第75話 王国最強の騎士

 剣爛武闘祭に参加する旨を妹に伝えると、彼女は紅潮した両頬に手を添え、

「信じられませんわ」

 と口を開けた。


 次いで己の頬をひねるが、夢でないことが分かると気が変わらないうちに、と参加申込証を取り出そうとする。


「参加申込証はすでに出してある。俺とエレンペアだ」


「ほ、ほんとですか。信じられない」


「夢でも幻でもないさ」


「しかし、なぜ、心変わりを?」


 エレンは不思議そうに俺の瞳を覗き込むが、細やかな心の変化を伝えるつもりはなかった。ただ政治的情勢が変わった、とだけ伝える。


 アリアローゼの立場の不確かさを知っていた彼女は探りを入れてくることはなかった。出来た娘であるが、純粋に嬉しさが勝っているように見える。


「リヒト兄上様とデュオで武闘祭に出場できるなんてなんたる幸せでしょう。あとで神殿にお礼参りにいって、剣を研いで貰って、制服も新調しないと」


「まだ入学したばかりで制服は新しいだろう」


「ですが晴れの日ですから」


「まったく、困ったお嬢様だ」


 妹の頭を軽く突くとその日以来、俺と妹は鍛錬に励んだ。



 妹のエレンはエスターク家の有数の使い手として知られる。


 数十年にひとりの逸材といわれており、特に剣の才能に秀でている少女だった。


 毎朝、彼女と剣の稽古をしているとその評判も過大ではないと痛感する。


 彼女の剣は隼のように素早く、孔雀のように華麗だった。


 彼の兄たちは無能であるし、エレンが男ならば後継者は彼女になっていたことだろう。


 そのように妹の成長を喜んでいると、稽古場に息を切らせて走ってくる姿が見える。


 メイドのマリーが駆け寄ってくる。


「ねぼすけのメイドが珍しい。化粧もしていないなんて」


「それだけ緊急事態っしょ。朝、起きたらとんでもない情報が入ってきたのよ」


 彼女はそう前置きすると本題に入る。


「あんたと妹ちゃんの参加が不受理になったみたい」


「な、本当ですか!?」


 食いかかってきたのは妹のエレンだった。


「まだ正式に決まってはいないみたいだけど、実行委員のひとりから漏れてきた情報だから確度の高い情報だと思う」


「なぜです!? 書類に不備があったのですか?」


「あるわけないでしょう。私が目を通して投函したのよ」


「それではなぜ?」


 マリーの代わりに俺が答える。


「それはたぶん、父上の差し金だ」


「父上の?」


「ああ、父上は今、王都にいるらしい」


「父上が……」


 エレンはそう漏らすが、意外でもなんでもないようだ。そりゃそうか、父はこの国の重臣で、年の半分は王都に滞在している。エスタークにいることのほうが珍しいのだ。


「しかし、父上は国王の特使として隣国に赴いていると伺っていました」


「特使の任務を終えたのだろう。王都に帰還したら跳ねっ返りの娘が城を飛び出し、勝手に王立学院に入学したと聞いてご立腹なのだろう」


「誰が跳ねっ返りですか」


「〝勝手に〟を強調したつもりなのだが」


「…………」


「沈黙するということは父上にも義母上にも内緒で飛び出たと認めるのだな」


「……内緒ではありません。母上には花嫁科に体験入学すると言いました」


「おまえが在籍するのは魔法剣士科の特待生(エルダー)に見えるが」


「当たり前です。本当に花嫁科で修行をしてしまったら、婚期を早められてしまいます。それに私は武人としてリヒト兄上様のお力になりたいのです」


「その気持ちは嬉しいが、年貢の納め時だな。もうじき、父上が来られるだろう。

父上のことだから父母をだましたおまえを許すまい」


「花嫁科に転入すれば――」


「父上の性格は知っているだろう。悪さをしたおまえはエスタークの城で半年謹慎だ」


「そのような憂き目に遭えばリヒト兄上様と離ればなれです」


「元の鞘に収まるだけだ」


「半年も会えなかったら、あの女の天下じゃない」


 ぼそりとつぶやく。一国の王女様のことを指しているのだろうが、妹の言葉遣いを注意したいところである。俺はそれを実行しようとしたが、ただなれぬ気配がそれを許さなかった。


 周囲に緊張が走る。


 敵襲ではない。殺気は一切感じられなかった。


 代わりに漂うのは威圧感と重厚感だった。


 学院ののどかな稽古場が、戦場に様変わりした。


 馬に乗った騎士がやってくるとその後ろから〝圧〟の根源である男が現れる。


 黒髪の長髪の武人。


 鈍色の甲冑を纏った騎士が巨馬にまたがっていた。


 この偉丈夫こそ俺とエレンの父だった。


 テシウス・フォン・エスタークである。


 名門エスターク伯爵家の当主にして、エスターク最強の魔法剣士。


 この国の重臣であり、大将軍でもある。


 ラトクルス王国の武を象徴する人物が、馬上から子供たちを睨んでいた。


 その姿に圧倒される俺と妹。


 テシウス・フォン・エスタークの圧は人を圧倒するなにかがある。子供の頃からぎろりと父に睨み付けられると、すくみ上がってしまうのだ。


 それは父に可愛がられているエレンも同じだった。末娘として愛されているはずの彼女も父に畏怖の感情を覚えるようだ。子供の頃から天真爛漫な彼女であるが、一度も父の膝の上に乗ったことがないのではないだろうか。


 父は末娘といえど猫かわいがりすることはない。


 ただただ重厚で寡黙な愛情でしか娘に接しないのである。


「…………」

「…………」


 エレンすら沈黙する中、父は髪の色と同じ髭を動かす。


「委細は家令から聞いている。エレン、家に戻れ」


 余計な言葉は一切話さない。父の言葉は昔から武断的で合理的だった。その圧倒的な言葉に異を唱えられるものはいない。


 父の言葉の重みを知っているエレンであるが、彼女は気丈にも断る。


「父上、それはできません」


 心なしか汗ばんでいるようにも見えるエレン。父は短く、


「なぜだ」


 と問う。


「私はこの学院で学びたいことがあるのです。魔法剣士として精進したいのです」


「エスタークでも家庭教師は付けてやれる。この学院の教師よりも有能な教師を」


「しかし同じ年代のものと学ぶ機会はありません。私は知りたいのです。彼らがなにを考え、なにをしたいのかを。私と違うふうに育った人々がなにを求め、なにを願うのか知っておきたいのです」


 耳障りのいい言葉であるが、真実であった。妹はエスタークに城で過保護気味に育てられた。同年代の少年少女と接する機会がなかったのだ。


 学院は同じ年頃のものが集まる施設。そこで学べることは多いはずであった。


 実際、エレンはこの学院に来てから変わった。視野が広がり、物事を柔軟に見られるようになったような気がする。


 ――兄上劣等感(ブラザー・コンプレックス)は治癒する兆しは見えないが、贔屓目に見なくても学院での経験は彼女の人生にプラスになるように思われた。


 それに俺は妹と一緒に剣爛武闘祭に参加する意志を固めていたのだ。


 ここで妹を連れ去られればそれはできないし、妹の成長を間近で見ていたいという気持ちがあった。


 なので一歩前に出ると妹の援護をする。


「父上、恐れながら申し上げます」


「ほう、リヒトか」


 この落とし子め、エスタークの名を捨てた恥知らず、兄たちならばそのような言葉を投げかけてくるだろうが、父は子供時代と変わらぬ口調だった。


 ――ただただ無関心な態度を貫く。


「申せ」


 それでは、と深々と頭を下げる。


「妹はこの学院に来て変わりました。それもいい方向に」


「どう変わった?」


「剣術だけが男勝りのご令嬢から、剣術〝も〟男勝りの令嬢に進化を遂げました」

「人間的成長の兆しが見えるということか」


 テシウスは娘の足先から頭頂まで見る。テシウスは気の利いた男ではなかったが、妹の身だしなみに僅かな乱れを見る。エスタークの城にいたときは絶対に見られなかったものだ。おそらく、この学院ではひとりで身支度を調えているのだろう。

 世間のものはエスターク伯は子に冷たい、と噂するが、テシウスとて人の子だった。末娘は可愛く思っている。ただ愛情を表現するのが苦手なだけなのだ。


 家督は長男に継がせるが、娘は大貴族の嫁、それも妻をなによりも大切にするもののもとへ嫁がせるつもりだった。


 そのためには魔法剣士としてよりも、女としての成長を望みたかった。


 〝あれ〟の母親のような女に成長してくれればいいが――。


 リヒトの顔を見つめると、かつて愛した女性の顔を重ねる。


(……詮無いことだな)


 自嘲気味に笑うと、リヒトの言葉に真実を見いだす。


「なるほど、おまえたちはこの学院で学ぶことを望むのだな」


「はい、出来ましたら」


「しかし、それは出来ない。おまえの母におまえを連れ戻すと約束したのだ」


「お母様が……」


「気の強い女だが、あれはあれでおまえを愛しているのだ」


「それは知っていますが、私はもう一四、自分のことは自分で決めます」


「学資は誰が払っている?」


「それは……」


「商人のようなことを言ってしまったな。世間ではエスターク家は武門の家柄ということになっているらしいが」


「ラトクルス王国一の誉れを誇る家柄です」


「なるほど、ならばその家の娘も一廉の武人なのだろう。この上はこれで決めるか」


 テシウスはそう言うと、従者に自分の剣を持ってこさせる。


「まさか、決闘によって決めると」


「武門の家らしい決着の付け方だろう? それになによりも公平だ」


「しかし父上はラトクルス王国一の魔法剣士、私などでは相手になりません」


「ではなんの抵抗もせずにエスタークに帰るか?」


「それは……できません」


 そう言うとエレンは腰の宝剣に手を伸ばすが、俺はそれを止める。


「リヒトお兄様」


「おまえでは絶対、父上に敵わない」


「そうですが、でも――」


 でも、の続きは兄上様でも勝てない、そう言いたいのだろうが、その言葉は止めさせた。言霊になると思ったのだ。


「勝負は下駄を履くまで分からない」


 弱者によって使い古された言葉をあえて発すると、俺は一歩前に出た。


「父上、妹の代役として俺が決闘を挑みます」


「ほう、おまえがか。まあ、いいだろう。誰であろうと手加減はしない」


 そのように言い放つと、馬上から降りて、剣を抜き放つ。


 エスターク家に伝わる宝剣、神剣には及ばないが、魔法が付与されており、その切れ味は鉈と剃刀を想起する。


 一方、俺の両脇には聖剣と魔剣と呼ばれる神剣が存在する。


 俺は迷うことなく魔剣を抜き放つ。すると反対側の聖剣が抗議の声を上げる。


『ぎゃー、なんでそっちにするかな、ここはワタシっしょ。リヒトの正妻にして朋友(ぽんよう)のティルさんでしょ!』


「少しは考えろ。おまえは元々、エスターク家に伝わる神剣だ。今は偽物で誤魔化しているが、抜けばすぐにばれる」


『あ、そうか。エスターク家の当主ならばワタシを見慣れているものね』


「俺は別に離ればなれになってもいいが、おまえはぎゃーすか五月蠅いだろう」


『だね、だね』


 小気味がいい返答をすると、以後、不平を述べることはなかった。いつもこうだと助かるのだが、と心の中で述べると、魔剣グラムに語りかける。


「さて、というわけで今日の相棒はおまえだ」


『承知』


 ティルフィングとは対照的に簡潔な応えだった。俺としてはこちらのほうが助かる。


「さて、これからラトクルス王国、いや、世界最強の魔法剣士と一戦交えるが、遺言はあるかな」


『あの男、それほど強いのか?』


「ああ、控えめに言って化け物だね」


『最強不敗の神剣使いがそこまで言うとはな」


「冷静に彼我の戦力差を計算しているだけさ。ちなみに父上とは一七度ほど剣を交えたことがあるが、何勝何敗だか知りたいか?」


『その口ぶりだと全戦全敗だろう』


「惜しい。一七戦四四敗だ」


『貴殿は計算が苦手か』


「まさか。一度の勝負で三倍分の敗北を喫したこともあるということさ。あとは来世の分かな」


『つまり今世では叶わないくらいの実力差があると?』


「そういうこと。あの男に勝てる剣士などいないだろう」


 ちらりと聖剣ティルフィング見る。――仮にもしも聖剣まで使い、二刀流を披露しても父に及ぶとは思えなかった。もしも〝千〟の神剣を同時に操れるようになれば話は別だろうが、そんなものは誇大妄想家の蜜にまみれた夢であった。


 俺は現実家であるので、現有戦力で決闘に勝つ方法を模索する。


「ティルが剛剣だとすれば、グラムは切れ味重視の柔剣だ」


 独り言のように剣の特性を語る。


 グラムのポテンシャルを最大限に引き出すには抜刀術がちょうどいいだろうな。


 ゆえにグラムは剣から抜き放たない。黒みがかった刀身を隠す。


(チャンスは一度、刹那の瞬間しかない)


 父は神剣は使えぬが、その剣術は剣聖にも等しい。俺の抜刀術など、一度で見切ってしまうだろうが、逆に言えば一度はチャンスがあるのだ。この世界では神剣使いは希少、父は魔剣グラムの飛燕のような軌道を知らない。そこに活路を見いだし、最初の一撃にすべての力を乗せればあるいは勝機があるかもしれない。


 そう思った俺は正眼に構える父に向かって一歩踏み出した。 


 父は微動だにしない。


 大地に足を根ざしているかのように軸をずらさなかった。


 剣術をかじるものならばそのすごみを即座に理解できるだろう。父の剣術は天然無心に通じるなにかがあった。


 山に向かって斬り掛かるような焦燥感を覚えるが、抜刀をした時点で後戻りは出来ない。父を斬り殺すくらいの覚悟で抜刀術を完遂させる。


 シャカリと剣を抜き放つ音を発するとその音が自身の耳に届くよりも早く、剣を抜き放つ。刹那の速度で黒き剣が解き放たれると、それは父の首に向かう。


 その速度はまさしく飛燕であり、並の騎士ならば剣閃すら見ることなく首を飛ばしていただろうが、父は最小限の動作でそれをいなすと、グラム以上の速度で剣を抜き放った。


 通常、剣技は「後の先」を極めよと言われるが、父は「後の後」の動作でも平然と俺を打ち負かしたのだ。


 飛燕の上を行く速度で剣閃を繰り出すと、俺の首筋手前で剣を止める。


 俺は殺意を込めて剣を放ったが、この男は加減をした上で俺を圧倒したのだ。


 この決闘、俺の負けであった。


 妹は俺の元へ駆け寄ってくるが、ただただ俺のみを心配するだけで負けたことを責めることはなかった。妹の優しさと気高さがそうさせるのだろうが、もとより父に叶うとは思っていなかったのだろう。彼女は潔くエスタークに戻る決意を固めた。


 しかし、その決意は無駄に終わる。


 決闘の勝者である父親が思わぬことを口にしたからだ。


「――ふむ、花嫁科に通っている花嫁は腐るほどいるが、魔法剣士科に通う花嫁というのも悪くはないか。エレン、唯一無二の花嫁になって見せよ」


 テシウスはそのように漏らすと、エレンの在学を許した。


 俺たち兄妹は意外な結末に目を丸くさせるしかないが、父は子供たちに試練を課すことも忘れなかった。


「近く剣爛武闘祭が開かれるそうだな。エスタークのものに敗北は許されぬ。負けた場合は即刻、城に連れ戻すからな」


 そのように言い放つと巨馬にまたがり、去って行った。


 騎士や下僕たちは慌てて父の後を追っていった。


 俺はなんともいえない気持ちで父親の後ろ姿を見送るが、家来たちも似たようなものらしい、俺が視界から完全に消えると父に話し掛けた。


「テシウス様、よろしいので?」


「よろしいとはなんだ」


「御令嬢のことです。エレン様は唯一の女児、良いところに嫁に出してやらねば、と常日頃から言っているではありませんか」


「その気持ちに偽りはない。だからこそ学院に残してやるのだ」


「たしかにここならば将来の伴侶となる大貴族にことかきませんが」


「大貴族でなくてもいい。いや、あるいはこれから大貴族になる男かもしれんが。あやつならば姫様を盛り立ててそのまま――」 


 テシウスの声は極小だったのでその言葉が家来の耳に入ることはなかった。


「しかし、御子息は困りものですな。散々エスタークをかき乱した上に出奔し、妹君にまで悪影響を与えている」


「そうだな。ミネルバや愚息どもがやんや五月蠅い」


 テシウスはそれ以上、騎士には同調せずにこのように説明した。


「おれは慈悲や哀れみをもってあいつらの勝手を許したわけではない。あやつらにはねだるな、勝ち取れ、と教えてきた。あいつらはその教えを実践しただけに過ぎない」


「と言いますと?」


 テシウスは言葉の代わりに腰の剣を押しつける。


 ミスリルで作られた魔法の剣にはひびが一本入っていた。


「な、まさかこれは!?」


「そうだ。あやつが付けたひびだ」


「御子息の抜刀術は届いていたのですね」


「そういうことだ。しかも届くだけでなく、真銀製の剣を破壊した」


「し、信じられない」


「おれもだよ。たしかに剣に魔法は込めなかったが、それでもこの剣を破壊できるものは王国でも限られる」


「もしや御子息はとんでもない才能を秘めているのでは?」


「それは疑いない。子供の頃から、いや、生まれる前からそんな予感があった。――ただ」


「ただ?」


「その才能がやつを苦しめるだろう。その才能によって運命に翻弄されることになるだろう」


「…………」


 テシウスは悲しげに空を見上げると、最後にこんなつぶやきを漏らした。


「同情する振りをするのは親としての未練かな。存外、おれにも人間らしいところがあるらしい」

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