異能マフィアと夜の怪物

深見アキ

第1話 切り裂きジャックの再来


 こいつは人の話を聞く気があるのだろうか?


 ジョンが部屋の扉をノックし、「どうぞ」と声がしたから中に入り、懐から取り出した警察手帳を開いて「サン=フォルティス市警のジョン・スミスと申します。昨晩の件で伺わせていただきました」と堅苦しく名乗っても、執務机に座って頬杖をついた男は目を開けなかった。


 柔らかそうな蜂蜜色の髪。

 六フィート以上ある高身長に、ビジネス用ではない洒落たスーツ。


 ジョンより三つも下の二十二歳だというのに青臭さがなく、落ち着き払った態度の青年は微笑みを浮かべてゆらゆらと船を漕いでいた。


 ……警察が真っ昼間から訪ねてきたのだぞ?


 敬礼して出迎えろ、というわけではないが、なんだその余裕っぷりは。


 自分が舐められているように感じたジョンは唇を真一文字に引き結んだ。


「カーティス・ロゼット氏でお間違いはありませんか」


「…………」


 返事はない。


「もしもし、ロゼット氏?」


「…………」


「もしもし!」


「……聞こえてるよ。ジョン・スミスくんね、はいはい」


 男は面倒くさそうにまぶたを開けた。


 澄んだ青い瞳がようやくジョンの方を向くが、すぐにふわあああとかったるそうな大あくび。ジョンは挑発的に問いかけてやった。


「ずいぶんと眠そうですね。で寝不足ですか」


「いや? 体質でね。昼間は常に眠いんだ」


「では夜に出直しましょうか? もっとも――私がこのロゼット家に足を運ぶよりも前に、市内でする可能性の方が高いかもしれませんが」


 挨拶代わりのジャブにもカーティスはのほほんと微笑む。


「どうかなあ? 僕は出歩くのはあんまり好きじゃないんだ。できることなら一日中、日当たりのいいバルコニーで微睡まどろんでたいよ」


「なるほど。つまり、あなたは昨夜、たまたま散歩中に事件に遭遇したわけではなく、目的を持ってあの場にいたということですね」


 ジョンは鋭い目つきでカーティスの顔を真正面から見据えた。


「――昨晩の話をお聞かせ願えますか?」



 ◇



 現在、サン=フォルティス市内ではとある残忍な事件が多発していた。


 若い女性を狙って刺殺し、現場には血文字で『J』の頭文字を残している。三か月前に一人目の被害者が亡くなってから、既にもう四件目だ。


 新聞やゴシップ誌は「切り裂きジャック事件の再来」と連日のように憶測記事を出していた。二十年前、英国で五人もの娼婦が殺害されたにも関わらず未解決の事件はあまりにも有名だ。属国であるこの国、シャルムでも誰もが知っている。


 そんな第二のジャック事件捜査のため、市警は連夜見回りを強化していた。


 ジョンも昨夜は担当区域であるアンシャンス通りを見回っていたのだが――……





「わかりましたわかりました。これ飲んだら帰りますってぇ」


 地べたに座り込んで酒盛りをしていた若者グループに声を掛けるとうっとおしそうに応対された。


 アンシャンス通りは繁華街の裏手にあり、夜は若者の溜まり場と化している。


 安い酒と煙草、そして香水の匂い。


 狙われているのは若い女性ばかりだというのに、男性たちとグループでいれば大丈夫だと思っている女も多かった。かがめば胸元が丸見えになるようなワンピースの女が酔ってジョンに絡みつく。


「おにーさん、かっわいい~。新米刑事ぃ? あたしぃ、酔っちゃったから家まで送って欲しいのぉ」


「お前んち、歩いてすぐそこじゃねーか!」


「ミランダは男を見るとすぐこうだ」


 ぎゃははは、と笑い声を上げる男たちと、身体をくねらせてしなを作る若い女。


 ジョンは毅然とした態度で女の手を解くと帰宅を促した。


「意識もしっかりありますし、自立歩行も可能なようですね。同行を必要とされるようでしたらお送りしましょう」


「お巡りさんが抱っこして連れて帰ってぇ?」


「お断りさせて頂きます」


「えーん。冷たぁい。お兄さん、そんな堅苦しい態度じゃモテないわよぉ」


 ミランダと呼ばれた女は別の男にしなだれかかる。


 でれっと相好を崩した男は「俺が連れて帰ってやるから心配すんな」と腰を抱いた。


「やだ~ぁ。マチアスったら今日はずいぶん積極的じゃなぁい」


「へえ? ミランダはこういう積極的な方が好きなんだ?」


「なに~? 突然の俺様キャラ~? きゃははは、好き好きぃ~!」


 ミランダがマチアスの頬に真っ赤なキスマークを付ける。……なんだ、この茶番は。


 危険な殺人犯がうろついているかもしれないからくれぐれも気をつけるようにと再度忠告するも、わかったわかったとうっとおしそうに追い払われた。


 ジョンはやや童顔で、警察官の中でも身長はあまり高くない(規定では5.6フィート172センチ以上ないと採用されないのだが、ジョンはギリギリだ)。そのせいか、勤続六年目の警部補であるというのにぺーぺーの新米扱いされることはしょっちゅうだった。


 若者にからかわれたり、酔った中年に暴言を吐かれたりしながら迎えた深夜〇時。


 第二のジャックの犯行時刻は深夜十二時から明け方にかけて。


 被害者同士の接点はほとんどなく、夜の早いうちに獲物を狙い定め、一人になったタイミングで襲い掛かっているらしい。


 凶器は刃物。物は見つからず、犯人が持ち去ったものと思われる。


(怪しい人間がいたら職質。所持品を検査し、危険物が出てきたら問答無用で連行)


 今日のジョンは深夜一時までの勤務。そこからは交代だ。


 酒瓶を抱いて眠る泥酔親父を叩き起こして家に帰した。以降は、静かなものだ。事件の影響で夜に出歩く者は減ったし、ジョンが口うるさく説いて回ったために若者たちも帰っていった。猫の目のような月が冴え冴えと夜の街を見下ろしている――……。


「キャアアアアアアッ!」


 突如として響き渡った女の悲鳴。


 ビクッと身体を強張らせたジョンは、直後、反射のように走り出した。


 ジャックが出たのか。

 アンシャンス通りを走る。


 すると、

「うわああ、ああっ」

 建物から、裸の男が叫びながらまろびでてきた。


 制服姿のジョンに体当たりするようにしがみつかれる。車座になって酒を飲んでいた若者グループの一人だった。あの時ほっぺたに真っ赤なキスマークをつけられていた男の名は、確かマチアス。


「た、たすけっ、助けてくれっ」


「落ち着け。何があった」


「ミ、ミランダが、死、死、死んでるっ……」


 マチアスは下着一枚姿で、濡れた肌や髪からぽたぽたと垂れる雫が石畳に染みを作っている。


「シャワーを浴びてたらミランダの叫び声が……、慌てて出たら、血まみれで倒れてやがって……!」


「案内してくれ!」


「あ、あのアパートだ。窓から誰かが逃げてったんだ!」


「ジョン!」


 裏通りである繁華街を担当していた先輩刑事・ルッツも叫び声を聞いたらしい。


 ジョンは男をルッツに預けることにした。


「被害者は女性! まだ息がある可能性があるので、先輩はレスキューを!」


 言うなりジョンは走り出す。


「どこへ行く!」


「逃走した犯人を追います!」


 建物裏手の窓から逃げたのならそう遠くには行っていないはずだ。


 血まみれで倒れていたという証言が本当なら、返り血も浴びているはず。ジャックは凶器も現場には残さない。脇の路地から裏に回ると、血痕が北に向かって残っていた。その後を追う。だが、大通りでその痕跡はふっつりと消えてしまっていた。


「くそ……!」


 もはや手当たり次第に裏路地を覗いて回るしかないか。

 ジョンが駆けだした時だ。


 ――キン!


 甲高い金属音。ジョンの耳には薬莢が石畳に落ちた音のように聞こえた。


 近くの路地に誰かが潜んでいるのか?


 ジョンは懐に手を突っ込み、支給品である銃を構える。


「……なかなか往生際が悪いね」


 人の話し声だ。


 ジョンは足音を殺して壁に張り付くと、路地裏に立つ男の姿を確認した。


 背が高い。目算で六フィート以上。


 男の手には消音器サイレンサー付きの銃が握られており、行き止まりの路地で誰かを追い詰めているように見えた。内輪揉めか? それとも……。


 バシュッ、と空気を裂く音と薬莢が落ちる音。


 ああああ、と響く咆哮のような声。


 この二人がミランダ襲撃に関係があるのかはわからないが――ともかく、倒れ伏している相手を一方的に撃っているらしいこの男の事は見過ごせない。


 ジョンは銃口を男の背中に向け、高らかに呼ばわった。


「動くな! サン=フォルティス市警だ!」


「ん?」


 咥え煙草の煙が動く。背の高い男は視線だけで振り返る。


 そして、行き止まりの路地の奥にいたのは――人、ではなかった。人型のどろどろとした何か。月明かりを受けて体の表面はぬめりを帯びて黒光りし、体液を血のように垂れ流している。


「な」


 なんだ、こいつは。


 硬直したジョンに、男は穏やかな口調で言う。


「悪いね。もう終わるところだから」


 男は素早くスライドして弾を装填し、どろどろの異形に向けて再びトリガーを引いた。


 近距離で撃った弾は人間で言う心臓部分にめり込み、人型の化け物は苦しむように伸び縮みする。触手のようになった気色の悪い手が男を捉えようとしているのを見て、ジョンは反射的に声を上げてしまった。


「危ない!」


 咄嗟に男の腕を引く。


 あのどろどろの何かには見るからに毒などがありそうに見えたし――異形の化け物相手に銃撃しているのなら、男の味方をせねばと判断したのだ。ジョンが引っ張ったせいで、男の咥えていた煙草が弾みで口から落ちた。


「ああっ、煙草がっ」


「え?」


 煙草くらいでなんだと思ったジョンの顔の真横を、触手が鞭のように掠めていった。


 弱っていたはずの触手化した黒い生き物は途端に勢いを取り戻し、うねり上がってから石畳に突っ込む。巨大なミミズのように石畳の下に潜っていく。割れた石畳が粉々になって周囲に散らばった。


「あーっ、逃がした! きみのせいだ!」


 男に罵倒されたジョンは戸惑う。


「な、俺のせいとはどういう……。今のはいったい――」


「ああ、もう。バカバカバカ。すばしっこいヤツをやっと追い詰めたのに。余計なことしないで腰でも抜かしていてくれたほうが良かったよ。俺一人なら逃がしたりしなかったのに!」


 ジョンを指さして子どものように怒り出す。


 背も高くて顔もいい色男なのにぐずる駄々っ子のようだ。


 困惑しながらも事情を聞こうとした時だ。


「――お迎えに上がりました、主」


 背後から声を掛けられたジョンはぎょっとした。


 振り返るとフードを被った少年が立っている。


(いつの間に背中を取られた?)


 訓練を受けているはずの自分が、子どもの気配ひとつ気づかないなんて。


 少年は懐から懐中時計を取り出して確認する。その目は血のような真っ赤な色をしていた。


「午前一時です」


「時間ぴったりだね。今日は横槍が入ったからこのまま帰ろう」


 男は素早く薬莢と煙草を回収すると少年と共に立ち去ろうとした。ジョンは慌てる。


「お、おい、待て。あんたらは何者だ。さっきの化け物はいったい――」


「悪いけど、質問があるなら明日フォルトナ通り三十九番地を訪ねてきてくれ」


「いや、俺は今すぐにあんたを取り調べる権利がある。俺はサン=フォルティス市警の――」


「きみが何者でも無理なものは無理なんだよ」


 冷たく怜悧な口調で男は言った。


 鋭いまなざしだ。


 先ほどの異形をためらいもなく撃っていた時のようにジョンを見据える。ジョンは思わずヒュッと息を飲んだ。本能的に「撃たれる」と殺気を感じたのだが……。


「……今日は眠いから、もうおしまい」


 へらっと笑って手を振られる。


 ふざけた態度に、ジョンは勢い込んで怒鳴った。


「な、にをふざけたことを――」

 瞬きを一つ。

「――言ってるんだ……、えっ⁉」


 たった今まで目の前にいた男は忽然と消えていた。


「いない⁉」


 近くにいたフードの少年もだ。二人そろってジョンの前から消えてしまった。


 慌てて路地から飛び出しても、去り行く二人の後ろ姿すら見当たらない。


「ど、どういうことだ……?」


 夢や幻覚でも見ていたのかと思ったが、異形の物が壊した石畳の破片がそこら中に散らばっている。


 何もかもわからない。あの異形の怪物の正体も、――そもそも自分はミランダを襲撃したという犯人を追っていたはずなのに、どうしてこんな路地裏に行きついてしまったのか。


「フォルトナ通り、三十九番地……?」


 市警に戻ってから調べると、そこはカーティス・ロゼットという男の屋敷だと登録されていた。


 ――ロゼット家。


 警察なら名前くらいは知っている。


 英国本土で脈々と生き続けているマフィアの一族だ。

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