第五話 置いてけぼり

 ラセルは手短にアーリシアンのことを説明した。ただ一点、彼女が成人している理由は除いて、だが。


「そうですか、育ての親にねぇ」

「お前も知っての通り、俺はそろそろ地の宮に戻らないといかん。しばらくアーリシアンをここに置いてくれないか?」

「えーっ? そんなの嫌っ!」

 すぐにアーリシアンが駄々をこね始める。

「こう言ってますが?」

「わかっているだろう? 俺の立場をっ」


 ラセルが地の宮に戻らなければならないわけをマリムは知っていた。

 そもそも彼が地上での気ままな生活を許されたのは、長くて十年のはずだ。それが、結果的には二十年も地上に居座っているのだとすれば、一刻も早く戻らなければならないだろう。アーリシアンを連れて戻ることなど出来る筈もない。自分を頼ってここへ来た気持ちはよくわかる。しかし……、


「うー……、」


 マリムは悩んだ。


 村に帰って嫁を探すべきか、それともこの綺麗なねーちゃんとしばらくここに住むか。そりゃ、村に帰って嫁を探すのがピグルとして最善の道であり自分も望んでいたことだ。


「こんな奥深い森の外れで一人寂しく生きていくのは……まぁ、それはそれで別に嫌いではないが、とにかく嫁は欲しい。しかし、ここでしばらく綺麗なねーちゃんと生活するというのもそれはそれで悪くない。こんな機会はもう二度と巡ってこないのだから。一緒に生活していれば、もしかして、もしかすることもあるかもしれないわけで、例え異種同士とはいえ不可能ではないわけだし、ピグルと精霊の子供……褐色の肌に美しい藤色の髪。

大きな瞳が君にそっくりだね、なんて言い合いながら二人は仲良く暮らしていけるかもしれないわけだし、グフフ、」


「……マ~リ~ム~?」


 ググッと握り締めた拳を振り上げるラセル。殺気を感じ、振り向くマリム。


「ほへっ?」


 ゴーン、ゴーン、ゴーン


 ……鐘の音が響き、無数の星が宙を舞った。


「口に出すなと言っているだろうにっ」


 きゃらきゃらとアーリシアンが笑う。マリムがコホン、と咳払いをし、改めて問うた。


「……しばらく、というのは具体的にどのくらいなんです?」

「それは……、」


 ラセルがチラ、とアーリシアンを見た。マリムの耳元に口を寄せ、声を潜める。


「わからん」

「はっ?」

「しっ! アーリシアンには『すぐ戻る』と言っておかなければ納得しそうもないんだ。黙って頷けっ」

「そんなぁ、」

「折を見て連絡するから」


 ポン、と肩を叩き笑う。


「じゃあ、決まりだな」

「……決まりって?」


 不安そうに、アーリシアン。


「俺は地の宮に戻る。アーリシアンはここで待ってろ」

「待って? ラセルと離れるのは嫌よ!」

「まぁ、そう言うな。すぐに迎えに来るから。な?」


 爽やか~に、ラセル。アーリシアンはじっとラセルの顔を見て、言った。


「ラセル、嘘ついてる」


 ギク。


「嘘なんかついてないだろっ? 俺の言うことが信じられないのか?」

「うん。だって嘘ついてるもの」

「どうしてっ」

「愛があるからわかるのっ」


 胸の前で手を組み、目をキラキラさせてラセルを見上げる。ラセルはアーリシアンの顎につい、と指をかけ、上を向かせた。アーリシアンが頬を赤らめる。


「アーリシアン、俺を信じろ。俺が戻るまでここでおとなしく待て。それが出来ないならお別れだ」

「ラセル……、」


 ラセルの真面目な顔が目の前に迫っている。今まで見せたことのないような真剣な眼差し。アーリシアンは心臓がドキドキと脈打つのを感じていた。


「待てるな?」


 脳に直接響いて、全てを支配するような危険で、魅惑的な甘い、声。思わずこくりと頷いてしまう。


「よし、いい子だ」


 ポンと頭を撫で、ラセルが安堵の息を漏らした。


「じゃあ、マリム、頼んだぞ」

「って、今すぐ出て行かなくても、」

「あとは頼むぞ、マリム」


 アーリシアンには見えない位置でにぃ、と笑うラセルの顔は本当に嬉しそうで、マリムは一抹の不安を覚えた。


「本当に迎えに来るんでしょうな?」

「あっ、当たり前じゃないか」


 慌てて視線を逸らす。マリムが眉をしかめてラセルを見上げた。


「ラセル……、」

 おずおずとアーリシアンが声をかける。

「ん?」

「……お別れのキスは?」


 ぶっ、とマリムが吹き出し、ラセルもまた顔を赤らめた。


「あのなぁっ、」

「だって、だってラセルと離れるなんて初めてなんだもんっ。私、不安で……、」

「馬鹿。すぐ戻ると言ってるだろ? おとなしく待っていなさい」

 相変わらずのお父さん口調で諭す。アーリシアンが小さく頷いた。

「じゃあな、」


 背中で手を振り、ラセルはマリムの家を後にした。はっきり言って地上に戻れる保証などなかった。この十五年のツケがどういう形で自分の身にのしかかってくるともわからないのだ。


 まぁ、これを機にアーリシアンが自分に愛想を尽かし元のあるべき場所へ戻ってくれるならそれが一番いいだろう……などと、この時は簡単に考えていたのだ。この別れが後に大変な事件を巻き起こすことになるなど、知る由もなかったのである。

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