第六話 地の宮
そこには、まるでもう一つの世界が存在するかのような空間があり、入り組んだ迷路のような洞窟で繋がっている。そんな中をいちいち歩いていては日が暮れるため、魔物たちは東西南北に一つずつ、地上へ出るための転移場所を設けていた。祭壇のような場所に四本の柱があり、伸びた柱の上には呪術に使われる石が原石のまま乗せられている。ある一定以上の能力を持つ者であれば、誰でも使いこなせる代物だ。つまり、この転移装置を使えない魔物は地下の世界に住めない。魔物として認められないということでもある。
魔物の世界には階級があった。元々が弱肉強食である彼らは、その力によって階級を決めている。力の弱い者は強い者の下に着き、従者として仕えるのだ。生き残る為の苦肉の策とも言えよう。
「ラセル様!」
地中の、冷たい風が頬に当たる。閉じた目を開けば見慣れた顔がずらりと並んでいる。ラセルは小さく息を吐いた。そう、実はラセル、割と偉い方に属しているのだ。
「こんなに長い間、一体どこに行っていたのですか、ラセル様!」
ずらーっと並んだ顔を見ているうち、ラセルは早くも嫌な気分になっていた。
「長い間って、たかだか二十年だろ?」
平均寿命からしたら二十年は決して長くなどないのだ。……とはいえ、短いとも言い切れないが。
「何をおっしゃいます! サーシャ様がどんな思いでお帰りを待っておられるか、」
「早く宮の方へ、」
「父君のお怒りに触れること、避けられませんぞ」
一気に捲し立てる取り巻き達を押しのける。いちいち聞いていられるかっ。
「……サーシャ、か」
サーシャはラセルの婚約者だ。もちろん、家と家との縁談であり、ラセルにはその気などない。ただ、サーシャの方はラセルに対して愛情があるらしく、この縁談にも乗り気なのである。
「アーリシアンが知ったら激怒するな」
思わずひとりごちる。
ラセルは勝手に騒ぎ立てる取り巻き達を無視し、地の宮へと足を向けた。戻りたくて戻ったわけではなかったが、それでもある種、懐かしさのようなものを感じる。
石造りの宮殿。
冷たく、暗い回廊には消えることのない火が灯され、辺りを照らしている。長い影を追うようにして、進んだ。
「ただ今戻りました」
だだっ広い広間の奥には玉座。厳しい顔で座っているのはちっとも変わりない自分の父親……ヴァール。
「ほぅ、生きていたのか」
嫌味ったらしくそう言うと、椅子から立ち上がりラセルの顔をまじまじと眺めた。
「お前は自分の立場というものをわかっているのか?」
ラセルは家出をしていたわけではない。きちんと断って地上に出ていた。が、約束の期限はとっくに過ぎていたのだ。それだけではない。本当ならば今頃サーシャと婚礼の儀、そして地の宮を引き継ぐ儀式まで完了しているはずだった。約束を破った上、全ての予定を蹴ってしまったのだからヴァールの怒りも半端ではないだろう。
「お怒りはごもっともです」
真摯に受け止めた。
「よくもぬけぬけと戻ってきたもんだ」
いっそ『出ていけ』と言われた方がどんなに楽か。だが、ヴァールにはラセルしか子供がない。一族の血を重んじる魔物ゆえ、どんなに出来の悪い息子であろうと切れないのだということをラセルは重々承知していた。
「……お前はどうしたいのだ?」
溜息混じりに、ヴァール。そんなことを聞かれるとは思っていなかったラセルが、首を傾げた。
「は?」
「は? ではないだろう。しばらく地上で暮らしたいだのわけのわからない行動をとった挙句、サーシャとの婚儀まで無視するとは。正気の沙汰とは思えん」
「……ああ、」
さすがに、サーシャに対しては悪いと思っている。家柄はもちろん、見た目も性格も悪くない娘なのだ。本当ならもっといい相手と結ばれるべきなのに。
「彼女にはもっとふさわしい相手がいると思いますが、」
それとなく、告げてみる。
「そんなこと、私もわかっておる」
ヴァールが言い切った。
「しかし仕方ないだろう? 本人がお前と夫婦になりたいと言っているのだから」
「……はぁ、」
いい加減愛想を尽かしているものと期待もしていたのだが、取り巻きたちが言っていたように、黙って帰りを待っていたのか。
「……一刻も早く祝儀を上げねばなるまい」
「それはっ、」
口を開きかけたラセルに間髪をいれず、ヴァール。
「この期に及んでお前はまだ何か申したいのかっ?」
さすがに口篭もる。これ以上命に逆らえば命すら危うくなるだろう。ヴァールに命を狙われて、逃げ通せたものなど未だかつていないのだ。彼を敵に回すということは、魔物そのものを敵に回すも同じこと。ラセルとて、命をかけてまで逆らうほど婚儀を嫌っているわけでもないのだ。
「近日中には式を執り行う。いいな?」
「……承知しました」
嘆息交じりに答えると、一礼してその場を後にした。
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