第30話 花も恥じらう笑顔

 王立学院の中庭は校舎と校舎の間にある。


 その敷地は広く、芝生や噴水、花壇、温室まである。


 全部散策すると夕刻まで掛かってしまいそうだったが、現役の学院生がいれば問題ないだろう。


 王女様と噴水をぐるりと回る。


 ドワーフの名工が作ったと思われる彫刻の女神、彼女が肩に持つ瓶から、止めどなく水が流れている。勿体ないな、と思ったが、この水は循環されているのだそうな。


 また急場には非常用飲料水になったり、あるいは消火にも使えるのだという。


 なるほど、そういう考え方もあるのか、と妙に納得していると、アリアローゼは俺をねぎらってくれた。


「試験、お疲れ様でございます」


「なあに、気にするな。ちょろいもんさ」


「ですが、目立たぬように最低限のラインであの高難度試験に合格するなんて大変そうです」


「まあ、多少はね。でも、慣れている」


「心強いお言葉です。さすがはわたくしと同じ〝落とし子〟ですね」


「さっきの会話、聞こえてしまったか」


「はい。たまたま、風の関係でしょうか」


「マリーに悪気はない。許してやってくれ」


「分かっています。彼女は誰よりも忠誠心に篤い。あなたを信頼してわたくしの出自を話したのでしょう」


「君も正妻に虐められていたんだな」


「はい」


「命まで狙われて」


「それはリヒト様も一緒です」


「女と男じゃ違う」


「しかし、その正妻、つまり先代の王妃は死にました。もう、悩まされることはありません」


「代わりに〝欠落者〟としての烙印を押されたようだが」


「ですね。どこまでいってもわたくしは王家の異分子なのでしょう。実は一六歳の誕生日、わたくしは王位継承権を得るか、捨てるか、選ばなければなりません」


「王位継承権、ほしいのか?」


「まさか。王になどなりたいと思ったことは一度もありません」


「ならば放棄するのだな」


「いえ、放棄はしません」


「意味が分からないが」


「王位はほしくありませんが、王権はほしいです」


「贅沢三昧したい――わけじゃない、か」


 北の街での彼女の献身的な行為を思い出す。


 貧民街で難病に苦しむ人々に慈愛を持って接し、看病する様はまるで聖女のようであった。


 そんな彼女が贅沢や権力に感心を示すわけがない。ただ、それに付随する〝世界を変える力〟に興味があるのだろう。女王になればこの世界を変えられると信じているのだろう。


 その見解をアリアローゼに話すと、彼女はこくりと頷いた。


「はい。わたくしは女王になる。女王になってこの世界を変えたいのです」


「その気持は分かる。糞みたいな世界だからな。しかし、君は無力だ。権謀渦巻く王宮でどう戦う? 君は欠落者なのだぞ」


「欠落者ですが、この世界を変えたいという強い意思を持っています。それに世界最強の護衛も――」


「俺のことか」


「はい」


「買いかぶりだ」


「絶対にそのようなことはありません。あなたがいればわたくしはどこまでも飛翔できる。どこまでも頑張れるような気がするのです」


 

「…………」

「…………」



 しばし互いに見つめ合うが、アリアローゼはそれ以上、会話を広げる気はないのだろう。


 俺もこのことに触れる気はない。


 俺の役目は王女の護衛、彼女を守るために王立学院の試験には合格するが、世界を変えるなどという大仰なことは自分にはできないと思っていた。その手伝いですら荷が重いのだ。


 互いの本心は言わないが、なんとなく、忖度し合った俺たちは、そのまま試験会場へと向かう。


 ただ、最後に俺は彼女に振り向くと言った。


「アリアローゼ姫、君の崇高な意志は素晴らしいと思う。――その夢、叶うといいな」


 その言葉にアリアローゼは肯定することも、否定することもなく、代わりにこう言った。


「アリア――、アリアです。親しいものは皆、そう呼びます」


 俺にもアリアと呼んでほしいのだろう。


 主と護衛としての間柄では許されぬような気がするが、その呼称を言えば、彼女の心が少しでも安らぐような気がしたので、彼女のことを「アリア」と呼ぶことにした。


「君の母親とは会ったことがないし、今後、会うこともかなわないだろう。しかし、君にアリアと名前を付けたのは正解だと思う。これ以上、似合う名前はない。きっといい母親だったのだろうな」


 その言葉にアリアは笑顔を浮かべる。


「わたくしもそう思っています」


 中庭で咲く百合も恥じらうような穢れなき笑顔だった。

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