第2話 眠りネズミと白ウサギ



「昨日のあれはなんですか。そして、あなた方はあの場で何をしていたんですか」


 昨夜、カーティスに言われたから屋敷にやってきたというのに、ずいぶんな態度だと憤慨してしまう。


 だいたい、ジョンはカーティスの言い分など無視して、すぐに屋敷に突撃することもできたのだ。律義に夜が明けてから来たのは、自分が見たものを整理するためであった。


 結局ミランダは失血死して助からず、ジョンは不審者を発見できず、現場には血文字の「J」が残されていた。鋭利な刃物のようなもので首を切りつけられていた。五人目の被害者が出たと新聞は大騒ぎだ。


「昨日――いえ、今日ですね。0時半ごろ、ミランダという女性が殺害されました。私は被害者の叫び声が聞こえてすぐに犯人を追いかけました。あの時刻に現場付近にいたあなたは重要参考人ということになります」


「僕を容疑者扱い?」


「質問に答えていただけないのでしたら、逮捕状をお持ちしますが」


「それはいやだなあ。……で、きみは警察のお仲間に報告したの? マフィアと怪物が一緒にいるところを見ました、って」


「…………」


 ――報告はしていない。


 ジョン自身が昨日見たものを信じ切れていないからだ。


 カーティスは引き出しから煙草を取り出すと咥えて火をつけた。


 一息吸うと、かったるそうな表情が少しだけ引き締まったように見える。


「……世間を騒がせている第二のジャックの正体はあの怪物だよ」


 ふう、とカーティスが煙を吐き出す。

 紫煙をくゆらせるとはよく言うが、カーティスが吐く煙は銀粉でも混じっているかのようにキラキラして見えた。


「僕たちロゼット家は化け物を退治して回る一族なんだ」


「そんなおとぎ話みたいな話を信じろと?」


「信じる信じないはきみの自由だけど……。ああ、お茶もお出しせずに失礼したね。イヴ、頼めるかな?」


 ジョンの視界の端で、白髪の少年がこっくり頷いたのを見てぎょっとした。


 真っ赤な虹彩の色といい、体格といい、昨日のフードの少年と同一人物とみて間違いないようだが……。いったい、いつから俺の死角にいた? あんな子どもに二度も背後を取られるなんて信じられない。


「……アルビノの子が珍しい?」


 カーティスに微笑まれたが首を振る。

 見た目の異質さに驚いたのではなく、音もなく背後に立たれたことにぞっとしたからだ。


「いや。彼もロゼット家の人間なのか」


「分家の分家のそのまた分家の遠ーい血筋の子なんだけどね。今は僕が世話をしているんだ。さて、話を戻そうか」


 カーティスは机の上にある新聞記事に触れた。

 今日の朝刊にはでかでかと昨夜の事件が報じられている。


「昨日のあれは、僕は『芋虫』と呼んでいる形態の異形だ。あれは人間の悪意や欲望が大好きで、寄生虫みたいに人間に憑りついて欲望を吸い取り、肥大化して、やがて人間の身体から出ていく。そして人を襲うんだ」


「つまり、ミランダにあの気色の悪い化け物が取り憑いていたのか?」


「いいや。憑りつかれていたのは第一発見者の男だろう」


「なぜ言い切れる?」


「――ロゼット一族は『異能』を持って生まれるからだよ。僕にはあの怪物の居所が


 漂う煙の向こうでカーティスは笑っている。


「僕が感知できるのはあの怪物が宿主となっている人間から分離したとき――ヒトと同化しているうちは気配が消えちゃうんだ。僕が感知するまでの間、あの怪物はほとんど移動していなかった。つまり被害者とずっと一緒にいたということになる」


 どこかからやってきてミランダを殺したのではなく、ずっと一緒にいた宿主のマチアスから分離してミランダを襲ったと。


「そして、今は別の誰かにくっついたんだろうね。気配が消えた。宿主から宿主を渡り歩き、悪意を吸って人を殺す。あれが、ここ三件の切り裂きジャックもどき事件の犯人だよ」


「三件? 昨夜ので五件目だが」


「僕が感知したのは三件だけだよ。残りの二件は知らない。模倣犯なんじゃないの? だって、血文字の『J』さえ書いてあれば、ジャックの事件に見せかけられるわけだろう?」


「それはない」


 ジョンはきっぱり否定した。


「警察も模倣犯が出ることは想定している。現場に残された『J』はアルファベット表記ではなく、ルーン文字の『J』だ。このことは公表されていない」


「ああ、なるほど。ジャックに罪をかぶせようとアルファベットでJを書き残すようなやつがいたら模倣犯ってことか。で、昨夜のミランダちゃんはルーン文字だった、と」


「お茶をお持ちしました」


 イヴと呼ばれていた少年が紅茶の乗ったトレイを持って戻ってきた。


 マフィアの屋敷で出された茶を飲むほど呑気な性格ではないため、ジョンは手を付ける気になれなかったが、カーティスは美味しそうにカップに口をつけた。そして煙草を吸う。……ヘビースモーカーなのか?


「あんたの言うとおり、あの怪物が殺人事件の犯人だとすると、血文字の『J』の説明がつかない。怪物ってのは犯行のサインを残すものなのか?」


「残さないね」


 つまり、『J』を書いたのは人間だ。

 事件直後に現場にいた誰か。怪物の事件をジャックのせいにしたい誰か。


 そして、怪物が襲ったのは五件中三件で――だが、カーティスの言う『異能』とやらはそもそも信用できるのか?


「ねえ、スミス刑事。僕たち、協力しないか?」


 カーティスはにっこり笑った。


「協力?」


「僕はあの怪物を退治したい。きみは事件を解決したい。怪物が現れた現場にきみがいれば、おのずと誰が『J』を書いたのか判明するだろう?」


「断る」


 おや、と長い睫毛をぱちぱちされる。


「あんたの異能とやらが本物なら、警察である俺と協力する意味がわからない。自分の部下を使えばいいだろう。あるいは警察に正式に捜査協力を申し出たらどうだ」


「その一、きみと協力するのは足が欲しいから。僕が屋敷から走るより、きみを走らせた方が早い。その二、ロゼット家はとにかく分家が多いんだ。この街にいるのは僕と妹とイヴ、それから寝たきりの婆さん。あとは雇いの家政婦と庭師だけ。その三、僕は『J』を書いた犯人は内部犯なんじゃないかと疑っている。……だから個人的にきみを誘ったんだよ」


 ジョンを論破したカーティスは満足げだった。


「ああ、もうひとつ。ロゼット家が『異能』持ちという証拠を見せてあげよう。……イヴ」


 カーティスが白髪の少年の名を呼んだ。

 次の瞬間にはジョンの額に銃口が押し当てられていた。


(は……?)


 今。動きがまったく。


 ……見えなかった。


 ジョンにはイヴが忽然と自分の前に現れたように見えた。


「イヴも異能を持っている。彼は時を止めることができる能力の持ち主だ。……止めるって言っても十秒だけだけど」


「十秒」


「十秒あればきみを射殺するにはじゅうぶんだよね?」


 イヴはまったく感情のない赤い瞳でジョンを見下ろしている。

 ジョンのこめかみを冷や汗が伝った。


「……ふ、ふざけるなよ。脅しじゃないか」


「脅しじゃないよ~。仲良くしようってお誘いだよ~?」


「銃口向けられたまま仲良くできるわけないだろ!」


「はははは。一応ロゼット家の秘密も教えてあげたわけだし、牽制はしておかないとね」


 ともあれ、カーティスの話を鵜呑みにするわけではないが収穫はあった。


(確かに、これまでの五件の事件はすべて同一犯によるものだと思っていたが、『怪物の事件』『それ以外の事件』『Jを書いた人物』すべてバラバラに考えてみた方がよさそうだ)


 もう一つ言っておこう、とカーティスは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


 クリスタルガラスの高そうな灰皿に押し付けられた煙草の灰の色は鮮やかなコバルトブルー。既製品の煙草ではないらしい。


「僕の異能で感知できる範囲は、この屋敷を起点としたサン=フォルティス市内だけ。市街に逃げられたらちょっと難しくなる」


「市街まで追いかけて探せないのか?」


「できないことはないけど、この能力はすっっっごく疲れるんだよねぇ。もう毎日眠くて眠くて仕方ないんだ。だから――……」


 がくっとカーティスは机に突っ伏す。


「おい⁉」


 すーすーと寝息を立ててカーティスは寝ていた。

 イヴが銃口を突き付けたままで言う。


「……眠気覚ましの煙草一本で主が起きていられるのはせいぜい三十分が限界です」


「は⁉ たったの? じゃあもう一本吸えよ」


「身体に悪いので一日二本までです」


 さっきまで饒舌に喋っていたのが信じられないほど、カーティスはゼンマイが切れた人形のように寝こけている。だから昨夜、ジョンが腕を引っ張ったせいで煙草を落とした時に怒ったのか……。


「後日また連絡を取り合いましょう。今日のところはお引き取り下さい」


 イヴは銃口をこちらに向けたまま、能面のような顔でジョンを追い払った。



 ◇



「あら、もうお帰りになられるの?」


 部屋を出ると、真っ赤なミニドレス姿の少女が待ち構えていた。


 カーティスの妹のアンナだ。


 この屋敷を訪ねてきたとき、応対してくれたのがこの娘だったが――大方、隣の部屋かどこかで話を盗み聞きしていたに違いない。兄の元に警察が訪ねてきたとあれば何の用件か気になって当然だろう。


「ええ、お邪魔しました」


「玄関までお見送りしますわ」


 腕に絡みつかれたジョンは戸惑った。


 カーティスも整った顔立ちをしていたが、アンナもとびきりの美少女なのだ。


 ぱっちりとした大きな瞳に、兄と同じく綿菓子みたいな金髪。


 露出の多い服装だが、十六、七歳くらいの若さのため、セクシーさよりも健康的な可愛さが強調されている。


「お兄様、ちゃんと起きていらした?」


「……私と話している間は起きておられましたよ。今はナイトが眠りを守っているようです」


「イヴね。あの子はお兄様にべったりだから怒らせると怖いわよ」


 アンナはマスカラをたっぷりつけた睫毛をバサバサさせて微笑んだ。


「例えば、迷子になったふりをしたあなたがこの屋敷の中を用もなくうろついていたら……」


 バン。

 アンナは銃の形を作った手でジョンを撃つふりをした。


 ……まさに、人がいないのをいいことにマフィアの屋敷の構造を見ておこうと思っていたジョンは、見破っていたらしいアンナの笑みにどぎまぎした。


「……それが貴女の『異能』ですか?」


「え?」


「人の心を読むとか、予知するとか……。貴女もロゼット家の血を引いているのでしょう?」


「あら。お兄様が異能の事を話したの? さあ、うふふ。どうかしらね。女の子はお砂糖とスパイスと秘密でできているの。わたしの事が知りたかったら、今度ゆっくりデートでもしましょ?」


 アンナの誘導で速やかに玄関に返される。


「またね、スミス刑事」


 投げキッスと共に扉は閉められた。

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