第37話 夜空に消ゆ
俺は自分の腹に視線を落とす。
服が血だらけだ。
腹の周囲がひどく血に染まっている。
ずいぶんひどくやられたもんだ。ここまでの出血量だと下手したら即死してもおかしくないんじゃないか。しかし腹の傷はなぜかふさがっていた。痛みもまるでない。念のため撫でてみるが、傷らしい傷は一切ないようだ。
この血だらけの惨状から言って、腹を貫かれたのは夢ではないはず。俺が意識を失っている間に、グレンが回復してくれたのか?
そして寝転がる俺を見下ろしているカミラは、どういうわけか闇の衣をまとっていない。あの漆黒のような衣が今は剥がれている。
俺とは対照的に、彼女が身にまとうドレスは戦い開始の時と同様、真っ白で、きれいなものだった。それは俺がカミラに対してまともなダメージを与えられていない証拠でもあった。
しかし不思議なほどに体はどこも痛くないな。
さっきカミラにボコボコにされて蓄積したダメージもなぜか回復しているらしい。
とりあえず俺はその場に立ち上がった。……寝転がってるところをカミラに蹴飛ばされでもしたら嫌だからな。こいつはまるで容赦ないから隙有りとばかりにやられかねん。
「お、おいラグノ。平気なのか?」
俺がごく普通に立ち上がると、そばにいるルィンが心配そうに声をかけてくる。
「ああ。よくわかんないけど、体は平気みたいだ」
「そのナリじゃあ説得力ねえぜ。あとで服着替えろよ」
グレンは俺の血だらけの服を見て苦笑い。
「いったいなにがあったって言うんだよ? ラグノがそこまでやられるなんて相当な相手だろ? それにカミラ姫やアリアさんまでいるし」
「まあ……ちょっとな」
まさか俺とカミラが殺し合いしてたなんて思うまい。
朝は一緒に戦ってたのに夜になったらお互い殺し合いなんて普通ありえないもんな。
しかしルィンとグレンを含めればこちらは四人。事情を説明すればたぶんこの二人は俺についてくれるだろうからな。
そうなればさすがのカミラも分が悪いんじゃないか。
……どう出る?
カミラも内心似たようなことを考えているのか黙ったまま俺の動向を見守っている。
しかしこいつのあの強さ。四人がかりでも勝てる望みは薄い気がするな。
それは実際に戦ってみた俺が一番よくわかる。
変に刺激して再びやりあうより、なんとか戦いを回避できないものか……。
もう殺されかけるなんてごめんだしな。
なんて俺が考えていると、沈黙していたカミラが突然身をひるがえし、フロアの奥へと駆けだした。
「ひ、姫様!」
「お、おい、よせアリア!」
走り去るカミラの後をアリアがすぐさま追いかける。
「まずい。俺たちも追うぞ」
「なんだよ、どういうことなんだラグノ」
「いいから早く!」
戸惑う二人を引き連れてアリアの後を追う。
フロアの奥まで行くと、カミラの姿がテラスへふっと消えた。
カミラから僅かに遅れてアリアもテラスへ飛び出し、さらに少し遅れて俺たち三人も彼女たちの後を追い、テラスへと駆けこんだ。
俺たちが追いつくと、カミラはテラスの手すりに腰かけてこちらを静かに見つめていた。
背景に輝く、丸く巨大な月がよく見える。
「姫様、そのようなところにいては危険です。お戻りください」
冷静な態度を崩さないアリアの呼びかけに、カミラは黙り込んだまま反応を見せない。
カミラのやつ、なにをする気だ。こんなところに逃げ込んで。これじゃあ自分から逃げ場を失ったようなものじゃないか。まさか飛び降りる気か?
「こんな高さから落ちたらさすがのお前もただじゃ済まないぞ」
ここは城の二階。二階と言っても一階部分の天井がやたら高いから普通の建物の四階以上の高さはあるはず。
「楽しい余興だったけれど夜も更けてきたし、そろそろお開きにしなきゃ。ラグノも疲れたでしょう?」
「まあな。ずいぶん盛沢山な一日だったよ。朝から駆り出されてガーゴイルなんていうやばいモンスターと戦わされるわ、それよりさらにやばいどこかのお姫様と戦う羽目になるわで、ずいぶん大変だったな。というか降りて来いよ。うっかり落っこちたら洒落じゃ済まないぞ」
俺が語りかけてもカミラは手すりから降りる気配を見せない。月明りに背中を照らされた少女は、無言のまま退屈そうに両足をぱたぱたと動かしている。そしてしばらくするとピタリと足を止め、
「今夜はそっちの勝ちってことでいいよ」と、よくわからないことを言いだす。
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味よ。どうやらあなたは私の想像よりはるかに強いみたいね」
カミラの言っていることの意味が分からない。
俺は手も足も出せず一方的にやられただけだ。
こいつに強いと言われるようなことはしていないはずだが……。。
「だから今日はあなたの勝ち。そういうことにしといてあげる。特別にね」
「そいつは光栄だな」
どこか残念そうな様子のカミラが「ふう」と短くため息をつく。
「でも残念。こんなところで消えなきゃいけないなんて。ま、悪の元凶は消え去ったし、もう私がいなくても大丈夫かもね。さて、と……。じゃあねアリア。あとのことは任せたよ」
「なにを言っているのです姫様?」
状況を飲み込めない様子のアリアが目の前の少女に問う。
その問いに答えることのないまま、カミラは唐突に、そして一切の躊躇なく背中から後ろへ倒れ込んだ。カミラの姿がテラスの手すりから落下し、俺たちの目の前からその姿が消える。
「ひ、姫様っ!」
カミラの名を叫びながら、焦りに染まった顔色のアリアが手すりへ駆け寄る。俺たちもすぐにアリアの後を追い、テラスから身を乗り出して四人でカミラの落下した階下を覗き込む。深夜ということもあり、階下はかなり暗い。
すると俺たちの視線の先で、階下の暗闇の中から何かが浮かび上がってくる。……でかいぞ。これは……。
巨大な塊が俺たちの目の前を通り過ぎ、空高く浮かび上がる。月明りに照らされ、その姿があらわになる。それは上半身しかない巨大な髑髏。その顔面部分だけでも俺よりも明らかに大きい。その拳も人を握りつぶせそうなほどに巨大だった。
空高く飛び上がった髑髏の肩の上で、笑顔のカミラが優雅に手を振る。
「それでは皆様ごきげんよう」
すさまじい速さで髑髏は俺たちから離れていく。
巨大な髑髏の姿はあっという間に塩粒みたいに小さくなり、夜の空に消えていく。
「なんなんだ、あのでかいガイコツは? 魔物なのか?」
俺が尋ねると、髑髏を食い入るように見つめるルィンが、ごくりと喉を鳴らし、
「あれは魔力の集合体だ。魔物じゃない。しかもとてつもなく膨大な魔力……。魔法陣もなしにあれほどの召喚獣を呼べるとは……」
「召喚獣?」
「召喚獣とは超常の存在だ。形なき彼らを魔力を対価にこの世界に具現化させるのが召喚魔法。……とは言っても、そうやすやすと使える代物ではない。召喚魔法を使えるのは、魔法使いの中でもごく一握りだけなんだ」
するとめずらしく緊張した面持ちのグレンが、静かな口調で、
「……すでに姿が見えない距離まで離れたってのに、まだかすかに魔力が伝わってくる。あれほどの魔力を放出し続けるとなると、超ハイクラスの魔法使いにしか無理だぜ。そんな人間、王国でも数えるほどしかいないはずだ。カミラ姫にそこまでの魔法の才覚があったってことか? ……初耳だぞ」
「わからない。しかし実際、目の前で見せられた以上、そうなんだろうな」
遥か夜空に消えていく少女を、俺たちはただ眺める事しかできなかった。
気が付けば空には雲一つない。澄み渡る黒い空には満月だけが輝き、テラスに立つ俺たち四人を柔らかい光で照らしていた。
「とりあえずおしっこしてえ」
「まだ済ませてなかったのかよ!?」
あきれ返るルィンの声が静かな夜空にやまびこになって響き渡った。
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