第36話 変身
ウィシュフィの大きくのけ反った頭が力強く引き戻され、体勢を立て直す。
傷一つない綺麗なままの少女の顔がそこにあった。
銀髪の少女は真顔のまま、カミラに蹴り飛ばされたあごを静かにさする。一言も発せず、顔色も変えない。その様子からは彼女がなにを考えているかまでは、うかがい知れない。しかしはた目に見て、ノーダメージなのは明白だった。
(馬鹿な! もろに入ったはず――)
「便利な魔法だな。実にすさまじいパワーだ。驚いたぞ」
「……その割には、ずいぶんと涼しい顔をしてるね」
半ば呆れた顔を向けてくるカミラに対し、口元だけで笑みを浮かべたウィシュフィが、右手の人差し指を顔の前で立てる。
「よいものを見せてもらった礼をせねばな」
「あら。お気遣いなく」
「貴様に本物の魔法を披露してやる。光栄に思うがいい」
不気味な笑みを浮かべ、ウィシュフィが言い放つ。すると彼女の顔の前で立てられた指先の上に、赤黒く輝く小さな光が発生する。光は小さな点のサイズを保ったまま、ただ輝きだけが増していく。
それを見てカミラの顔色が一瞬のうちに変わる。
(馬鹿な――! こんな馬鹿げた魔力を放ったりしたら――)
目の前の得体の知れない不気味な少女から放たれる異次元のレベルの魔力。
その常軌を逸した魔力が、カミラの肌に突き刺さる。
今までの戦いで見せたことのない焦りが金髪の少女の顔を染めた。
「察しがいいな。そう。これはただの魔法ではない。この私の魔力をこの一点に凝縮させたものだ」
ウィシュフィの指先に浮かぶミクロの魔法弾が、フロア全体を煌々と照らす。その強烈な輝きが、フロア内をまるで真昼のように明るく照らし、大ホールから光の筋がフロア外へ漏れ出る。
「このミクロの卵一つでこの国を地図から消し去ることができる。受け止める勇気はあるか? 逃げても構わんぞ。貴様ならそのくらいはできるだろう。しかし貴様の国は消えてなくなるがな」
ウィシュフィの放つ強大な魔力を前に、カミラの体から闇の衣が剥がれるように掻き消えていく。
(ふう。魔力消費が激しいのがこの魔法の欠点だな)
その瞬間カミラを包む魔力がぐっと減ったことをウィシュフィは当然気づいていた。
「なぜ魔法を解く。もうあきらめてしまったのか?」
「さあ。どうかな」
「その状態ではこの魔法に抗うことなど到底できんぞ」
ウィシュフィの指摘を受けて、カミラは口元に微かな笑みを浮かべながら、射貫くように目の前の少女を見つめた。
(これはあきらめた者の顔ではない。この小娘、なにか考えがあるな)
カミラに策があることを察したウィシュフィは嬉々とした目を浮かべる。
「いい目だ。勝つために変身を解いた。そういうわけだな」
「ご明察」
短く答えると、カミラが全身の魔力を開放する。その体から、ほとばしるように黒いオーラが立ち昇り、少女の全身を包み込んでいく。今までで最大の魔力が一瞬のうちにカミラの全身を包み込んだ。自身の魔力が十分に高まったことを確認すると、カミラは静かにその名を呼んだ。
「カオスロード」
カミラがその名を口にした途端、少女の足元から巨大な白い何かがせりあがってくる。
最初に見えたのは頭蓋骨。肉をまとわない骨の塊。次に眼球のない暗い眼窩が現れる。眼球の代わりに眼窩を満たす暗闇。その中央には赤い輝きがあり、目の前に立つ敵――ウィシュフィ――の姿を悠然ととらえていた。
首から下にも皮は無く、露出した骨の胸郭だけが存在する。さらに腰から下は存在せず、その巨大な髑髏は上半身だけの体しか持たなかった。
髑髏が羽織る闇のように黒いローブからは肉のない骨の腕が伸びている。
足元からせり上がってきた巨大な髑髏の肩に乗ったカミラが、ウィシュフィを見下ろす。
「ほーう。 召喚獣か。しかも発する魔力からして相当なハイクラスだな。魔法陣も使わずそれほどの召喚獣を呼ぶとは、やはり貴様ただ者ではないな。面白い! 楽しめそうだ」
言い終わるや否やのウィシュフィを、カオスロードの拳が叩きつけられる。
銀髪の少女の体が瞬時にして髑髏の拳の下に消えた。
ほどなくしてミシミシと骨のきしむような音がフロア中に響く。
それと共に、床に叩きつけられていた髑髏の拳が、徐々に押し返されていく。
「なに!?」
驚くカミラの視線の先で、骨の拳の下から姿を現したウィシュフィが、片手で勢い良く骨の拳を押し返す。同時、髑髏の拳が粉々に砕け、吹き飛んだ。骨の残骸が宙を舞い、そのひと欠片がカミラの頬をかすめた。線上の傷ができ、傷口から一筋の血が流れ落ちる。流れる血を、カミラはすぐに指の背でふき取った。
そんなカミラを見つめ、ウィシュフィはひどく冷静な態度で、
「まあそう慌てるな」
髑髏の一撃でも少女は傷一つ負わなかった。
(なんてこと。カオスロードの体をこうもあっさり砕くなんて)
膨大な魔力を内包するカオスロードは通常の攻撃で傷つくことはまずない。そのカオスロードの体をいとも簡単に打ち砕いたウィシュフィの強さに、カミラは内心驚きを隠せなかった。
ウィシュフィの指の上で赤黒く輝く魔法弾が一際強い光を放つ。ただでさえ莫大な魔力の塊がさらにその魔力を強め、カミラの顔を激しく照らした。
(くっ! まだ強くなるっていうの! まずい。これほどまでに強力な魔力、いくらカオスロードでも……)
目の前で発せられる想像を絶する魔力にカミラは内心焦りを隠せなかった。
自身の魔力、そして召喚獣の魔力をはるかに凌駕する力を前に、受け止める術がないことを彼女は瞬時に理解していた。
「はははは! 行くぞ小娘! 私の魔法と貴様の召喚獣。どちらが強いか勝負!」
ウィシュフィが魔法弾を持つ腕を勢いよく振りかぶる。
(ま、まずい――! 止めきれ――)
その腕がカミラに向かって豪快に振りぬかれたとき、指の上の魔法弾が急速に消失した。
そしてウィシュフィが唐突にその場にうずくまる。
「ぐっ……。な、なんだ……」
(ど、どうしたっていうの?)
カミラの視線の先で、銀髪の少女が突然胸を押さえて苦しみだす。
(な、なぜだ……。体が……言うことをきかん……。う、動けん……。なぜ……。もしや力を使いすぎたのか? 私はまだ万全の状態ではなかったと言うことか……? く、くそっ……目の前が……暗い……)
ウィシュフィが倒れ込み目を閉じる。
すると床に触れそうなくらいに長かった髪が、短くなっていく。さらに体も徐々に大きく変貌し、一回り大きくなった体はラグノの姿へと戻っていった。顔も姿も髪の長さも、元のラグノの体へと変化する。
(なにが起こったというの。あの少女が再びラグノの姿に戻っている)
目の前の状況を理解できないままカミラが固まっていると、背後で大広間の扉が盛大に開け放たれた。
扉の外から見知った顔が勢いよくホールへ侵入してくる。
「お、おいグレン! ラグノがいたぞ!」
ルィンとグレンが床に倒れているラグノに駆け寄る。
倒れたラグノをグレンが起こすと、
「お、おい、こいつ血だらけじゃねえか」
腹に大量の血の跡が残るラグノの服を見て、グレンが取り乱す。
「なかなか小便から帰ってこねえから心配して来てみりゃ……。ところでなんでお姫さんたちまでいるんだ?」
「う……」
グレンたちが見守る中、意識を取り戻したラグノが目を開ける。
「お、おいラグノ大丈夫か?」
「ルィン……。どうしたんだよお前こんなところで……」
「それはこっちのセリフだ。なにがあったって言うんだよ? お前怪我したのか?」
ルィンの言葉にはっと我に返ったラグノが腹を押さえる。
(傷が……ふさがってる。どうして……)
すでにふさがった自身の腹の傷に戸惑いながら、ふとそばに立つカミラの顔を見つめる。
(そうだ。俺、こいつと戦ってたんだ。……ってなんだあのでかいガイコツ)
髑髏の肩に乗るカミラを見上げながら、ラグノは今までのことを思い出していた。
(なんで俺生きてるんだ。カミラにやられたんじゃなかったっけ。それに腹の傷も治ってるし……)
ラグノの視線の先で、カミラの召喚獣が霧のように姿を消していく。
すとん、と肩の上の少女が床に降り立った。
「ずいぶんギャラリーが増えちゃったね」
少女は王家の塔で共に戦った仲間たちを見て、静かに言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます