第十五話 婚約者の恋


 第三者の手によって契約者の命を絶つ。

 アーリシアンの命を救うためには、自分の命を差し出さなければならない。自分が助かりたいのであれば、アーリシアンの命を……選べるはずもない。


「ご理解いただけたか?」

 ニヤリ、とムシュウが笑う。合わせるように、ラセルも笑った。

「あんたの言ってることはわかる。が、従うことは出来ないな。そう簡単に命を投げ出せるほど軽くはないんでね」

「ふん、では仕方ないな。力ずくでいくとしよう。お前の仲間同様に」

「……は?」

「銀の矢の先には毒が仕込んである。さっき一人、その矢に当たったよ」


 ばっ、と林の方を振り返る。二人の姿がない事に気付く。まさか、


「お前はアーリシアン様を殺しに来たのであろう? 蛮族め」

「不意打ち食らわせたあんたの方がよっぽど汚ねぇよっ」


 シュッ


 ナイフを飛ばす。が、ムシュウはそのナイフをさっとかわした。銀色の矢が今度はラセルめがけて、飛ぶ。

「おっと、」

 寸でのところで躱す。こんなことをしている場合じゃない。早く二人の元へ行かなければ。怪我をしたのはサーシャか? セルマージか? もし地上でサーシャが命を落とすようなことがあったら、と思うとラセルは気が気でなかった。


「悪いが、今はあんたに構ってる暇はない」

 ピッ、と指を鳴らす。もわ、と空間が歪んだ。ムシュウの顔が見る見る間に強張った。

「なっ、まさか! お前っ?」


 そしてそれきり、姿を消したのである。




「サーシャ! セルマージ!」


 ラセルは外へ駆け出していた。林の中を見渡すと、大木に寄りかかるようにして二人が重なり合っている。一瞬躊躇したラセルだったが、セルマージの様子がおかしいことに気付き駆け寄る。


「セルマージ!」

「ラセル様!」

 青い顔をして声を上げたのはサーシャ。二人は抱き合っていたのではない。セルマージが倒れないよう、サーシャが支えていたのだ。セルマージの肩には赤いシミが広がっている。どうやら矢を受けたのはセルマージだったようだ。


「ラセル様! セルマージは私を庇って矢を受けたのですっ。止血はしたのですが、急に苦しみ出して、」

 なるほど、傷口には布が巻かれている。だが、顔色は悪く、呼吸も乱れていた。


「……ラ…セル…様」

「喋るな、セルマージ!」

「い…いえ。これは……毒による…もの。もはや、助かりますまい」

「そんなっ、セルマージ!」

 サーシャがすがりつく。


「……どうか…ラセル…様、サーシャ様を…サーシャ様のことを……」

「お願い! 死なないでセルマージ! 私を置いて行かないで!」

「……サーシャ…様?」

 困ったように微笑を浮かべて、ラセル。

「そうか、わかった」


 これではっきりした。サーシャもまた……それはラセルにとって嬉しいことでもあり、少々寂しいことでもあった。都合のいい話ではあるが。


「サーシャ、ちょっと外して」

 ぴったりとセルマージに寄り添うサーシャを半ば強引に引き離すと、ラセルはセルマージを寝かせた。

「一体、なにを?」

 不安げなサーシャ。

 ラセルは掌を握り締め空へと突き上げた。そしてゆっくりと開く。その掌には、小さな淡い光が宿っていた。口元まで運び、言葉を乗せる。淡いその光が更に強く輝きを放つ。


「……これはっ、」


 ふっ、と息を吹きかけると、光はスッとセルマージの体の中に消えた。

「ラセル様、これは光魂術オーヴっ?」

 サーシャが驚くのも無理はなかった。これはピグルたちの使う幻術の一種なのだから。地上に生きる弱き者達の編み出した癒しの術。魔物には無縁のものだった。

「くっ、ラセル…様」

 肩を庇うようにしてセルマージが半身を起こした。顔色も随分よくなっている。毒は……抜けたのだ。


「セルマージ!」

 サーシャが手を差し出し、彼を抱き起こそうとする。が、セルマージはサーシャの手を振り払った。キッ、とラセルを睨むと罵声を浴びせる。

「あなたは腐ってしまわれたのか!」

「……セルマージ、」

「どうして、どうしてこのようなことをっ」


 矢を放たれたセルマージは、強き者に敗れ死ぬ筈だったのだ。例え不意打ちだったとしても、交わせなかったのは自らの不注意。この世で尤も大切な人を庇って死ぬのであれば、セルマージにとってこれほどの名誉はなかったであろう。それなのに……、

「どうして私を助けたのですっ?」

 彼の気持ちは痛いほどよくわかった。これが正しい魔物の姿だ。ラセルこそが、間違っている。しかし、


「お前がいなくなったら、サーシャはどうなるんだ?」

 はっ、と息を飲む二人。サーシャが慌ててその場を取り繕うとするが、ラセルは口を挟ませなかった。

「サーシャ、君は気が付いたんだろう? 自分の気持ちに。それに、セルマージの気持ちにも」

「ラセル様っ、」


 慌てる、サーシャ。


「セルマージ、お前もだ。本当は誰よりもサーシャのことをよく理解している」

「そんなっ、そんな無責任なことをっ」

 ゆら、とセルマージが立ち上がる。今にも飛びかかりそうな形相だった。

「今までサーシャ様がどんなお気持ちであなたを待っていたか! どれほど、あなたとの婚儀を心待ちにしていたか! あなたのことをどれほど思っていたか!」

「待って!」

 詰め寄るセルマージを止めたのはサーシャ。苦しそうに顔を歪めて、セルマージの前に立つ。うまく言葉を紡げず、一呼吸置いた後ラセルを見上げ、言った。


「ラセル様、おっしゃる通りです。私、気付いてしまいましたわ。私が誰より側にいて欲しいのはラセル様じゃない。私が辛い思いをしていたとき、いつも慰め、側にいてくれたのはセルマージ。さっきだってそう。私を、身を挺して守ってくれたのはあなたじゃなかった……」

「……サーシャ…様?」


 驚くセルマージを横目に、ラセルは胸を撫で下ろす。

 こんな展開、考えたこともなかった。自分が思いを募らせたのは高嶺の花。決して手に入れることの出来ない、美しい花。その彼女が、今何と?


「サーシャ、セルマージと共に地の宮へ戻りなさい。そしてラセルは死んだ、と伝えてくれないか?」

「ラセル様っ?」

 何か言いた気なセルマージを手で制する。

「俺は地の宮には戻らない。……それが一番いいような気がするよ」

 親の期待にも応えられるわけじゃない。地位にも誇りにも興味はないのだ。


「ですが、」

 サーシャが言葉に詰まりながらもラセルに問う。

「私たちがそのようなことを言ったとして、父上様は信じますか? そんな嘘、すぐにばれてしまうではありませんか」

「これを持って行けばよい」

 手にしたのはセルマージを貫いた、矢。矢先には毒が仕込んである。この毒にやられたということにすれば、信じざるを得まい。


「亡骸は、と問われたら?」

「流れ矢に当たって死んだ魔物の亡骸など、宮に入れるなと言うだろう。獣に食わせたとか何とか、適当に誤魔化してくれればいい。これで親父も諦めが付くだろうよ」

「……しかし、」

 食い下がるセルマージ。


「しかしラセル様、これからどうするおつもりで?」

「……売られた喧嘩は買うさ。だが、魔物と精霊でいらぬモメごと起こすのはごめんだ。これはあくまで、俺個人の問題だからな」


 きっ、と小屋の方を睨みつける。もうあの場所に男の気配はなかった。を使って飛ばしてしまったのだ。今頃どこかで地団太を踏んでいるだろう。

「それが済んだら、また地上で一人、のんびり暮らすさ。俺には一人が性に合ってる」

 クス、と笑う。それはセルマージのよく知る、昔と同じ……自由気侭に生きていた頃のラセルの顔だった。何物にも縛られず、誰の指図も受けず。セルマージの好きだった、ラセルだ。


「……わかりました」

「セルマージっ?」

 セルマージはサーシャの肩にそっと手を置き、ラセルを見た。

「サーシャ様のことは私が責任を持って幸せにいたします。多少困難はあるかと思いますが、なんとかします。どうぞ、ラセル様……お元気で」

 まっすぐにラセルを見つめる。ラセルもまた、黙ってセルマージを見返した。自分の、唯一の理解者。彼に、一体どれだけ助けられてきたことか。一生の別れと思えば感情もあるが、敢えてそれを振り払いラセルは言った。


「達者で」

「はい」

「サーシャも」

「……はい」


 二人は肩を寄せ合うように歩き出した。これから、地の宮は大騒ぎになるだろう。が、あの二人は心配ない。きっとセルマージがうまくやるだろうと、ラセルは確信していたのである。


「……さて、と」

 二人の姿を見送ると、ラセルは小屋に向かって歩き出した。あの男はここに戻ってくるはずだ。……いや、戻ってきてもらわないと困るのだ。

「アーリシアン、大丈夫なんだろうな」

 そう、呟いてからはっとする。この一言が誤解を生むのだ。

「いかん、いかん。トラブルの元凶を案じてどうする」


 ブルル、と頭を振ると、家の中へと姿を消した。

 マリムのことは、ついぞ思い出さなかったのである……。

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