイシアは眉を寄せて首を振った。

「ピグルの幻術はあくまで作り物ですから、羽根があるからといって飛べるわけではないんです」

「……やっぱり」

 セイ・ルーがガクン、と肩を落とす。


「二人いっぺんは無理ですわね」

 メイシアがセイ・ルーを気遣った。セイ・ルーは仕方なく、メイシアを抱き上げると、飛んだ。

「くそっ。今に見ておれっ」

 メイシアが頬を染めてセイ・ルーにしがみついている様子を下から見て、マリムが呟いた。

「きっと、きっとメイシアちゃんを振り向かせて見せる!」

 二人の姿が完全に見えなくなる。マリムはウロウロとその場を歩きはじめた。

「むぅぅっ、しかし、どうやって?」

 肝心なところが纏まっていないマリムなのである。


「マリム、」

 ファサ、と羽音がし、セイ・ルーが頭上より降りて来る。

「遅いですぞっ、セイ・ルー」

「すみません。なんだか屋敷の中がおかしいんですよ」

「……おかしい?」

「ええ。夜も深けているというのに、慌しく人の行き来する様子がありまして、」

「ラセル殿の身に、何かあったと?」


 声が鋭くなる。


「わからないんです。とりあえず、行きましょう」

 ふわ、と足が宙に浮く。何度経験しても、あまり心地のいいものではない。グングンと壁を進み、やがて、越える。確かに屋敷の窓はあちこち明かりが灯り、人の影がチラついているようだ。


「この騒ぎなら、返って進入しやすいかもしれませんね」

 セイ・ルーが言った。

「……なるほど」

 トン、と地面に降り立つ。木陰に隠れていたメイシアが顔を出した。


「セイ・ルー、今っ、」

 なにやら切羽詰った様子でメイシア。

「どうしたのっ、メイシアちゃんっ」

「今、何人かの精霊がここを通って言ったの。とても険しい顔で」

「メイシア、見つかりませんでしたかっ?」

 セイ・ルーが辺りを警戒した。


「ええ、それは大丈夫だったんだけど、おかしな事を言っていたわ」

「おかしなこと?」

「そうなの。『ムシュウが逃げ出した』って。逃げ出したって、一体どういうこと? 彼、ここの主人の言い付けでアーリシアンを攫いに地上へ降りたのでしょう?」

「……そう…ですね」

「逃げた、ってことは、拘束されていたということですかな?」


 と、マリム。


「けど、何故?」

「それは謎ですが、屋敷が賑々しいのはそのせいということですかね? セイ・ルー」

「ううん、そうじゃないの」

 メイシアが尚も続ける。

「そうじゃない?」

「ええ。だって言ってたもの。『ユーシュライ様は今、大切な時を過ごされているのだから早く見つけ出さないと大変だ』って」

「大切な時を、」

「過ごしている?」


 マリムとセイ・ルーが頭を抱えた。


「ってことは、もしや」

「アーリシアンが見つかったということですかなっ?」

「しっ!」

 セイ・ルーに口を塞がれ、もがくマリム。

「その可能性は充分ありますね。しかし、見つかったのはどちらのアーリシアンでしょうねぇ?」


 そうだ。ラセルもアーリシアンの姿をしていたはず。そして、本物のアーリシアンもラセルの元にいるはず。一体ユーシュライはどっちのアーリシアンと会っているのか。


「とにかく、潜り込みますよ」

 セイ・ルーは二人にそう言った。マリムとメイシアは神妙な面持ちで頷いたのである。


 案内人はマリムが務めた。一度、中に入ったことがあるから、という理由なのだが、その足取りは右へ、左へとおぼつかない。途中何度か屋敷の者とすれ違ったが、にこやかに挨拶を交わすだけで、特に疑われる様子はなかった。さすがに大きな屋敷だけあって、見知らぬ顔がいても不思議はないということなのか。時間も時間なので、そう、人は出歩いていないようだ。

 長く続く廊下を曲がったところで、また一人、屋敷の人間とすれ違う。


「今晩は」

 セイ・ルーがにこやかに挨拶すると、その男は立ち止まり、三人をジロリと睨んだ。


「……ちょっと待ちなさい」


 ギクリ、

 冷や汗が流れる。


「あの、なにか?」

 メイシアが笑顔で対応。と、男は、

「こんな夜更けに、何用ですかな?」

 と突っ込んで来る。

(こいつ、警備の者か?)

 セイ・ルーが体を硬くしていると、


「何やら手が足りないからと、叩き起こされたのですわ」

 メイシアが少し怒ったようにそう言った。男はふっ、と笑みを漏らすと、

「まぁそう言うな。ユーシュライ様がやっとアーリシアン様とお会い出来たんだ。めでたいことではないか」

 男がにこやかに諭す。


「それはそうですが、なにもこんな夜更けでなくとも」

「一刻も早く会いたかったのであろう。さすがにセルマージ殿はもう休まれたようだが、親子の語らいはまだ続いているようだ」

「…セルマージ……殿?」


 セイ・ルーが聞き返す。


「ああ、アーリシアン様をお救いくださった人の名さ。聞いていないのか?」

「アーリシアンを、救ったぁ?」

 素っ頓狂な声を出すマリムの足を、メイシアがギュムウ、と踏みつけた。

「ひっ!」

 白目を剥くマリムの前に立ち、セイ・ルー。

「すみません、名前までは存じ上げませんでした。……で、そのセルマージ様というのはどこの御方なので?」

「さぁてね、そこまでは知らないんだが、なんでもアーリシアン様はセルマージ様にお熱らしいね」


(アーリシアンがお熱? それってつまり、)


「……あの、」

 おずおずと、メイシア。

「まだ、何か?」

「先程庭の方で慌しい声がしてまして、聞いてしまったのですけれど……その、ムシュウが逃げ出した、というのは」

「しっ!」


 急に男の顔つきが変わる。


「それは、今、我々で全力をあげて追っている。大事にしたくはないのだ。黙っていてくれないか?」

「……わかりました。でも、」

「でも?」

「逃げ出したって、どういうことですの?」

「見張りの者が二人、殺されたんだ。あれだけの大怪我を負っていながらまだ力を使うとは思っていなかった。折角セルマージ殿が命だけは、と助けてくれたというのに……」


 セイ・ルー達三人は、顔を見合わせた。

 どうやらセルマージと名乗っているのはラセルに間違いないようだ。そしてラセルは、ムシュウに傷を負わせ、アーリシアンを父親に会わせている。しかし……どうして? 一体どうするつもりなのだ?


「さて、無駄話は終わりだ。早く手伝いに行ってくれ。それから、くれぐれもムシュウ様のことは、」

「心得ております」

 三人は静かに礼をして男を見送った。メイシアの機転のおかげで大体の情報は掴めた。


「さて、どうする?」

 セイ・ルーがメイシアを見遣る。メイシアはふっと笑うと言った。

「ラセルに会いに行きましょう」

「ええっ? ラセル殿に? ラセル殿がどこにいるのかわかったのでっ? メイシアちゃんっ!」


 どうやらマリムだけは、今の話を聞いても情報が掴めていないようだった。




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