第十一話 相容れぬもの
大きな扉を開くと家臣たちを含む十数名が一斉にこちらに視線を注ぐ。
「入れ」
ヴァールが短く、告げた。ラセルは大きく呼吸を整えると部屋に入った。
「……消えたようだな」
「あっ、」
慌てて額に手をやる。確かに、さっきまで感じていた力は、今はなくなっている。
「どういうことなのか説明してもらうぞ、ラセル。お前は地上に出てから十五年もの間、一体何をしていたのだ?」
「……それは、」
口を噤む。アーリシアンのことを、どう説明すればいい? 黙っていれば済むことなのだと思っていたのだ。まさかアーリシアンとの契約がこれほどまでに強いとは思ってもいなかったのだ。大体、アーリシアンとはキスをしただけで、特別なことは何もしていない。きちんと契りを交わしたわけでも何でもない。どうしてこんなことになっているのか、こっちが知りたいほどだ。
「説明……と言われましても」
「精霊と契約を交わしたのか?」
「確かに、思い当たる精霊は一人います」
ザワッ、と場が揺れる。ヴァールは頭を抱えた。当たり前だ。魔物でありながら、よりによって精霊と接触していたなどと、それだけで考え物なのだから。
「しかし、私は彼女と特別な関係ではありません。本当です!」
「ではどうして額に文字が?」
厳しい口調で家臣の一人が尋ねた。
「……それは」
黙り込む。はっきりいって精霊の契りについてなど何の知識もない。どうやったら額の文字を完全に消し去ることが出来るのか、わからないのだ。
「その精霊とはどうやって接触したのだ?」
また、別の者。
「偶然です」
その答えは確かに間違いではない。だが、彼らが聞きたいのはそんなことではないということも充分承知していた。
「……ラセル、お前には今まで、自由を与え過ぎたようだ」
「父上、」
「サーシャになんと説明する? お前を信じ、待ち続けたあの娘に、私はなんと謝罪すればよい? これはお前だけの問題ではない。わが一族全ての者の問題だ!」
「……申しわけありません」
コンコン、と扉を叩く音。そして聖堂で発言していたあの男……ドージャスが中に入ってきた。
「ドージャス、あの額の文字について知り得ること全てを答えよ」
ヴァールが命ずる。
「はっ。あの文字は精霊文字に間違いありません。精霊と契りを結んだものが、他の誰かと契りを重複させようとしたときに現れる警告の印。もしあの場で聖杯を口にしていたならば、約束を違えた罰としてラセル様は死んでいたものと思われます」
「なんと、」
「おおっ、」
辺りが騒然とする。ヴァールがそれを片手で制した。
「して、その印を解くことは可能なのか?」
「はい。伴侶である精霊が命を落とせば契約は無効となります。その場合、第三者の手によって、という条件付きですが」
「死をもって、か。ならばその精霊を殺してしまえばよい。ラセル、そ奴はどこにいる?」
ラセルは言葉を詰まらせた。
アーリシアンを殺す?
そんなことが出来るはずもない。そんなことが出来るくらいなら、十年もの間育てたりなどしない。最初から見捨てておけばよかったのだ。……今更だが。
「ラセル!」
「……わかりません」
「なんだとっ?」
「彼女の行方はわかりません。だから答えられない」
キッパリと言い放つ。
ヴァールは厳しい瞳でラセルを見遣った。ラセルも譲らない。しばらく緊張した時が流れる。と、静寂を突き破るように扉が放たれた。そこに立っていたのはサーシャ。その後ろに心配そうな顔をしてセルマージもいる。
「サーシャ!」
ラセルが声をあげた。今までの話、全て聞いていたのだろうか? だとしたら彼女は傷付いただろう。これで、破談決定だ。
「……ヴァール様、今の話、全て真でございますか?」
問われたヴァールは眉間にシワを寄せたまま、首を傾げてみせた。
「我々は精霊の生態についてさほど詳しいわけじゃない。が、ここにいるドージャスは、聞けば学問を生業としている者。書物に嘘が書かれていないのだとすれば、今の話は真ということになろう。サーシャ、そなたには申しわけない限りだ」
「いいえ、ヴァール様。ラセル様は精霊と契りなど結んでいない、とおっしゃってます。きっと何かの間違いです」
ラセルはこの時初めてサーシャにすまないと思った。婚儀の最中にあんな騒ぎを起こされたというのに、それでも自分を信じ、庇おうとしてくれている。その彼女の想いの強さにはかなわない。
「しかし、サーシャ、」
「いいえ。もし彼の言う通り、精霊との契約が成立しているのだとすれば、ラセル様は呪いを掛けられたのです。その呪いを解くために、私はこれよりラセル様と地上に向かいとうございます」
「なんと!」
「ええっ?」
ラセルは焦った。破談になることは覚悟していたが、まさかサーシャが地上に行くと言い出すとは、誰も思っていなかったのだ。
「サーシャ、それは一体」
ヴァールもまた、突然の申し出に驚きを隠せないようだった。
「ドージャス、その精霊の命を絶てば呪いは解かれるのでしょう?」
「あ……はい」
「だったら私がその精霊の命を絶ちましょう。そうすれば、全て解決いたします」
「サーシャ!」
ラセルがサーシャの肩に手を置き、言った。
「君がそんなことをする必要はないんだっ。これは俺の問題なんだから、」
「ラセル様だけの問題ではありませんわっ」
キッとラセルを睨み、強い口調で、サーシャ。今まで知らなかった一面でもある。
「私、ただ待っているだけはもう嫌です。それともラセル様は、私との縁談がお嫌で、それで精霊と契約を結んだのですか?」
目を潤ませ、それでも必死で涙を堪えながらラセルを睨み続けている。ラセルは肩に掛けた手を離した。サーシャは試しているのだ。ラセルの気持ちを。それはラセルにもよくわかった。しかし、どうする? このままではサーシャがアーリシアンの命を絶つ、という図式になってしまうのだ。
「サーシャ、決してそんなことはない。だけど俺は、君の手を汚したくなどないよ。元はと言えば俺が悪いんだ。だから俺が行く」
「だけど、ラセル様!」
「父上。お願いします。三日だけ時間をいただけませんか? 地上で、その精霊と会って話してみたいのです」
「話す? なにをだ?」
「この契約をなかったことにする方法をです。無駄に血を流さなくとも、何か方法があるはず。魔物が精霊を殺めたとあっては、後に問題になるやもしれない。そうでしょう?」
もともと精霊と魔物は相反する者として対立している。下手に手を出すような真似はしない方がいい。無関係でありさえすれば、もめることもないのだから。
「では私も参ります」
「サーシャ……」
「これだけは譲れませんわ。ヴァール様、お願いします!」
「……うむ。仕方あるまい」
「父上!」
「放っておけばまた何十年も戻らぬかもしれん。が、サーシャが一緒であればその心配もあるまい。セルマージ、お前も一緒に行け」
名を呼ばれたセルマージは、黙って深く頭を垂れた。
「期限は三日だ。それでいいな? ラセル」
「……はい」
どうする?
アーリシアンの元に行ったとしても、解決の糸口が見つかる保証はない。しかし期限内に戻らなければ、地の宮は騒ぎ満つること間違いない。
「では明日より三日。それで戻らぬ場合は強攻手段に出る」
「強攻手段?」
「我が地の宮総力を上げて、地上に住まう精霊たちを皆殺しに」
「おおっ、」
家臣たちの顔つきが変わった。本来あるべく、魔物のそれへと。
「よいな、ラセル。三日だぞ」
そう言い放つと、ヴァージは家臣たちを引き連れ部屋へと戻って行った。
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