第十四話 同じ目的
ラセルは気が重かった。
結局、解決の糸口を見出せないまま出発の日を迎えてしまったのだ。青い空はどこまでも青く、いつもと変わらぬ美しさを湛えている。ラセルの心の内とは大違いの晴天。
(怒るだろうな、アーリシアン)
未だ、父の気分でラセル。本当なら十年で成人した彼女を送り出し、全て終わるはずだったのだ。伴侶となる契約など、騙されたとしか言いようがない!
「ラセル様」
ぼーっと空を眺めて呆けているラセルにサーシャが声を掛ける。その傍らにはセルマージ。
「……では、行こうか」
ラセルを先頭に、マリムの住む小さな家へと向かう。一歩一歩をこんなにも重く感じたことはない。どうする? このままではアーリシアン対サーシャという見たくもない争いが起こること必死。しかも自分は一方的にサーシャの肩を持たねばならないのだ。それはアーリシアンにとってこの上ない屈辱であり、悲しみとなるだろう。彼女にそんな思いをさせたくなどないのだが……。
「……あれ?」
森の中、ラセルは異変に気がついた。何者かの、気配。間違いなく自分を敵視している厳しい視線を感じるのだ。捕らえどころのないその存在に警戒音が鳴り響く。
「ラセル様?」
気付いたのか、セルマージが一歩前に出た。ラセルはやんわりとセルマージを押しのけ、大丈夫だ、と呟いた。
アーリシアンは無事だろうか?
マリムが付いている、というのは、こういう場合、あまり慰めにならないのが難点だ。まさかアーリシアンをおいて逃げ出すような真似はしないと思うが、怪しい輩と戦ってアーリシアンを守ってくれるとも思えない。せいぜい彼女の手を引いて逃げ出すくらいが関の山だろう。
「セルマージ、ちょっとここで待っててくれ」
「はい」
付き合いの長いセルマージは、その意味をすぐに理解する。が、サーシャは興奮気味に声を荒げた。
「どうしてですのっ? 私も行きます!」
「……サーシャ、俺は逃げやしないよ。ちょっと確かめたいことがあるんだ。ただ、それだけだ」
「確かめたいこと?」
「感じないか? 妙な視線を」
「え?」
ラセルに言われて、はじめて周囲に意識を向ける。確かに、誰かが見ているような、妙な視線を感じる。
「すみません。取り乱したりして。わかりましたわ。ここで、待ちます」
「すぐ戻る」
ポン、とサーシャの頭を叩くと、ラセルは単身マリムの家へと慎重に、歩みを進めた。
「……ねえ、セルマージ?」
「なんですか?」
「ラセル様、変わったわよね」
「……はぁ、」
「私の頭を叩いたわ。あんな子供じみたこと、今まで一度だってしなかった。……ラセル様と契約を交わした精霊って、どんな
少しだけ、悔しいと思った。
ラセルはいつだって優しかった。
でも、それは腫れ物を扱うような遠慮でしかないとサーシャは知っていた。ラセルの本心からの優しい言葉、態度に身を置いたことなど、今まで一度もなかった。しかしさっきの何気ない行動。自然で、実のある優しさが伝わってきたのだ。それは多分、ラセルが地上で暮らしていた十五年の間に彼の中で何かが変わったから。彼を変えたのは……きっと、
「危ない!」
ハッ、と前を見る。途端、視界がふさがれる。セルマージがサーシャを抱きすくめたのだ。戸惑う、サーシャ。
「痛っ、」
セルマージが肩を抑え、膝をついた。
「え?」
見ると、肩に銀色の矢。そしてそこからは血が滲み出している。
「セルマージ!」
サーシャが驚いてその場にしゃがみ込む。と、トンという音が頭上から聞こえてきた。見上げると、セルマージを貫いたのと同じ銀色の矢が、サーシャの立っていたすぐ後ろの木に刺さっていたのだ。
「サーシャ様、ここを離れましょう。早く!」
「でも、ラセル様がっ」
「あのお方は大丈夫です。今は御身を案じてください。さぁ!」
セルマージが肩に刺さった矢を力任せに抜き取る。一瞬の呻き声と、鮮血。そのまま肩を抑えながらサーシャを促す。サーシャはラセルの姿を探したが、やはりどこにもいない。仕方なく立ち上がると、セルマージと共にその場を立ち去った。
森の中をしばらく歩き、追っ手がないのを確認する。
「もう、大丈夫」
セルマージが辛そうに顔を歪ませ大木にもたれかかった。二人が歩んできた道には、彼の血が転々と滴っている。
「セルマージ!」
サーシャは自ら身に付けていた衣服の一部を破ると、セルマージの腕に巻きつけた。
「あなたがこんな無茶をするなんてっ」
サーシャが怒ったように言った。セルマージはサーシャをじっと見据え、静かに微笑んだ。それはいつもの彼とは違う顔。今まで、決して見せなかった彼の想いを感じ、サーシャの鼓動がドキリ、と脈打つ。
「とっ、とにかくこれで応急処置は済みました。あとはラセル様を、」
ふわ、と抱き寄せられる。いつも優しいセルマージ。ラセルがいなくなったときも、ずっと力になっていてくれた彼。今も身を挺して自分を守ってくれた。困ったとき、いつも側にいてくれたのはラセルではなく、彼だったのだ。
サーシャの鼓動がよりいっそう早くなる。
「お怪我がなくて、何よりです」
「……ありがとう」
サーシャもまた、セルマージの背中をキュッと抱き締めた。そして二人は、しばらく動こうとしなかった。
「どうなってるんだ?」
マリム宅、ラセルは中に入ると、そう呟いた。嵐でも起こったとしか思えない、ひっ散らかった室内。そこに二人の姿はなく、静けさだけがあった。
「アーリシアンが? ……まさか」
癇癪持ちだとはいえ、ここまでひどい事をするとは思えない。では、彼女の我侭に耐えられなくなったマリムが? それも有り得ないだろう。さっき感じた妙な気配といい、何かあったとしか思えなかった。
「でも、一体誰が?」
感じたあの気配は、只者ではない。そんな輩にマリムが狙われる理由など、どこにもないはずだ。アーリシアンに至っては、地上で彼女を知る者がいないのだし。
ビリ、と空気が震える。
ラセルはパッと振り向くと、自分めがけて飛んできたそれを掴み取った。
……銀色の、矢。
「なかなかどうして、」
声と共に唐突に現れる、気配。
ラセルは神経を集中すると、握り締めた矢をある方向へと投げつけた。バン、と音を立て、矢が壁に刺さる。
「危ないな」
「仕掛けてきたのはそっちだろ」
キッと一点を睨み付け、ラセル。
空間が歪み、そこから姿を現したのは精霊。
こいつだ。
こいつがアーリシアンの行方を知っている。
「私はムシュウ。お前、ラセルか?」
「……だったら何だ」
どうして名を? アーリシアンから聞いたのか?
「アーリシアン様と契約を結んでいるというのは本当なのか?」
「……アーリシアン…さま?」
思わず、繰り返す。
「質問に答えろ。契約を交わしたのか?」
随分苛立っているようだった。ラセルはこの男がどうしてここにいるのか、アーリシアンとどういう関係なのかを探りつつ、質問に答えた。
「確かに、俺はアーリシアンと契約を交わした……らしい。が、あんたも知っての通り、俺たち魔物と精霊とはあまりいい関係とは言い難い。大体、俺は嵌められたんだ。彼女とこんなことになる予定はなかった」
「では、何故?」
「あんた、俺に対しての嫌悪感とか丸出しだけどな、俺はあんたのお仲間を拾って、育てただけだ。この前の月食でちゃんと帰すはずだった。それをあの馬鹿が、」
「アーリシアン様を侮辱するな!」
バン! と窓が割れる。ラセルは、飛び散るガラスの破片を、かろうじて避けた。
「危ねぇだろが」
ムシュウを睨み付け、ラセル。
「帰らないと意地を張ったのはアーリシアンの方だ。あんたが彼女を引き取りたい、っていうならそれで構わん。尤も、彼女がこの意見を受け入れるとは思えないがね」
ふっ、と肩をすくめてみせる。
計りかねる……。
ラセルは心中穏やかではなかった。ムシュウと名乗ったこの男、一筋縄ではいかないようだ。何を考えているのか、全くその意図がわからない。アーリシアンを取り戻したいだけなら当にここを離れているはずだ。目的は別にある。きっとそうだ。
「アーリシアン様は既にユーシュライ様の元へとお戻りだ」
「……誰のとこへだと?」
「父君だ」
「なんだ、肉親か……」
内心、ホッとする。どこの誰ともわからない男にとられるのは納得いかないが、親が娘の居所を見つけて取り戻したいと思うのは至極当然。それなら、アーリシアンも文句の付けようがあるまい。
「悪いが、お前には消えてもらおう」
ムシュウが無表情のまま、告げる。
「……あん?」
ラセルが眉を寄せた。いくら精霊と魔物が複雑な間柄だとて、恩を仇で返される覚えはない。礼を述べろとまでは言わないが、唐突に命を狙われるとは心外もいいところだ。
「なんだ、それは? 精霊ってのは礼儀を知らん種だな」
ラセルが言い返す。と、さすがのムシュウもその表情をこわばらせた。
「俺はなー、あんたの仲間を育ててやったんだぞ? あのまま見過ごしてたら死んでたであろう幼子を、成人するまで育ててやったんだ。あんたに命を狙われる筋合いはないぞ」
「……確かに、魔物であるお前が我々の種を育てるというのは至極稀な……いや、有り得ないと言い切ってもおかしくないほどの行動だ。そのおかげでアーリシアン様が存在しているのだという事実に対しては素直に礼を言おう。しかし、お前とアーリシアン様との間で結ばれた契約を解かねばならん。おとなしくその命、差し出してもらおう」
なるほど、と思う。確かドージャスも同じ事を言っていた。相手の精霊が命を落とせば契約は解かれる、と。
「……目的は同じ、か」
ぽそりと呟く。
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