第2話

 しばらく経ち、またテストの時期がやってきて、終わった。お兄ちゃんがテスト結果を私に見せ「ありがとうございました」と頭を深く下げた。


「これが今回のテスト結果?

 ふーん……なかなかやるじゃん。すごいよ。がんばったね。

 まあ、今回は私がだいぶ面倒みてあげたんだから当然ではあるんだけど。

 ……でも、まあ覚えたり実際に頑張ったのはあんただからね、胸を張りなさい」


 素直に褒めるとお兄ちゃんは生意気な疑問を口にした。


「私が褒めるなんて珍しいって?

 失礼なことを言うね……まあ、そういうことをちゃんと口にするのは大事だと思ったんだ。

 この間、あんたの部屋に勝手に入ったときに見つけた本にも書いてあったよ。

 『良い上司は責任をきちんと引き受け、成果は部下のものとする』って。

 くだらないの読んでるね。


 ……そういえば、あんた、最近自己啓発とかビジネス本にはまり過ぎじゃない? 

 いや。責めてはいないよ。はじめは胡散臭いのも結構読んでるみたいだったから不安だったけど、最近のはまあ、いいんじゃない。

 まあでも、あれだよ。そろそろ打ち止めの時期だと思う。もう後はどれを読んでもそんなに変わらないと思うよ。それよりも普通に友達をもっと作った方がいいんじゃないかなあ。

 毎日家に帰ってくるのが早すぎない? 部活してないんでしょ。友達と寄り道とかも絶対してない。……本当に学校には行ってるよね? 登校したふりして近所の公園でブランコ漕いだりしてないでよ」


 冗談を言うとお兄ちゃんは笑わなかった。私の冗談も下手だけどそれだけではない。不安そうな顔をして心配だと口にした。


「え? 私? 私はいないよ。そうするって言ったでしょ。興味深いなと思う子くらいはいるけど、友達はね……私はそう思ってもろくなことにならないから」


 何も気にしていないように言ってみるが、効果はない。

 お兄ちゃんは何か言いたいことをこらえて口を結んでいる。


 ……失敗したなあ。私がお兄ちゃんを心配するんだから、お兄ちゃんも同じように心配したっておかしくなかった。


「……もう。あんたが悪いわけじゃないんだから、そんな顔しないで。

 言ったでしょ。能力のある人間は、能力故に得るものとちゃんと向き合うべきなの。

 しょうがないんだ。若くて才能があるっていうのは難しいから。

 私はそういうバランスが取れないから、ある意味逃げてると言えなくもないくらいだもん。

 わがままはちゃんと言えてるから、心配しないで」


 お兄ちゃんが無理矢理に笑う。一緒にいるための、家族であるがゆえの笑いだった。

 どうすればいいか分からなかった。

 いや、ここで冗談を重ねれば、きっと、何となく終わる。

 でも延命治療のような会話は苦手だった。


「……ごめん。ねえ、暗い話は……嫌だ」


 分からないから、ただ気持ちを口にする。

 以前、そうすればいいと、そうしたら後は自分がどうにかするとお兄ちゃんが言ったから。

 私の気持ちを聞いたお兄ちゃんは、今度はヒーローみたいな笑顔に変わって、じゃあと切り出した。


「え? いい点数だったから、ご褒美が欲しい?

 なるほど、そういうのはあった方がいいかもね。

 あんたの部屋の小説でもよくご褒美出てくるもんね。

 あ、もしかして私にえっちなお願いしたいとか? それ犯罪だよ」


 違う! と慌ててお兄ちゃんが否定する。少しずつ、いつもの空気を取り戻していた。


「いいよ。そういうのは開き直ってえっちなお願いをするか、なんだかんだちょっとえっちなトラブルが起きるパターンになるんだ。私は知ってる。天才だから。挿絵のあるページが何となく開きやすい感じになっていることも、全部知ってる。

 ……そうじゃないんだ。ふーん。じゃあ、あんたが欲しいご褒美はなんなの。言ってみて」


 ためらいなくお兄ちゃんが願いを口にする。


「……一緒に遊園地に行きたい⁉ 何が違うの! 完全にちょっとえっちな感じのお願いじゃん!

 全然そんなのはえっちじゃない? でも、遊園地なんて大人のデートじゃないの……? うーん、私にはちょっとよく分かんないけど……遊園地は、まだだめ」


 遊園地は大人のデート。大人のデートといえば、ちょっとえっち……だと思ったが、違うみたいだ。

 この間違い……私がえっちなことばっかり考えてるって思われない?

 可燃性の高そうな話題で誤魔化すか。


「……ところで、あんたさ。部屋の小説から何となく思ってたんだけど……もしかして、小さい女の子が好きだったり……するの? あの、ロリコンってやつ……?」


 誤魔化しがてらだけど、しっかり聞きたい話題。

 いつかはっきりさせなきゃと思っていた。


 目の泳ぎまくったお兄ちゃんは「仮に、もし、そうだったとしたら、悪いのか」と開き直って問い返してくる。


「うん、ダメだよ。シスコンはいいけど、ロリコンは犯罪だから。

 シスコンは大丈夫。あれは人間の自然な感情だし、人類は皆兄妹。みんなシスコンでしかあり得ない。

 ……あ、といってもあんたの妹は私だけだからね。

 そして、私は成長してもアイムヨアシスターだから」


 強く。強く、シスコンであることを推す。深層心理がなんかいい感じにバグってくれないかと期待を込めて。

 でもダメっぽい。なにやらロリコンはただの好みであって、イコール犯罪というのはどうとかこうとか、ごにょごにょ言っている。


「うあ……微妙な反応だ。どうしよう。大丈夫かなあ。あんたの年齢を考えれば年の差的には変ではないから、今後次第? もっと大人の魅力でアピールすべき? でも、私にはまだ難しいし……」


 考え込んでいると、お兄ちゃんが口を挟んできた。

 居心地悪そうに話題を変えようとしている。


「なに? 誤魔化さないでよ。そういう趣味嗜好はちゃんと話し合っておくべき……え、私は何かご褒美は欲しくないのかって……?

 ……そう。いい点数を取れたのは私がいたからこそか……いい心がけだね。これからは『下の中僕』とかにしてあげる。うん。略して下僕」


 私の冗談はまたしても笑いを生まなかった。……一体何が足りないというのか。

 誤魔化すために、お兄ちゃんの提供した話題に真剣に向き合ってみる。

 なんか互いに誤魔化し続けているし、ここらでちゃんと会話をしておかないと。  


「……で、ご褒美ね。うーん……私はないかな。お父さんもお母さんも私に激甘だから、ものに不自由してないし。

 あ、じゃあ今度、電車に乗って二人でどこか行こうよ。あんたも私と一緒にいるのがご褒美になるんでしょ。丁度いいじゃん」


 遊園地とか? と先ほどの会話を忘れたのかお兄ちゃんが聞いてくる。


「遊園地じゃなくて。買い物とか」


 買い物はいいのに遊園地はだめなのか? と何に拘っているのかしつこく続けてきた。

 むしろ買い物と遊園地を同じに思っているのか? 

 何も分かっていないお兄ちゃんに、呆れながら説明してやる。


「遊園地と買い物は全然違うよ。

 ……何が違うか分からない? もうデリカシーがないなあ。

 ……遊園地は駄目だよ。だって、私まだ子ども料金だもん」


 少しもったいつけた言い方をしてお兄ちゃんの様子を窺う。

 得していいだろ、と素っ気なく言ったが、一瞬慌てたのを見逃さなかった。

 満足して答える。


「得していいって……分かってないなあ。

 いい? サンクスコストって言って、人は時間やお金を投資すればするだけ、それを意思決定の際に不当に重んじるようになるの。子ども料金で得だなってあんたは思うんだから、そこにはあんたが何か私との間で嫌なことがあっても『まあでも子ども料金だしな』で諦める余地があるってことになるじゃん。そんなの嫌」


 ……ということも思っていなくもない。

 まあお兄ちゃんにはまだこれでいいだろう。 


 しばらくぼかんと口をあけてお兄ちゃんは固まっていた。

 ようやく言われたことを理解すると、少し赤面して、不満げに返事をした。


「私が自分で払えばいい……? 私は小学生だよ。正気? 

 言ったでしょ。能力のある人間は、能力故に得るものとちゃんと向き合うべきなの」

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