第15話 母親の記憶
盗賊頭が斧を投げる。まずは右手の斧が飛んでくる。
力任せに投げた斧は、木の枝や葉を斬り裂きながら飛んでくる。もしもその一撃を食らえば即死できるだろうが、今はまだ死ぬべきときではない。
紙一重で避けると左手の斧に注視した。先ほどの斧とは形が違うからだ。
「妙に湾曲している。――なにかある」
そう思った俺は紙一重ではなく、意識を集中しながら避ける。すると斧は弧を描き、戻ってくる。
「なるほど、ブーメランの要領か」
仕掛けが分かれば単純だ。あれを喰らうことはないだろう。そう思いながら左からやってきた盗賊に《火球》を浴びせる。
左の手のひらから速攻で飛び出した火球、盗賊はあっという間に火だるまとなる。
「な! こいつ、無詠唱で魔法を唱えられるのか!?」
驚く盗賊頭。
この世界では魔法は普遍的に存在するが、無詠唱で魔法を唱えられるものは限られる。エスターク家に連なるものでも無詠唱魔法を使えるのは父上くらいであった。魔法の天才児と呼ばれた妹ですら、一章節は口ずさまないと魔法を使えないのだ。
盗賊が驚くのも無理はないが、俺がなぜ、無詠唱で魔法を使えるかの説明をしてやる義理はないだろう。それに教えたとしてもやつの寿命は短い。数分以内に死を迎えるのだ。
部下から斧をもらいながら間断なく投擲してくる盗賊頭。その一撃は強力で、容易に近づくことはできない。しかし、俺は猪武者ではないので安直に突撃したりしなかった。
いくら部下が大量の斧を持っているとはいえ、持てる数には限界がある。いつか数が尽きるのだ。そこを狙えばやつの力は半減するはずだった。
盗賊頭は無能にも斧を投げ続けるが、予想通り切れる。しかも部下に斧がないことをなじると、最後の斧で部下の脳天を切り裂く。
――やはりこの男に慈悲は不要のようだ。
そう思った俺は直進し、やつの懐に潜り込む。
それを見てにやりと微笑む盗賊頭。接近戦ならば自分に一日の長があると思い込んでいるのだろう。それは大いなる幻想なのだが、それを言葉にはせず、形で示す。
薪でも割るような挙動で俺の脳天を割ろうとする盗賊頭。その速度は素早く、通常の戦士では避けることはできないだろう。いや、俺も実はできなかった。やつの斧が俺の脳天を割る。しかし、鮮血も脳漿も飛び散らなかった。
「!?」
やつもなんの手応えもないことを訝しがっていた。
なにかがおかしい、足りない脳みそでそう思ったようだが、それがやつの最後の思考となった。
「残像だ」
やつに向かってそう語りかけると、上方から降り立つ俺、そのままやつの脳天に剣を突き刺す。
痛い、と思う前に死んだことだろうが、醜く歪むやつの顔を見てぽつりと漏らす。
「……悪党も赤い血を流すのはどうしてだろうか」
悪魔のように盗賊たちを殺したからだろうか、盗賊頭の部下たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ただ、ひとりだけ逃げ遅れたものがいる。
年端もいかない少年だ。どうやら盗賊になったばかりの少年のようだった。彼は子鹿のように足を震わせている。
「殺さないで……」
と涙ぐんでいた。
勿論、俺はその少年を殺す――、ことはなかった。
剣を突きつけるとこう諭した。
「食い詰めて盗賊になったんだろうが、盗賊とはこういう世界だ。今日、誰かを殺し、糧を得るかもしれないが、明日、誰かに斬られるかもしれない」
少年はこくこくとうなずく。
剣を収めると最後にこう言い聞かせる。
「故郷に帰るんだな。おまえにも家族はいるだろう」
少年は振り返ると、這いずるように逃げ出した。腰を抜かしているようだ。
その姿は哀れであった。郷里へ帰れと言ったが、きっとそこでも辛い思いをしたはずである。そんな中、常識論で諭されても響くものはないかも知れない。
しかしそれでも――、
「……盗賊を討伐するよりも、盗賊がいない世界を作ったほうが手早い」
俺はそう思っていた。
農民が食い詰めない世界。
略奪する必要がない豊かな世界。
他人を思いやれる世界。
そういった世界を作れば盗賊などいなくなるのだ。
少なくとも盗賊を皆殺しにするよりはいい、そう思っているのだが、 そのようなこと、誰も理解してくれないだろうな、と思っていたが、それは違った。
この世界にはとても感受性豊かな人間もいるようで。
見れば白いフードをかぶった少女が涙を流していた。
最初、悪魔のように盗賊を斬り殺す俺を見て、恐怖のあまり泣いているのかと思ったが、違うようだ。
彼女は戦闘が終わると、俺の側までやってきて、俺の心臓に触れた。
「……可哀想なリヒト様」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味です。本当は誰よりも平和と平穏を愛するのに、その才能がそれを許さない」
「…………」
「リヒト様は盗賊を容赦なく切り捨てましたが、それは殺生を最小限に抑えるため、悪魔のような所業を見せ、盗賊たちの戦意を挫くため、だから必要以上に残虐に殺した」
「……そうだ。悪魔の落とし子だよ、俺は」
「いいえ、違います」
リアは即座に首を横に振る。
「悪魔ならば泣きながら剣を振るうことはありません。慈悲に満ちながら剣を振るうことはないのです」
「俺は泣いてなどいない」
俺は泣かない。母親の葬式の日に誓ったのだ。もう絶対に泣かない。他人に弱いところを見せない、と。だから己の手で触れることはなくても泣いていないと断言することができた。
ただ、そんな俺にリアは不意打ちを仕掛ける。
彼女は優しく微笑むと、己の瞳から涙をこぼれ落ちさせながら言った。
「いいえ、あなたは泣いています」
俺の心臓に触れながらこう言った。
「ここが泣いています。〝心〟が泣いています。私には分かるのです」
その言葉で、昔の記憶が蘇る。
母親の記憶だ。
エスターク家の正妻や侍女に虐められていた母親。落とし子である俺もよく虐められていたが、母親は俺に気を強く持つように諭した。ただ、ふたりきりになったとき、どうしても耐えられなくなったときは母の胸で泣きなさい、と俺を抱きしめてくれた。
「――あなたに過酷な運命を与えてしまってごめんなさい。あなたはそれに耐え、誰よりも強く育っているわ。でもね、たまには泣いてもいいのよ。ううん、泣きなさい。子供は泣くものなのだから」
優しい抱擁をしてくれた。
リアの言葉は、リアの笑顔は、あのときの母親にそっくりだった。
俺はもしかしたら、かつて失ったものと再会できたのかもしれない。
そう思いながら、美しい少女の瞳を見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます