第二十二話 変身

「……面白いな、あいつ」

 喜び勇んで外に出て言ったセイ・ルーを見送り、ラセル。


「ラセル殿、念の為聞きますが、奥義なんてものが本当にあるんですか?」

「……さぁ?」

 ふふん、と笑って答えるラセル。

「やっぱり……、」

 マリムは、ドアの向こうで小躍りしているだろうセイ・ルーをはじめて可哀想だと思ったのである。


「さ、寝よ寝よ」


 ふぁぁ、とあくびをするとベッドに潜り込むラセル。同じベッドに、アーリシアンも潜り込もうとする。ガバと跳ね起き、ラセル。

「コラ! お前のベッドはあっちだろう!」

 隣を指し、怒鳴る。

「それは小さいときの話でしょうっ? 今は私、ラセルの奥さんだもんっ。一緒に寝るのが当たり前じゃないっ」

「あっ、あのなぁ、」

 スリ寄って来るアーリシアンを避けながら、ラセル。


「お前のベッドは隣!」

「もうあのベッドは私には小さいのっ! 大体、私がそっちのベッド使っちゃったらマリムはどうするのよっ?」

「マリムは床で寝るからいいの!」

「そんな、ラセル殿……、」

 情けない声のマリムは完全無視で続ける。


「じゃあセイ・ルーはっ?」

「あいつは寝ない!」

 ひどい発言である。

「だってラセル。子供はいつ作るのっ?」

「ぶっ、」

 マリムが鼻血を噴射した。ラセルも心持ち顔を赤らめる。


「アーリシアンっ! 変なこと口走るなっ」

「変なことじゃないもんっ。一緒に寝なきゃ子供は出来ないんでしょっ?」

 ハタ、と気付く。

(……こいつ、わかってないな、こりゃ)

 コホン、と咳払いを一つし、ラセル。


「アーリシアン、今は子供を宿しているときではない。もう少し落ち着いてから、だな、」

「そんなこと言って! 一緒に寝るのが嫌ってことぉ?」

 じわわ~、と目に涙を溜める。

「ううっ、そうじゃなくて、だな、」

 焦るラセルにマリムが追い討ちをかける。

「ラセル殿、私、席を外しますのでどうぞ子作りの方を、」


 ゴンッ


 黙らせる。


「お願い、ラセル。離れるのはもう嫌なの。一緒に寝て欲しいのっ」

 駄々ではない。本気だ。

 ラセルは大きく息を吐き出すと、仕方なく頷いた。

「……わかったよ。マリム、お前そっちのベッド使っていいから」


 ピッ、と隣の小さいベッドを指すと、自分は大きい方に横になった。アーリシアンが嬉しそうにラセルの布団に入り込む。

「少し、離れなさい」

「やだっ。くっつくもんっ」

 イチャイチャしている。

 マリムにはそうとしか思えなかった。

「ばっ、スリ寄るなっ」

「ラセル~」


 ブッ、


(朝までに、私の血はなくなっているかも知れませんぞ、ラセル殿)

 心の中で、呟く。

 しばらくすると、安心したのかアーリシアンは寝息を立て始めた。ラセルと離れ離れになったことなど今まで一度もなかったのだ、不安だったのも無理はない。が、大人の女性へと姿を変えてしまったアーリシアンを前に、ラセルはどう対処してよいのやら困り果てていた。柔らかな感触。ふわりと舞う、匂い。今までとは何かが違う彼女にどう接すればいいのか、まったくわからなくなってしまったのである。


「参ったな、」

 呟いてみる。

 隣のベッドからはマリムのいびき。昔から寝つきだけはいいのだ。

「ふぅ、」

 そっとベッドを抜け出す。よく眠っている二人は、目を覚ます気配もない。セイ・ルーのことが気になって、ラセルは外へと出たのである。


 上弦の月。


 ほぅ、と青い光に息を漏らし目を細める。地の宮ではお目に掛かれない、闇。本来、闇とは美しいものである、とラセルは思う。ただ暗いだけが闇ではない。しかし地の宮での闇とは、沈黙であり、暗いだけだ。


「……っと、ラセル?」


 呼びかけてきたのは、セイ・ルー。真面目に門番の役目をしていたらしい。家から少し離れた一角、切り株に腰掛けていたセイ・ルーが立ち上がる。


「何か変わったことは?」

「今の所、別に……。眠れないんですか?」

「……当たらずしも遠からず、だ」

 眠いのは確かだ。しかし、あの状況ではおとなしく眠れそうもなかった。


「……ラセルは、」

 ポツリ、とセイ・ルー。


「なんだ?」

「あ、いや、何で地上に? 魔物って、狩りのとき以外はほとんど地上に出ないって聞きました。なのにあなたは地上に住んでいたわけでしょう?」

「ああ。地の宮は退屈でね」


 親に決められた相手と一緒になるのがなんとなく嫌だった、なんて若造のような理由、言える筈もない。しかも相手のサーシャはケチのつけようがない素晴らしい女性だったというのに。

 ふと、考える。

 サーシャとセルマージはどうなっただろう? うまく事が運んでいればいいのだが、


「……ラセル?」

 黙りこんでしまったラセルを覗き込むように、セイ・ルー。

「何でもない。……そういうお前こそ、天上界に戻らなくていいのか?」

「わっ、私はっ。……戻れるものなら戻りたいですけど、もう無理じゃないかと…」

 うつむき、しどろもどろになる。

「白の術を使う者は、天上界では忌み嫌われるのです。ラセルは黒の術を使えるんですね。驚きですよ。確か魔物は…、」

「ああ。黒の術を使う者は英雄だよ。だが、このことは誰にも言ってない」


 そう。あのセルマージにすら話していないのだ。言ってしまったら、誰かに知られてしまったら一生地の宮から出られなくなるどころか下手したら変な地位につけられて崇められる恐れすらある。


「勿体無い。あなたにとっては誇れる力でしょうに」

「いいや、そうでもないさ。俺は黒の術以外にもピグルの使う幻術も治癒もマスターしてる。こっちは魔物に嫌われる力だがね」


 白の術や黒の術が『破壊』だとするならピグルの使う幻術は『再生』の力だ。弱い者の術を魔物である自分が使える、というのは仲間にとって嫌悪感を抱くほどの愚行だろう。セルマージもそんな顔をしていた。


「じゃあ、もしかしてアーリシアンに化けることも?」

「出来る」

 と言うとポン、とその姿を変えてみせる。それはマリムが化けるのよりもよっぽど上手い姿形をとっていた。

「おおーっ、スゴイ!」

 パチパチと拍手などして喜ぶセイ・ルー。ラセルは、そのままの格好で尋ねた。


「お前はこういうこと出来ないのか?」

「私は無理ですよ~。白の術はどちらかというと日常生活に役に立たないことばかりなんですから。人を傷つける力であったり、天上界と地上を行き来したり……」

「そうか、」

「ちなみに黒の術はどんなことが出来るのですかっ?」


 好奇心で目をキラキラさせるセイ・ルーを見ていると、なんとなくどつきたい衝動に駆られるラセルなのである。いい歳こいて、可愛い顔するな! ってなものだ。


「……あー、黒の術も同じようなものだな。あまり役立つものはない。よっぽど、ピグルの使う幻術の方が役には立つよ。傷を塞ぐことも出来るし、」

「あ!」

 話途中でセイ・ルーが叫んだ。ラセルはムッとしつつも黙ってセイ・ルーを見遣る。と、彼は遠くを指差しながら固まっているのだ。

「なんだよ?」


 不快感を露にし、ラセル。


「今っ、今ぁ、」

「だから、何っ?」

 あわあわと口を開いているセイ・ルーの視線の先を追うが、特になにも見当たらない。一体なんだというのか。大体、この男は落ち着きがないのだ。精霊ってのは冷静沈着な種だと聞いたが、アーリシアンにしてもセイ・ルーにしてもそういった落ち着きからはかけ離れていた。


「……リシアン、」

「あん?」

「アーリシアンがっ、」

「まさか、」


 一笑した、その瞬間、


「……まさか、」

 確かに森の木々を抜けて走っているアーリシアンの姿が見える。しかし、どうして?

「あいつ、いつの間に抜け出したんだっ?」

「ラセル、もしかしてムシュウが…、」


 ピン、と緊張感が張り詰める。ラセルはチッと舌打ちをすると、セイ・ルーに言った。


「仕方ない。俺がこの姿で囮になるから、お前は本物のアーリシアンを安全な場所へ連れていけ!」

「マリムはどうしますっ?」

「あいつは一度寝たら朝まで目を覚まさねぇよ。放っておけっ」

「でも、安全な場所って……、」

「そのくらい、自分で考えろ! 行くぞっ」


 ダッ、と駆け出す。アーリシアンに化けたままの格好では走りづらいが、仕方あるまい。なんとかムシュウの目をこちらに向けねばならなかった。


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