一服廃墟ちゃん

うなぎ昇再

第01章 心を閉ざすまで

01 ベタな黒歴史-1

 「僕は泣き虫なんかじゃない!」そう強く否定した時期もあったけど、次第に虚しい強がりだと身に沁みて口をつぐんだ。

 だってあそこまで盛大にやらかしてしまったのだから、言い訳の余地もない。

 ウレタン樹脂塗料で塗られた床には、当時の衝撃度を物語る小さな水溜り、その目の前で尻餅をついた少年のグレーロングパンツの前部は色濃く染みていた。はい、僕のことです。

 どうして咄嗟とっさに逃げられなかったのかな、あの同級生のように一目散に。そうすればあんな失態を犯すはずも──いや、それも結局無駄な抵抗で、遅いか早いかの範疇だっただろう。恐怖の名残から、皆がいる前でしてしまっていたら尚更トラウマになっていたかもしれない。

 そもそも誰だよ、肝試しなんて僕にとって地獄でしかないイベントを提案したのは──とは毛ほども思ってない、大体予想はつくし。

 


◇◇◇



 今日は七月二十五日、金曜六限目、いよいよ明日から待ちに待った夏休みに入る。既に一ヶ月を謳歌するための計画は立てていて、東京の絶叫アトラクションが勢揃いのハザードランドや、青のペンキを塗ったような日本海を一望できる老舗旅館など、考えただけで夜は眠れそうにない。

 そんな幸せ気分に浸っていると廊下から誰かの足跡が聞こえてきた。

 教室のスライドドアを開ける音が合図と言わんばかりに、日直の生徒が号令をかける。

 

 「起立っ! 礼っ!」

 

 「「「「「お願いしますっ!」」」」」


 教卓に先生が立つ前に一連の挨拶を済ます流れが何故だか日常化している。そのフライング気味な動向も別段気にすることもなく、夏休みに関しての注意事項を説明し始めた。

 先生の声は薄寂しい時に流す作業BGMみたく脳内の隅で流れていて、メインの話頭は変わらない。いくら旅行に行くとしてもせいぜいの計五日程度しか消費できない、一ヶ月と数日間を過ごすには楽しみが足りない。

 何も遠出をするだけがいい時間の過ごし方とはもちろん言うまい、家でぐーたらゲームしたり、読書したり、計画的な塩梅で宿題を消化したり、ホラー映画みたり、一人でホラー映画みたり、部屋の明かりを消して一人でホラー映画みたり、体感型を実現した真っ暗なスクリーンで一人でホラー映画をみたり……っ!

 いや、待て──楽しみを追求している場合ではなかった、僕には夏休みの一時的な宿題よりももっと大事な課題が──


 「蕾破らいはくんっ!聞いてますか?」


 「──はいっ!!」


 物思いにふけっていたらいつの間にか前方の黒板が見えなくなっている、つまり僕だけ着席したままだ。急に現実に引き戻された驚きから思わず頓狂とんきょうな声が出て、周囲の席から僅かに笑いが起きる。


 「センセー勇飛ゆうひくんがまたメンチ切ってますよ、これはお仕置きが必要なのでは?!」


 あ!クラスメイトが名前を呼んでくれたので此処で自己紹介ぃ──コホン、ゲホッゲホッ、しておぐねっ(涎溜まりすぎて喉詰まった)。

 僕の名前は蕾破勇飛らいはゆうひ、些細な衝撃でもかなり驚いちゃう完全に名前負けの小学六年生だよ。好きな物はボムボムボムねっていうわたぱちで四種のフレーバーの中でもコーラ味が好きかな。

 将来の夢は幽霊と友達になること。

 はっ? って思うよね?? (煽ってないよ)。

 でもこれには大きな意味があるんだ、さっきも言った通り些細な衝撃でも苦手な僕だけど、特に心霊関連はぶっちぎりで耐えられない。いないようでいるその不確かな存在は認識するだけで精神を蝕んでいく。普通なら回避したい対象だけどそうも言ってられない、彼ら彼女らを克服すればきっと小さな物音も何もかも平気になるはずだ。

 そして夢の果ては結婚すること、お嫁さんを見つけること、もちろん幽霊を迎え入れる訳じゃないよ。


 「もう結構です、このあと職員室に来なさい」


  学習能力お猿さん以下の僕は再度先生の話を聞かずに、え無く呼び出しを喰らった。



──下校時間から約一時間を要し、やっと解放された。自業自得とはいえ反省文の仕上げとその様子を終始観察してくる先生の圧迫感から二重の疲労感がある──応接スペースはパーティションのせいで隔絶空間だから尚更。

  いつもの調子で帰路に着こうと、職員室から出て数歩の所で手ぶらなのに気付く。危ない危ない、うっかり体操着を忘れるところだった、こんな真夏の高温下に晒してたら素晴らしい発酵具合になっちゃう。取りに行かなきゃ。



──のんびりと階段を登る途中で何やら騒がしい声が聞こえてくる、音の響きからして自分の教室に近い。

 廊下に足を運んでまず視界に入ったのは淡い蛍光灯の光だった。


 「──ぃくん、卒業おめでとぉうぅ!」


 「──んなにいっぱい出しちゃって興奮しすぎたかぁぁ!?」


 「──貞ぇっ!!」


 教室から祝福の歓声が漏れてくる、何だろう?   

 もう中学へ上がるモチベが高まってるのかな、まだ卒業まで半年以上はあるのに気が早いな──えっ?

 開けっ放しの扉の真横で思わず硬直してしまった。

 目線先の机には何やら白い液体に塗れた布袋と、滴り落ちて溜まった白い水溜り、その周囲にはクラスメイトの三人がいて、適当に誰かの机に座って燥いでいた。

 僕は恐る恐る聞いてみる。


 「それ……もしかして僕の体操着?……」

 

 「本人が帰ってきたぞぉっ! なぁ? 気持ちよかったかぁ? そうなのかぁ? そうなんだよなぁ!?」


 「え?」


 「え? じゃねえよぉ、こんなにしといて誤魔化せると思ってんのかぁ? 生臭えなぁ〜」


 クラスメイトの一人が手を叩きながらニヤけ、僕の隣に来て肩を軽く叩く。全くもって何を言ってるのか意味不明だ。


 「その歳で賢者タイムとはなぁ、ちょっとしゃしゃり過ぎ何じゃないですかぁ〜?」


 「ご、ごめん、何言ってるか全然理解出来ないんだけど……」


 「イラつくなぁ、純情ぶってんじゃねぇ──」


 突然、轟音と共に肩に乗っていた温もりが消え、クラスメイトが前方の机ごとふっ飛ばされていた。目を逸した隙に別のもう一人の巨体が僕の目の前に佇む。これがミスディレクションってヤツなのかな?


 「競骨そうぼね、真正面に入るなって何度言わせんの? もう死ぬのお前?」


 とても同い歳には思えないこの貫禄の主の名前は粋米蔑大いきごめべつひろ、クラスのムードメーカー兼いじめの元凶。彼の接し方はいじめ派閥とそれ以外で異なり、前者なら乱暴に、後者ならフレンドリーとなる。

 だからクラスには残念ながらいじめが存在する、一部はターゲットにされるのが怖くて仕方なく悪事に加担してしまう。

 そして何故このタイミングで僕にられる側の番が回ってきたのか分からない。こんなの理不尽だよ。


 「す、すまねえ……べっ君……」 


 「回りくどいの嫌いなんだわ、とっとと要件伝えろや」


 ふっ飛ばされたクラスメイトにさっきの威勢はなく、借りてきた猫のように静かになった。   

 粋米君は一呼吸置いてから右手に持っていたスマホ画面を縦向きにして、僕の顔の目の前に突きつけてくる。


 「これって……まさか……!?」


 「ああ、暇人のお前なら当然知ってるよな?CUT BOOKっていうアプリ」


 CUT BOOKとは誰でも気軽にショート動画を投稿できる若者の中でも大流行中のアプリ、撮るジャンルは様々だけど、楽曲に合わせたダンス動画が現在バズりやすいらしい。困ったな、僕には人一人は愚か、不特定多数の客人に魅せる程の特技なんて持ち合わせていないのに、こんな無縁なアプリを紹介して何を企んでいるんだろ──と冷静になり始めた頃、表示されているとある動画のタイトルを見て、背筋が凍りつく。


 「『僕はイケない子☆』……コレって、まさか……僕のこと?」


 「状況が飲み込めたようだな、このボタンをポチッと押せば……どうなるか……そのおこちゃま脳でも理解可能だよな?」


 そう言うと、玩具の正しい遊び方を知らない子供のような無邪気な笑みを浮かべた。

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