第74話 暗黒大将軍の夢

 兄であるリヒト・エスタークは剣を構える。


 エレン・フォン・エスタークを攫いにきた暗黒大将軍を打ち倒すために。


 兄は雄々しく剣を構えると、


「妹には指一本触れさせない!」


 そのように叫び、神剣で暗黒大将軍を一刀両断する。 


 暗黒大将軍は「ぐああ」と心臓を押さえながら、


「なんという力、これは妹を思う気持ちから発しているのか」


 と崩れ落ちる。


「そうだ。妹を愛するこの気持ちがどこまでも俺を強くする!」


「く、俺は愛に負けたということか。ならば仕方ない。リヒト・エスタークよ。その生き方をどこまでも貫くがよい。愛に準じ、愛に死ぬのだ」


 そのように言い残すと暗黒大将軍は地獄の底に沈んでいく。


 兄はその姿を見届けると、気を失っていたエレンを抱きかかえる。


「エレン、無事か?」


 兄の言葉と体温によって目覚める。薄目を開けて最初に飛び込んできたのはこの世で最も格好良く、美しい青年だった。


「……リヒト兄上様、私……どうしてここに……」


「その美しさに目がくらんだ暗黒大将軍にさらわれたんだ。でも大丈夫、やつは俺が討ち果たした」


「まあ」


「そして気がついた。おまえがなによりも大切だと。おまえを愛しているのだと」


「夢みたいです」


「夢だけどな」


 リヒトはぼそりと言う。エレンも薄々感づいていたが、「こほん」と咳払いをすると物語を続ける。


「――嬉しい。兄上様」


「ああ、俺も真実の愛を見つけられてよかった。あのさ、エレン」


「なんですか?」


「真実の愛をもっと感じたいんだ。キスをしてもいいか?」


「もちろんですわ」


 ユアウェルカム! ばっちこーい! と言わんばかりに手を広げると、蛸のような唇になり、兄と接吻をかわす。


 兄は力強い腕で妹を抱きしめ、妹は桃源郷に誘われる。やがて兄の手は妹の下腹部に伸びるのだが、これ以上詳細を描くと発行禁止の処分を受けそうなので割愛する。ただ、エレンは夢見心地で目覚め、最高の朝を迎えたと補足しておく。お気に入りのテディベアを蟹挟みしながら目覚めたエレンは決意する。


「――なんという素晴らしい夢だったのでしょう。これを正夢にしなければ」


 優しい朝の陽光の中、エレンは決意を新たにすると、衣服を脱ぐ。


 朝日にさらされる裸身、いつかこの姿を兄に見せる日がくることを願いながら、エレンはチェストの上に置かれた紙を握りしめる。



 今日も特待生(エルダー)の寮に行く。


 そこで待ち構えるは麗しの主とメイドさん。彼女たちは時間に正確だ。時折、マリーの化粧遅延が発生することがあったが、それ以外は一秒違わず出迎えてくれる。

 主の生真面目さを心の中で賞賛すると、彼女たちを学院に送り届けようとするが、そこに黒い影が。人なつこい大型犬を思わせる動作で俺の胸に飛び込んでくるのは妹のエレンだった。


 エレンは挨拶もそこそこに俺の前に「剣爛武闘祭」のチラシを突きつける。


「リヒト兄上様、先日も軽く触れましたが、この大会に出てくださいまし」

「厭だよ」


 即答する俺、落胆する妹。


「なぜです。兄上様が出れば優勝間違いないです」


「目立つのは嫌いだ。護衛の任務に差し障る」


「前者のほうが主な理由ね」


 マリーは吐息を貰うとエレンに告げる。


「無駄よ、エレン。あなたの兄上様が強情なことはあなたが一番知っているでしょう」


「――く、でもっ」


 エレンはそう言うと、チラシの一部分を指さす。


「剣欄武闘祭の優勝者は学費が免除されるんです」


「学費には困っていない。スポンサーは王女様だから」


「兄上らしくない。王女様の負担を減らせますよ」


「なかなかにいい攻め方だけど、優勝者の奨学金は王家から出るから実質、同じなのよね」


 マリーの正論をきっと睨み付ける。マリーは「おお、怖っ」と怖がるふりをする。


「この論法が通じないのであれば、これは?」


 エレンは他の項目を見せつける。


「優勝者は後夜祭として行われる舞踏祭で代表してダンスを披露できる、か」


 俺が読み上げると、エレンは「こくこく」とうなずく。


「これって罰ゲームなんじゃ。俺は人前でダンスなどしたくない」


「大丈夫です。私が十人分したいですから」


「そんなにしたいのならばひとりで参加すればいいじゃないか。優勝はおまえだよ。優勝したら素敵な同級生でも誘え」


「それこそ罰ゲームです。いえ、拷問」


「面倒くさい娘だな」


「なんとでもおっしゃってください。それにこの剣爛舞踏祭デュオは、ふたり一組でしか参加できないのです」


「そうなのか」


「そんなことも知らなかったのですか」


「興味ゼロで、参加するつもりもなかったから」


「そうなのです。デュオとは音楽用語で二人組を意味します」


「なるほどね。世にも珍しい二人組の武闘大会なわけか」


「はい。まさしく私と兄上様が出場するために天が差配してくださったのでしょう」

「そうは思わないが……」


 呆れ気味にいうと、俺は歩き始める。


「いずこに?」


「アリアを送り届けなければ」


 ここで問答をしてアリアを遅刻させたら申し訳ない。俺の任務は彼女の護衛であるが、その次に大切な任務は彼女に平穏な日常を提供することであった。アリアは申し訳なさそうに俺の後ろを歩く。妹は「待ってくださいまし~」と未練がましく付いてきた。


 その後、妹はストーカーのように俺につきまとう。


 彼女はクラスが違うというのに授業が始まるまで俺の隣を占領し、勧誘する。

 休み時間になるたびにやってきて勧誘する。


 男子トイレの前までついてくる。


 昼食時間、学食の机と椅子の間から覗き込んでくる。


 ちょっとしたホラーになってきたので絶対に参加しない旨を改めて伝えるが、妹は納得しなかった。


 困った俺は主に助けを求める。学院の中庭で妹を諫める術を尋ねる。


「妹の我が儘をどうにか避けられないものか」


 深刻に吐息を漏らし、意見交換するが、妙案は浮かばなかった。姫様はいっそ参加されてみてはいかがでしょうか? と勧めてくる。


「優勝をしたら皆の前で踊らなければいけないのだろう。御免被る」


「途中でわざと負けるという手もあります」


「なるほど。その考えはなかったな。……いや、駄目だ。妹が膨れる」


「そうでしょうか。わたくしはただエレンさんが寂しがっているように見えます」


「寂しい?」


「大好きな兄と離ればなれになってしまって寂しかったのでしょう。失った時間を埋めるかのように付きまとっているようにも見えます」


「失われた時間か……」


 エスターク城を追放され数ヶ月、そのように長い間離ればなれになったことはない。どのようなときも一緒にいてくれた妹を思い出す。



「母さん……なんで死んでしまったんだ……」


 流行病で死んだ、ということになっている母の遺体に生前の面影はない。とある種類の毒物は死後も遺体に苦しみを与える。


 毒物によって顔を歪めている母の死に顔が見れない俺。ただ、死体に寄り添うことしか出来なかったが、ある日気がつく。


 母親の棺の横に常にリンドウの花が添えられていることに。


 生前、母親が好きだと言っていた花が毎朝添えられていた。


 その花を摘み、捧げてくれていたのは半分だけ俺と同じ血を共有している少女だった。


 彼女は傷心の俺と母の死をいたわるかのように毎朝、花を摘んでくれた。


 この時期、エスターク城の庭に咲くことがないリンドウを添えてくれたのだ。


 あるいはそれに気がついたとき、俺たちは初めて兄妹になったかもしれない。


 血を半分しか分かち合っていなかった兄妹が、魂も分かち合うようになったのかもしれない。


 そのよう考察していると少しだけ武闘祭に興味が沸いてきた。


 そんな俺に報告をもたらすのはメイドのマリーだった。


 彼女がもたらした情報は朝から過酷なものであった。


「アリアローゼ様、ロナーク男爵家が我ら陣営から離脱を表明しました」


「な、ロナーク男爵が? 信じられません。彼は国士の中の国士なのに」


「ロナークって先日、暗殺者の襲撃から守った家だっけ」


「左様です。リヒト様の活躍により難を逃れました。ロナーク家の当主とは一晩中国について憂いを語り合った仲、そんな方が我らを裏切るなんて」


「なにかがあったと見るべきだろうな」


 俺の言葉にこくりとうなずくマリー。事情を説明してくれる。


「ロナーク男爵は我ら改革派の中心的メンバーです。姫様と一緒に国を憂い、改革していこうという意志を持っています。しかし、それがくじかれました」


「バルムンクから脅しを受けたのか?」


「はい。ただし、直接的ではなく、間接的に。バルムンク伯爵は脅迫や恐喝などという手段は使いませんでした。一言も発さず、一片の紙も使わず、ロナーク男爵を恐怖の谷に突き落としたのです」


「家族に危害を加えたのか?」


 そんな生やさしいものじゃないわ、とマリーはうそぶく。


「バルムンク侯爵はロナーク男爵の屋敷の前に〝老木〟の幹部たちの首を並べたの」


「な、なんと」


 アリアは顔を青ざめさせる。


「ロナーク男爵が襲撃事件を正式に届き出た翌日にね。ロナーク家のものには一切手を出していないわ」


「警告か」


「そう。おまえの一族などいつでもこのようにできるのだぞ、という意味でしょうね」


「それと同時に暗殺を失敗した幹部たちの見せしめでもあるのだろうな。一石二鳥だ」


「合理的にして冷酷な人物です」


 姫様の言葉に同意するマリーだが、現実的問題について指摘する。


「その事件でロナーク男爵は震え上がり、屋敷に閉じこもり、出仕もしなくなりました。引退し、息子に家督を譲ると言っています」


「ロナーク男爵はまだ四〇歳ですのに……」


「バルムンク侯爵に逆らわないと意思表明したいのでしょう」


「鼻息巻いて国家百年の計を語っていた男爵がその様子じゃ、他の姫様親派にも影響が出るんじゃ」


「その通りです。さっそく、今度開かれる夜会に欠席するという手紙が舞い込んでいます」


「まったく、国士が聞いて呆れる」


 やれやれ、とその手紙の一部を確認する。


「いえ、それは仕方ないでしょう。彼らにも家族がいるのですから。それにこんな事態になっても残ってくれる人物を見定めたほうがいいかと」


「なるほど、真に気骨のある人物を見定めるいい機会というわけか」


「はい」


「ポジティブだな」


「そうでなければ強大なバルムンク侯爵に立ち向かえません」


「道理だな」


 そのように纏めるが、座して手をこまねくつもりはなかった。


 俺は剣爛武闘祭参加申し込みの書類に手を伸ばす。


「もしかして剣爛武闘祭デュオに参加するの?」


「ああ」


「本当ですか? あんなに厭がっていらしたのに」


「幼き頃の妹の顔がちらりと浮かんでね。それにバルムンクがこのような手段に出るのならば俺も対抗しなければ」


「姫様の護衛であるリヒト・アイスヒルクが剣爛武闘祭デュオに参加し、優勝を果たす。さすれば恐れをなしている改革派の勇気を取り戻せるかも」


「そういうことだ。無論、それでも全員が戻ってくるわけではないだろうが、やる価値はあると思う」


「リヒト様……」


 アリアは目を潤ませる。


「姫様と妹を同時に喜ばせることができるのなら安いものだ。目立つのは苦手だが、まあ、そうも言っていられない状況になってきたしな」


「あのリヒトがねえ。アリアローゼ様に対する愛か、シスコンによって心変わりしたのかは分からないけど、マリーとしてはありがたいだけだわ」


 そのように気楽に纏めてくれる。先日まで出ないと言い張っていただけに軽く小馬鹿にしてくれたほうが精神的に楽だった。案外、気が利くメイドであるから、意図的に発してくれているのかもしれないが。


 そのようにメイドさんに感謝の念を送ると、彼女に参加申込証を託す。


 午後には授業があるのだ。マリーは快く投函を引き受けてくれた。


 ちなみに王立学院には郵便局がふたつもある。王立学院の規模はちょっとした街なのでそれに付随するインフラ施設が整えられているのだ。


 さらにマリーは最近、メイドの友と呼ばれる雑誌の風水コーナーにはまっている。メイドの友で風水のコーナーを持っている先生いわく、今月のラッキー方角は南東なので、その位置にある郵便局に向かうことにしたようだ。ちなみに北西にある郵便局のほうが近い。そのことを知っていた俺と姫様は苦笑いしてしまうが、俺の安否を気にしてくれていることはたしかなので、感謝の念を持ちながら、教室へ戻った。


 教室に戻ると後方に控える特待生(エルダー)を確認してしまう。今まで無視をし、無視をされてきた存在だったが、剣爛武闘祭デュオでは彼ら彼女らと刃を交えないといけないのだ。参加するからには優勝したいが、彼らもまた、そう思っているはずであった。


「さてはて、伝統と栄誉に包まれた剣爛武闘祭デュオ、本年度の優勝者は誰になるかな」


 どこか他人事のように纏めると、剣爛武闘祭デュオが開催されるまで勉学に励むことにした。

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