第8話 修学旅行1日目 羽田空港ー函館空港

 いよいよ修学旅行の日。

 初日は、櫻谷女学院から貸し切りバスにて羽田空港へ移動。そして函館空港まで1時間半のフライトを経て、午前は函館市内観光。午後には大沼国定公園まで足を延ばし、その後函館の夜景を見学。そして市内のホテルで一泊することになっていた。

「いいなあ、私も行きたいな」

 奏絵が言った。

「何、言ってるのよ。これは遊びじゃなくて、仕事なのよ」

 彩那はきっぱりと言った。

「でも、お土産ぐらいは買ってきてくれるんでしょ?」

「うん、それは期待しておいて。いっぱい買ってくるから。何がいいかしらね、今から迷っちゃうわ」

「彩那、そんなに浮かれない」

 フィオナがたしなめた。

「もう、奏絵がいけないのよ。そういう話を持ち掛けるから」

「ごめん」

 彩那は正門に立って、次々とやって来る車を注視していた。南美丘なみおか里沙りさといち早く合流したいという気持ちからであった。

 龍哉が横から肘で突いてきた。

「あれじゃないか?」

 見ると、黒色の外車が止まった。そのすぐ後ろを菅原刑事が運転する覆面車がつけている。

 里沙がスーツケースを手に、そして身体に似合わないほど大きな鞄を肩に掛けて降りてきた。

 彩那はすかさず駆け寄った。

「おはよう」

「どうも」

 里沙は必要最小限の言葉しか発しない。まだ彩那とどこか距離を置いているに違いなかった。

(旅行中、きっと私が守ってあげるから)

 彩那は拳に力を入れた。

「それにしても大きな鞄ね。何が入っているの?」

「私、枕が変わると眠れないから」

 里沙は顔色一つ変えずに言った。

「えっ、まさか、家から枕持ってきたの?」

「ええ」

 さすが大企業のお嬢様である。やることも大胆だ。

 すでに運動場には、十台の大型観光バスがエンジンを唸らせて待機していた。この修学旅行は女学院と普通科が合同で行うので、大掛かりなものとなる。

 龍哉と別れると、里沙とともに女学院のバスに乗り込んだ。

 バスは定刻に出発した。

 十台ものバスが連なって都内を走るのは、さぞかし壮観だったに違いない。

 添乗員が、本日函館の天気は快晴、旅行中の降水確率は0パーセントですと発表すると、車内は大いに盛り上がった。

 バスは羽田空港に到着した。

 彩那にとって、飛行機に乗るのは生まれて初めてだった。よって誰よりも心を弾ませていた筈である。多くの生徒が見向きもしない注意事項のビデオ映像を真剣に見入っていた。

 大きな機体はゆっくりと動き出した。

 左右のエンジンが轟音を立てて未知なる速度に到達する。一気に滑走路を使い切ると、強引に空へと持ち上がった。

 ふわりと身体が宙に浮く瞬間、思わず「うわぁ」と声が出てしまった。地上の建物が斜めになって一斉に小さくなっていく。

「窓の外が見たいのなら、席を替わってあげようか?」

「えっ、いいの?」

「ダメです」

 フィオナの声が割って入る。

「護衛すべき人物は通路の反対側に置くこと。我慢しなさい」

「はい、分かりました」

「替わらなくていいの?」

「うん。私にはあなたの護衛という大事な任務があるからね」

 シートベルト着用サインが消えると、機内の重苦しい空気が消えた。早速席を立って移動する生徒がいる。

「フィオ、さすがに飛行機の中で襲ってきたりはしないよね?」

「そうですね、でも油断は禁物です。不穏な動きをする者がいないか、常に目を配っていなさい」

「はい」

 小さな窓は下半分が雲海で占められていた。人工物が何もない幻想的な世界が広がっている。彩那はしばしその光景に心を奪われた。

「ねえ、ねえ、倉沢さん。お菓子食べない?」

 前の座席から手が伸びてきた。

「ありがとう」

 笑顔で受け取った。

「残念ながら、ナミンのお菓子じゃないけどね」

 前席はどっと盛り上がった。

「ちょっと、そういう余計なことを言わないで頂戴」

 彩那は菓子を差し戻した。

 里沙の顔に目を遣ると、彼女は無表情だった。

「私は、ナミンのお菓子が一番好きよ。幼い頃からずっとお世話になってるもの」

 そんな風に言うと、里沙はぷいと窓の外に顔を向けてしまった。

「フィオナ、17列DFGに怪しい男が三人座っています」

 龍哉の声が飛び込んできた。どうやら機内を調べていたらしい。

「了解。龍哉はそのまま席に戻って」

「分かりました」

「菅原、近くに寄って写真を撮れますか?」

「やってみます」

 まさかその連中が里沙を狙っているのだろうか。緊張が走る。

「彩那」

 フィオナが呼び掛けてきた。

「はい?」

「あなたはそこに居なさい。絶対に席を立たないこと」

「そんなの言われなくても、分かってます」

 しばらくすると、

「見た目は暴力団員風です。写真をそちらに転送します」

「了解。データベースと照合します」

 そこで一旦交信は切れた。

 雲の切れ間から茶色の山と、その裾野に広がる街が見えてきた。

「函館山だわ」

 誰かが言った。

 街の真ん中に緑の五角形が見えた。すぐ横に白いタワーが突き出している。あれがガイドブックに出ていた五稜郭だろうか。

 徐々に高度が下がってきた。すぐに空港の滑走路が併走を始めた。

 強い衝撃を受けて、ジェット機は函館空港に着陸した。予定より十五分ほど遅れたと放送があった。

 機内から外に出た瞬間、東京との気温の違いを体感できた。空気が乾いているので、熱気が肌にまとわりつかず心地がよい。

「とうとう、北海道に上陸したのね」

 彩那はわざと大袈裟に言った。

 しかし里沙は何の反応もしてくれなかった。

「彩那、今、下りのエスカレーターに乗った男三人が見えますね。連中の動きには注意しなさい」

「はい」

 同じ便に乗り合わせた暴力団員風の連中である。全員がスーツ姿で、周りに目を配りながら歩いている。とても観光で来た様子には見えない。

 生徒一行は駐車場に待つ観光バスに乗り込んだ。ここまでは何事も起きなかった。さっきの三人組もどこかに姿を消していた。

「連中はレンタカーを借りるようです」

 菅原刑事の声。

「店で免許証のコピーを見せてもらいなさい」

「了解」

 大きな荷物をトランクルームに収納すると、バスは次々と発進した。函館市内まで三十分の移動となる。

「みなさん、初めまして」

 若いバスガイドがマイクを取った。

「わたくし、えりも交通のバスガイド、花島美乃華みのかと申します。3日間、みなさんの旅行にお供させて頂きます。至らないこともあるとは思いますが、北海道の魅力を存分にお伝えできるよう頑張りますので、どうかよろしくお願いします」

 車内に拍手が沸いた。

「可愛いガイドさんね」

 彩那が囁くと、里沙は薄目を開けた。

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