第二十三話 二人のアーリシアン

 木々の中をアーリシアンが消えた方向に向かってひたすら走るラセル。

 辺りを見渡しながら、慎重に。もしかしたらただアーリシアンが寝ぼけて外に出ているだけかもしれない。そんな楽観的な考えも頭の片隅にはあった。

 しかし、


『アーリシアン……?』


 直接頭の中に入り込んでくる、声。それは紛れもなくムシュウのものだ。やはりムシュウの仕業か! 立ち止まる、ラセル。だが、セイ・ルーは無反応だ。この声、直接ラセルへと送られているらしい。セイ・ルーには聞こえていないのだ。


『……アーリシアンが、何故地上にっ?』


 どうやらムシュウはアーリシアンが地上へ戻っていること、知らなかったようだ。その慌てようといったら、滑稽なほどだった。


『一体どういうことだ、これはっ!』


 相変わらず独り言状態で、姿は見えない。

 しばしの、間。


『……精霊が、一人?』


 セイ・ルーだ。見つかってしまったか。

(大丈夫か? あいつ、)

 いざとなれば自分の身くらい自分で守るだろう、と割り切る。


『……まさか、天上界に裏切り者がいるということか?』


 天上界に置いてきたはずのアーリシアンを地上に戻せる者がいたのだとしたら、その者は間違いなく白の術を使えるはず。アーリシアンがユーシュライの愛娘と知ってのことなのか、それとも……。いや、アーリシアン自身が白の術を使える可能性だってある。ムシュウは混乱していた。


『……まあいい。魔物を殺すのはいつでもできること。それよりも……、』


 妙な、間。ムシュウは笑っている。それが気配でわかった。

「いや、」

 突然背後から、声。驚いたラセルはパッ、と振り返った。そこには、生身のムシュウの姿があったのだ。

「あなたには暗示に掛かっていただこう」


(こいつ、何する気だ?)

 ラセルは警戒しつつもムシュウの行動を黙って見ていた。声を出してしまえば偽物だと知られてしまう。ここで決着をつけるのは簡単だが、自分を殺す為に差し向けられたのが彼一人だと確信が持てない今、下手に手を出してアーリシアンたちがヤバイ事になっても困る。


「さぁ、我が姫君……、」


 スッ、とムシュウが手を伸ばす。

(こいつっ……、)

 ラセルは、ムシュウが何をしようとしているのかがわかった。


「私のものにおなりなさい」


 ククク、と喉を鳴らして笑うムシュウ。アーリシアンを暗示に掛けて自分のものにしようということなのだ。その間にラセルを消し、そのまま天上界に連れて帰ればゆくゆくは地位も名誉も……というわけか。

 ふわ、と風が吹き、風は霧となってラセルの体に纏わりつく。ポーっと頭の奥が軽くなり、そこに新たな感情が押し込められる。ポワン、とラセルの体を皮膜の珠が覆い、シャボン玉の中に閉じ込められたような形になった。

(どうする?)

 眉をひそめるラセル。


「さぁ、アーリシアン。行きましょう」


 その一言を最後に、ムシュウとラセルの姿はその場から忽然と消えてしまったのである。





「はぁっ、はぁっ、待って! 待ってください、アーリシアン!」


 息を切らせながらアーリシアンを追いかけるセイ・ルー。アーリシアンは時折こちらを振り返りながら、まるで誘い込むようにして逃げ回っていた。


「どうして逃げるんですかっ?」


 問いに対する答えはない。仕方なくセイ・ルーは足を止めた。周りを見渡し、ムシュウの姿がないことを確認する。と、小さく呪文を唱え、アーリシアンに向けてふっ、と息を吐く。その吐息は光の風となり、アーリシアンの体に纏わり付いた。きゃっ、という短い悲鳴と共にアーリシアンがその場に留まる。セイ・ルーは息を整えながらアーリシアンの元へと歩み寄った。


「どうして逃げるんです? アーリシアン」

 溜息交じりに、言う。

 アーリシアンは口を閉ざしたままセイ・ルーを驚愕の眼差しで見つめ返した。

「アーリシアン?」

「……あなたも、あの精霊の仲間なの?」

「はぁ?」


 突然わけのわからない質問を投げつけられ、戸惑う。


「違うの? 違うのだったら、お願い……助けて」

 ポロポロと涙など流し、セイ・ルーに抱きついてくる。

「えっ? ええっ?」

 顔を赤らめながら、セイ・ルーは内心オタオタしつつも悪い気はしない。心を落ち着かせると、飛びっきりよそ行きの優しい声を出して、言った。


「もう大丈夫ですよ。私が安全な場所へお連れしますから。さぁ、泣かないで」

 アーリシアンの肩を抱くと、スッとその場に跪きアーリシアンの手を取った。そのまま軽く口付けをする。精霊の間ではありがちな敬愛の意を示す挨拶である。が、

「そんなっ!」

 アーリシアンはパッと手を引き、顔を真っ赤にしてうつむいてしまったのだ。

「どうかしました?」

 あくまでもマイペースな、セイ・ルー。


「そんなっ、でも、ああ、どうしたら」

 手で顔を覆い、どうやら恥ずかしがっている様子。いつものアーリシアンとは違うその態度に、セイ・ルーはなんとなくときめいてしまったのである。

「……あの、」

 アーリシアンがおずおずと声を掛ける。

「なん…ですか?」

 緊張気味のセイ・ルー。


「……あの、あなたは私のことが、好きなのですか?」

 いきなり核心を突いてくるアーリシアン。

「えっ? そりゃ、あの、」

 口篭もる、セイ・ルー。そりゃ、アーリシアンは美しいし、今日はいつもよりずっとしおらしく、女らしく……しかし彼女には伴侶がいる。あんなにラセルのことを好きだと言っていたのに、一体どうしてそんな質問をするのかわからない。だが、好きなのか? と聞かれれば答えは一つなのである。


「もちろん、好きですよ」

「……ありがとう」


 そう言って目に涙を浮かべ、微笑む。なんと儚くも美しいその表情! セイ・ルーは半ば骨抜き状態になりつつも現状に気付いた。


「あっ、そうだここにいちゃまずい。早く安全な場所へ、」

「待って! お願いがあるのです。私と一緒に、来てください!」

 そう言ってある方向を指す。

「来てって、一体どこへ?」

「いいから、早く!」

 セイ・ルーはアーリシアンに導かれ、森の向こうへと消えたのであった。


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