第二十六話 魔物(ジン)天上界へ行く

(ここは、どこだ?)


 ぼんやりとした明かりの元、辺りを見渡すラセル。

 気がついたら、ここにいた。

 暗く、狭い部屋。けれどきちんと整えられたベッドの上に横になっている。そして、今のところムシュウの姿は近くにない。

 ラセルの体を覆っていた丸い被膜はなくなっていた。だが体の自由が利かない。


(……ま、いいか)


 パン、といとも簡単に術を破ると、手足を動かしてみる。どこにも異常はないようだ。


(しっかし、)


 手を、足をまじまじと見る。体はアーリシアンのままだ。ムシュウに気付かれぬよう外に出て、このまま逃げ出してしまおうか?


(けどなぁ、それじゃまた同じ事の繰り返しだもんなぁ、)


 早いところ決着をつけなければならないことは承知している。彼は自分を殺し、アーリシアンを取り戻しにきているだけではないのだ。アーリシアンを、モノにしようと企んでいる。姑息にも、力ずくで、だ。


(モテない男はイヤだねぇ)


 なんて事を思いながら、立ち上がり、扉らしき場所を探す。鍵は掛かっているが、そんなもの、ラセルにとってはないも同然。

 カチリ、

 と錠が外れる。扉を開けると、上へと伸びる狭い階段。


(ってことは、地下かよ)


 昇りきったところに、また小さな扉。押し上げると、光が漏れ出す。まぶしさに思わず顔をしかめる。

 大きくはないだろう、屋敷。小奇麗に整えられた家具や装飾品、室内の様子を見る限り誰かが住んでいるのだろうことはわかる。今は誰の気配もない。閉じ込めていることに安心して、見張りは立てていないということか。


(……ここ、まさか)


 よからぬ思いが頭を過ぎる。

 目が慣れ始め、完全に地上へと這い出たラセルはそのまま外に飛び出した。そして見たこともない美しい光景に絶句する。

 色とりどりの花が咲き乱れ、鳥のさえずりが聞こえる。しかし、地上では見たこともないような花々と、美しい姿をした鳥を目の当たりにし、頭を抱えた。


「ヤバイな、こりゃ」


 ……楽園の風景だ。


 辺りを見渡す。

 どうしてムシュウはいないのだ?

 あんな場所にアーリシアンを閉じ込めたまま、一体、どこへ?


(ここ、天上界だ……、)


 魔物でありながら天上界へ足を踏み入れたものなど、未だかつていただろうか?


「……どうやって帰りゃいいんだよ?」


 呟き、そして変化の術を解く。が、本来の姿はここではあまりにも目立ち過ぎる、と考え直し、不本意ながら、精霊に化けることにした。まぁ、角がなくなり髪の色が金色になるだけなのだが、充分精霊として通じるだろう。


「ムシュウ、気付くかね?」


 ククッ、と一人で笑いを噛み締める。


「っと、」


 こんなことしている場合ではない。とりあえずムシュウを探し、なんとか決着をつけなければなるまい。しかし、この屋敷で黙って待つのも退屈だ。ラセルはとりあえず辺りを探ってみることにした。元々、好奇心旺盛ゆえ地の宮を飛び出した人物である。天上界などというまさに未開の地にあって大人しくしていられる筈もない。


「さぁて、」


 にんまりしながら屋敷の周りを一周する。珍しい植物、動物に目を奪われながら楽しく散策していると、不意に、気配を感じ身を隠した。木々の間からちらりと覗く。ムシュウだ。足早に辺りを警戒しながら屋敷へと入って行った。アーリシアンがいないことに気付かれるのも時間の問題だった。


「仕方ないな、ここで白黒つけるとするか」


 肩をすくめ、ムシュウが戻るのを待つ。

 と、


「……ん?」


 今度は別の精霊が……しかも数人、辺りを警戒しながらやってくるではないか。ムシュウの入って行った屋敷を取り囲むように身を潜めると、ジェスチャーで何かを伝え合っている。


「なんだ、ありゃ?」


 しばらくすると屋敷の扉がバタンと開き、慌てふためいたムシュウが駆け出してきた。当然だろう。閉じ込めておいたはずのアーリシアンの姿が忽然と消えてしまっているのだから。


「ムシュウ様、」

 声を張り上げるようにして姿を見せたのは、身を潜めていた中の一人。彼に続き、ムシュウを取り囲むようにして続々と精霊達がその姿を現した。

「なっ、なんだ、お前たちは!」

 不意打ちを食わされ、身をすくめるムシュウに、男が告げた。

「ここで、何を?」

 冷ややかな視線だ。ムシュウはハッ、と肩を震わせると、感情を爆発させるかのように怒鳴り散らした。


「お前達が攫ったのかっ?」

「何のことです?」

「とぼけるなっ! アーリシアン様をどこにやった! 地下はもぬけの殻だったぞ!」


 男たちの顔色が変わる。


「……やはりあなたでしたか、」

「黙れ! アーリシアン様はどこだ! お前達、何を企んでいるのだっ」


(企んでるのはお前だろうよ)


 傍聴しているラセルは、心の中でそう突っ込みを入れる。察するに、どうやら彼らはアーリシアンの父親に命じられて来ているようだ。姿を消した娘はムシュウが攫ったと疑っていたのだろう。なるほど、父親の勘は鋭いものだ。それとも、ムシュウが元々信用されていないのか……。


「それはこちらの台詞です! 何故一度はユーシュライ様の元に姫君をお連れしたのに、それを覆すような真似を? 何が目的なのですかっ?」

 激しく、詰め寄る。

「ちょ、ちょっと待て、私は屋敷からアーリシアン様を連れ出したりはしていない! 私は地上で彼女を、」


 ざわ、と男達に動揺が走る。そりゃそうだろう。彼らにしてみればムシュウの発言は支離滅裂。アーリシアンを地上に逃したのはセイ・ルーだ、という事を知るものはいないのだ。白の術を使う者として知られているムシュウがやったと思うのは至極当たり前の展開。


「とにかく、あなたの身は拘束させていただく。よろしいな?」

 男がムシュウの腕を掴もうとしたその瞬間、


「うわっ!」


 火の手が上がる。

 燃えたのは、ムシュウを掴もうとした男の体だ。紅蓮の炎に包まれ、男はあっという間に崩れ去り、黒い塊と化した。そしてその魂がふわりと舞い、ムシュウの手に収まる。


「なっ、なんてことを!」

 側にいた男たちの顔が恐怖で引きつる。

「私の邪魔をするやつは許さん!」

 もはや正気の沙汰ではない。ムシュウは目をギラギラさせて男たちを睨みつけ、そして笑った。


「うわああああっ!」


 一人が逃げ出した。と、その背中がぐにゃりと歪み、めきめきと音を立てながらあらぬ方向へと曲がり始める。骨の砕ける音と、男の絶叫。なるほど、セイ・ルーが言うように白の術というのは日常に役に立つものではないようだ。


「なんということっ、皆、逃げろ!」


 一人が合図を送ると、わっ、と駆け出す男達。しかし、ムシュウは逃がすつもりはなかった。このことをユーシュライ様に報告されては困るのだ。


(天上界からアーリシアンを連れ出したのは私ではない! 私ではないのに!)


 あの、森の中で見た精霊。あいつがやったに決まっているのだ! そして再びアーリシアンを連れ天上界に戻ったというのに、またしても出し抜かれた!

「お前たちもあの男の仲間ではないのかっ?」

 半ば、思い込みではある。が、もう自分を止める術が見つからない。いや、自分自身を見失ってしまっていた。ムシュウは、飛び去ろうとする仲間の背に向け、刃を放っていた。が、


「いい加減にしろっ!」


 パンッ!


 ムシュウの放った刃に向け、新たなそれがぶつかった。二つは相殺され、宙を舞う男達に怪我はない。男たちが一斉に振り返った。樹の陰から姿を表したのは、身知らぬ精霊。


「誰だ、お前はっ!」


 ムシュウが叫ぶ。


「何故、私の邪魔を!」


 ヒュッ、と、今度は男……ラセルに向けて刃を放つムシュウ。ラセルは咄嗟に横に飛び退け、その刃を交わした。と同時にムシュウに向け、術を放つ。


「ぐはっ」


 まさか相手が術を使うとは思っていなかったのだろう、ムシュウは向けられた刃に傷付き、その場に倒れ込んだ。空で全てを見ていた者たちが、地に降りはじめる。


「死には至らん」


 鮮血に体を染め呻いているムシュウに声をかける。それからふわりと丸い珠を作り、ムシュウを包んだ。拘束したのだ。訝しげにこちらを見ている男たちに向かって、言う。


「で、こいつどうすりゃいいんだ?」

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