天才の妹の下僕

直井千葉@「頑張ってるで賞」発売中

第1話

「あんたさ……このテストの点数、なに。

 相変わらず英語だけは良いけど、暗記系の科目がぼろぼろじゃない。

 ……まるで、勉強時間が足りなかったみたいに」


 冷たい声で言う。わざとらしくなっていないだろうか。

 あまり自分の声は好きではない。だが、こういうときには便利だ。


 少し掠れていて、かわいくない。声変わり前の男子と比べると、私の方が男みたい。

 小学生と思えないくらい落ち着いている。

 それは悪くはない評価ではあるけれど、お兄ちゃんはもっとかわいい声が好きそうなんだよな。

 ……いや、どうでもいいのだけれど。


「何か理由があるなら、先に言ってよ。

 だって、私の言った通りに勉強したならこんな点数取るはずがないもん。

 テスト中に犬が迷い込んで大騒ぎになったとか、体調管理に失敗したとか、そういう勉強以外の影響があるとしか、思えない」


 慌てて実は体調が優れなくて、と弁明するお兄ちゃんに意識的に優しい表情を作って相槌を打つ。


「そうなんだ。ちょっと最後の追い込みで夜更かしをしちゃったせいで、風邪気味だったんだ」


 一瞬、にこやかに笑って……表情を戻す。


「じゃあ、今度からはそっちの管理も私がしなきゃ駄目みたいだね。

 言ってあったよね? 夜更かししてまで勉強するなって。

 特にテスト前は早く寝て、早起きして一時間目のテストから頭が冴えるようにすること、コンディションを整えることの方が大事だって。


 まあ、分かるよ。不安を打ち消すためについやってしまうとか、全部が全部予定通りにならないのも当然。

 でも、当然だから私はそういうのも計算にいれて予定を組んであげてた。

 だからさ、あんたみたいに一般的な意思の強さの人間だとしても、この点数はあり得ないの。

 今回はひとりで大丈夫って言うから任せてみたのに……これじゃあ、ね」


 一度言葉を切る。快楽を感じていることを悟られないように気を付けて言葉を紡ぐ。


「やっぱり、私が手取り足取りでやってあげないと駄目ってことか」


 今回はたまたま、とみっともなく言い繕うお兄ちゃん。なんて嗜虐心のくすぐられる。


「本当にばれてないと思ってる? 私、はじめから分かってたよ。あんたは絶対今回のテストで悪い点数を取るって。だって昔から好きだったゲームの新作が発売しちゃったもんね。

 あーあーせめて素直であってくれたらなあと思ったけど、私が体調不良って口にしたら嬉しそうにそれに飛びつくんだもん。本当にがっかり」


 言いながら、全然がっかりした声をしていないと自分で気付き、取り繕うために咳ばらいをいれる。


「まあどちらにせよ、同じことだね。

 テスト期間中にも関わらず、あんたは自制心をもって臨むことができなかったんだから。

 はい、じゃあ約束通りあんたはまた私の下僕ね」


 突飛な約束を、愚兄は仕方ないかあと慣れた様子であっさり受け入れた。

 私はそれに少し苛立ちを覚えた。


「あんたさ……いいの? それで。私、小学生だよ。

 小学生の妹に下僕って言われて、なんではいはい言って受け入れてるの。まあもう六年だから、そんなに小さいわけではないけど。

 でも、あんたはいくつ? 高一だよね。プライドってものがないの?

 私は確かに天才。一度見たものは絶対に忘れないし、応用力だってある。

 あんたがまだ習っていない高校の勉強もほとんど理解していて、おまけに可愛い。

 うん……? そう考えると私が悪いのか。私の下僕って光栄だもん」


 言いながら気付いた新事実。そうか私が偉大なせいだったのか……。

 嘘。知ってた。

 だって、お兄ちゃんは今も「そうだそうだ」と言わんばかりに赤べこみたいにうんうん頷いている。


「ひょっとしなくても喜んでるんだよね……。ねえ、そういうのは気持ち悪いよ。

 はあ……喜んでるなら、もっと勉強ちゃんとやってよ。私の担当分の家事をやるだけが下僕じゃないからね。

 ひとまずは私と一緒に通えるくらいの大学に合格すること。

 わざわざこの私が勉強見てあげてるんだから、もっと気合いいれて欲しいなあ」


 調子のいい返事が返ってくる。

 もうこれで終わらせようとしているのだ。

 不完全燃焼な余韻。このまま終わることには抵抗があった。


 お兄ちゃんには私のことを常に考えていて欲しい。

 そういう意味では下僕としての今の関係は悪くない。

 でも……。


「……そういえば『あんた』って呼ぶのもさ、何も言わないよね。

 きっかけって覚えてる? まさか私が言い出したとか思ってないよね?」


 本当に言いたいのはこんな話ではないけど、それは直截に言うようなことではないと思うので少し遠回りをして切り出す。


「発端はあんただからね。

 私の頭が特別に良いことがまだよく分からなかった頃に、無謀にも勝負をしかけてきて『俺が勝ったら二度と生意気なこと言うな。お前が勝ったら何でも命令聞いてやる』なんて言ってさ。

 返り討ちにして『お前』って呼んでたら、お母さんに『お前は駄目。あんたにしなさい』って注意されたのがきっかけ。


 言っておくけど、私は別に呼びたくて呼んでるんじゃないからね。

 ただ勝者の証としてそうしているだけ。

 分かる?

 モテる子が『全然モテないんだよね』とか言ったら殴りたくなるでしょ?

 才能のある人間が練習を疎かにして結果がふるわないのを見るともやもやするでしょ?

 能力のある人間は、能力故に得るものとちゃんと向き合うべきだと私は思う。

 だから私は勝者の証として得てしまったこの権利を、仕方なく受け入れているの。


 何の話って……まあ、そうだね。じゃあ……どうしてあんたは何も文句言わないの。

 ……別に悪いと思っているとかではないけど。

 私があんたって呼んで、下僕にして、それで周りが私を横柄と見るのは仕方ないけど、あんたはあんたの下僕としてのプライドでご主人様が悪く思われないように出来ることがあるんじゃないかって話。

 ……分かんないなら、もういい」


 お兄ちゃんは分かった分かったとまたも慣れた様子で頷く。

 やっぱり伝わらないが仕方ない。私だって、もっと簡単に言えばいいのにこんな言い方をしている。

 それは、多分伝わって欲しくないと思っているからなのだ。

 

「はあ、もう……何その返事。力が抜けるなあ。

 よし。じゃあ気分転換にゲームするよ。受験は息抜きが一番大事なんだから。知らないけど。ほら、早くあれ持ってきてよ。私もやりたかったんだから。昔のやつもお兄ちゃんがアドバイスしてくれて一緒にクリアしたもんね。だから、絶対先にやると思ってた。……勉強の成果、ちゃんと見てあげるよ」

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