第34話 決着
「ぐっ!」
カミラの攻撃がまた見えなかった。さっきと同じだ。気が付いたら殴られてる。俺にはカミラの攻撃を目で捉えることすらできない。
床に転がる自身の体を慌てて立て直し、素早く立ち上がると、体の芯に鈍い痛みがズキリと走った。なんだか痛みがさっきよりも激しい気がする。……すでにそれほどのダメージが蓄積してるってことか? こんな調子で攻撃をもらい続けたら……。まずいぞ、すぐに足腰立たなくなる。
カミラは俺との距離をすでに十分に取り、息一つ切らさず次の攻撃の機会をうかがっている。さらに俺が少しでも動くと即座に反応して距離を取り、俺の接近を一切許さない。
なんてこった。これじゃあ近づくことすらできない。しかも少しでも気を抜くと――。
「ぐあっ!?」
突然、一瞬のうちに腹を数発殴られる。反射的に身を固くした俺の背中へ、続けざまに強烈な蹴りがめり込み、ミシリと背骨が音を立てる。後方からの衝撃に耐えきれず、顔面から激しく床に転がり込む。全身を襲う痛みがさっきよりも数段強くなっている。立ち上がるとき、わずかにめまいがする。蓄積するダメージが深刻な水準に達しようとしていた。
だというのに、俺はまるで手玉に取るようにボコボコにされ、反撃の糸口すら見えない。
このままじゃ一方的になぶられて負けるだけだ。なんとかして反撃しないと。
でもどうやって?
間合いを詰めようにもすぐに逃げられる。あいつより早く移動する術が俺にはない。そんなことを考えていると再びふっとカミラの姿が消えた。慌ててフロアを見回す。
「こっちよ」
突然背後から声を掛けられ、俺は拳で振り払うようにして振り返った。
空振る俺の拳。すでにそこにカミラはいない。反対に顔面に数発の衝撃。脳が揺らぐ。一瞬だけ目に留まる黒い衣。しかしすぐさま視界から消え去る。
とらえきれない。カミラは攻撃を放つと同時に即座に俺の間合いから姿を消す。一撃離脱で反撃の隙を俺に一切与えない。
こちらから間合いを詰めるのも無理だ。すぐに逃げられる。ならば向こうが接近してきたときにカウンターを狙う。それ以外のチャンスが思い浮かばない。ダメージ覚悟で捨て身の攻撃を入れる。これ以外に俺がカミラにダメージを与える手段がない。
僅かな間をおいて再び体に衝撃。今度は右の頬を殴られる。すぐさま右腕を振ってカウンターを狙うが、俺が腕を振りだす初動でカミラの姿はすでに俺の間合いから消えていた。攻撃が空振ると同時に今度は背中に蹴りが飛んでくる。この蹴りがヤバイ。パンチの何倍もの威力があり、脚を踏ん張っても耐えきれない。しかも死角から飛んでくるため一切の受け身が取れない。俺は三度床に転がり込む。
気が付けば俺の息は上がっていた。捨て身の反撃により、ただでさえきついダメージはさらに激しくなり、カウンターの反撃を放つことによって体力の消耗までが激化した。
圧倒的な戦力差を前に俺には為す術もなかった。
「さすがのあなたもずいぶん苦しそうね」
カミラは相変わらず息一つ乱さず涼しげな顔。
「でもそろそろ限界でしょう? 今、楽にしてあげる」
俺の間合いの外から淡々とカミラが告げる。それはさながら死の宣告。
何か言い返して呼吸が整うまでの時間稼ぎでもしようかとも思ったが、いいセリフが見つからない。疲労とダメージで頭が回らない。それにそんなことしたってこいつは待ってくれるような奴じゃないしな。あっさりととどめを刺しに来るだろう。
カミラの表情が変わった。
目の前のカミラが深く構えた途端、その全身からどす黒い魔力がほとばしり、天へ向かって揺らめき出す。力がみなぎっていくのがわかる。……来る。おそらく全力の攻撃が飛んでくる。俺の力じゃ防ぎようがない。かといって逃げることすらかなわないだろう。じゃあどうする?
……相打ち覚悟で反撃するしかない。あいつが攻撃を放つ瞬間、なんとかカウンターの一撃を撃ち込むんだ。
しかしそんなことができるだろうか。今までだってさんざんいいようになぶられただけだって言うのに。
いや、考えてる場合じゃない。できるかどうかじゃない。やるしかないんだ。
心の準備が整うよりも前、カミラの姿がまた俺の視界から消える。
集中しろ。目だけに頼らず全身を使って相手を捉えるんだ。
後方に違和感。即座に体をひるがえす。――と。
俺の目の前でなぜかカミラが制止している。
さっきまでは俺の視界にさえ入らないように動き回っていたくせに。今はなぜか俺の目の前でピタリと止まっている。俺を攻撃する素振りも見せない。
絶好の反撃のチャンスだ。俺は目の前にカミラに拳を放とうと思った。しかしなぜか体が動かなかった。
目の前のカミラが特に感情を持たない顔で俺を見つめたまま、
「ごめんねラグノ。さようなら」
よく通る澄んだ声が俺の耳に届いた。
その時になって、俺はようやく自分の腹の違和感に気づいた。
腹の中に異物感。なにかが差し込まれているような。
自分の腹へ視線を下げると、カミラの手刀が俺の腹に深々と突き刺さっていることに気づいた。
「え」
マヌケな声を漏らしてしまう。
手刀は指の根元まで深々と差し込まれていた。
腹が猛烈に熱いことにその時になってようやく気づいた。
ひどい怪我だ。
これってまずいんじゃ。
俺に突き刺さったカミラの指から血がしたたり落ちる。
思考が定まらない。これは現実のことなのか?
目の前に広がる光景がとても現実のものとは思えない。
カミラが指を抜き取ると、開いた穴から一気に血が噴き出した。俺の腹からとてつもない勢いで血が零れ落ち、衣服が一瞬で真っ赤に染まる。
「あ……」
目の前に広がる信じられない光景に呆然と立ち尽くす。
そのショッキングな光景とは対照的に、痛みはない。
なんで痛くないんだ?
いや、痛くないけど……。なんだか……。……意識が遠ざかる。
世界がどこか遠くへ行ってしまうような、奇妙な感覚に、俺は怖くなった。
もしかしてこれって、死ぬのか?
俺が死んだらアリアはどうなるんだ。
あの子じゃカミラには敵わない。
じゃあどうすればいいんだっけ。
そうだ、俺が守らないと。
ああ違う。俺は死ぬのか。
あれ。じゃあ守れない?
ええと……じゃあどうすればいいんだっけ……。
目の前から光が消えていく。視界の外から徐々に闇が迫り、それが視線の中央へ押し寄せてくる。頭がやけにぼんやりしている。ものが考えられない。思考が働かない。世界が消えていく。
『間抜けが』
暗闇が視界の中心に差し掛かろうとした時、頭に声が響いた。
まるで耳元でつぶやかれたかのような鮮明な声。
女の声だ。
カミラの声じゃない。
アリアでもない。
知らない声だった。
誰だろう。
そんなことを考えていると、猛烈な眠気が襲ってくる。全身がふわふわとして、眠りに落ちる直前のように意識が消え去っていく。気が遠くなる。そんな抗いがたい感覚が全身を襲い、俺は目を閉じた。
◇
腹から大量の血をこぼした銀髪の少年が目の前に倒れるのを見て、カミラは一呼吸ついた。
「ふう……」
するとその細身の体を包んでいる黒い衣が煙のように消えていき、純白のドレスが姿を見せる。物言わず目の前に横たわる少年を見つめながら、少女は胸元から取り出したハンカチで右手の指先にべったりとこびりついたラグノの血をふき取っていく。なかなか落ちないその血をカミラは丹念にふき取る。指先の赤が少しずつハンカチへ移動していく。
アリアはその様子を黙って見つめた。目の前に倒れる少年に駆け寄りたくても、カミラの放つ強力な魔力に、その場に近づくことさえできなかった。
倒れたラグノの体から床へ血が広がっていく。致命傷だ。誰の目にも明らかだった。胸郭や腹部に一切の動きが見られず、少年の呼吸はすでに止まっているようにも見える。
アリアはカミラの背中を見つめたまま、ただ立ち尽くすことしかできない。目の前のカミラは一言も言葉を発せず、静かに手を拭き取っている。アリアには彼女の表情がわからない。なにを思いこの時間を過ごしているのか想像もつかない。そんな沈黙がしばらく続いたのち、先に声を出したのはカミラだった。
「終わったよアリア」
その一言がアリアにはどこか冷たく聞こえた。
アリアへと振り向いたカミラが淡々と告げる。
「どうする。あなたも戦ってみる?」
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