第33話 闇の衣
俺が拳を放った瞬間、カミラの体が一瞬にして拳の軌道上から消える。その体は俺から見て右へ移動していた。俺の拳よりもさらに早くその全身を移動させたのだ。そのあまりの速さに目の前に残像が残る。そして俺の右拳の外へ回り込むと、俺の突きをいなすように片手で軌道を変える。――と。
カミラが一瞬、「えっ」と短く声を上げたかと思うと、その体が宙へ浮いた。ほっそりとした体が勢いよく回転しながら上へ向かって飛んでいく。このままだと天井との激突は免れない。そう思った矢先、天井にぶつかる直前、白いドレスに包まれた少女の全身が高速回転する。そして器用にも空中で体勢を整えると、難なく足元から天井へ着地した。なんつう運動神経してんだこいつは。
天井に立つカミラの赤い瞳と目が合う。さっきまでの無表情ではない。かといって怒りや憎悪と言ったものもその表情からは感じない。なんとなく楽しんでいるような……。そんな雰囲気が今のカミラにはあった。
トン、とつま先で天井を軽やかにノックすると、少女の体が宙へ落下する。空中で回転する体が無駄のない動きで天と地を入れ替える。スカートをふわりと膨らませながら、少女の体は音もなく床へ着地した。
「いなした私のほうが吹き飛ばされるなんて。ずいぶんと馬鹿げた攻撃力ね」
苦笑いを浮かべながら呆れたように称賛の言葉をよこす。
不意に頭上からぱらぱらと砂埃が舞い俺とカミラの間に落ちた。
視線を上へ向けると天井がカミラの足の形にへこみ、そこから天井の壁の一部が崩れる。
それを確認し、もう一度地上に視線を戻すとそこにカミラの姿はなかった。
ほんの一瞬、目を離した隙にカミラは俺の前から姿を消した。
――どこだ。
視界のどこにもカミラの姿はない。
周囲に意識を集中させる。
静かだ。物音もまるでない。
と、急に俺の両足が浮かび後方へ体勢を崩す。
「な――」
気が付くと俺の両腰には細い腕が巻き付いている。
後方からカミラに腰を取られたんだ。
抗おうともがくもあっさりと持ち上げられ、天井が一回転する。直後、床に背中から激しく叩きつけられ、全身に衝撃が走った。
かと思ったら次の瞬間には、カミラに馬乗りに上を取られていた。
「さようならラグノ」
抑揚のない声。カミラは拳を手刀の形にし、寝転がる俺の喉元目がけて一切躊躇せず突きを繰り出す。
まともに喰らったら、ただでは済まないだろう攻撃。だから俺は攻撃が喉に触れる直前、カミラの手首をつかんだ。
ピタリ、と攻撃が止まる。
「――!」
驚愕に身を固めたカミラの顔へ、俺は反対の拳を放った。
拳が迫るにつれてカミラの瞳孔が開いていくのが見て取れる。それは瞬き一回分にも満たないごく一瞬の出来事。
俺は放った拳をカミラの顔の直前で止めた。
ぶわっと風が起こり、風圧がカミラの金色の髪を一斉に後ろへなびかせた。
さらに後方のカーテンが風でめくれ上がる。
窓の少ないこの大広間で逃げ場を見つけられない強風が暴れまわる。
風が落ち着いてきたころ、俺は握っていたカミラの手首を離した。
すぐにカミラが後方へ飛び退き、俺から距離を取る。
勢い余って少女の体が床の上を後ずさる。
「勝てたのに。なぜ?」
解せないといった様子で尋ねてくるカミラ。
「さっきのお返しだ。俺のパンチ、見えてるみたいだな。結構速く打ったのに。瞳が開いていくのがわかったぜ。さあ、これで貸し借りはなくなった」
疑念にあふれていた王女の顔がほころび、愉快そうな笑いを上げる。
「ふ、ふふ……。あはははっ! やるじゃないラグノ! まさかこんなに楽しませてくれるなんてね。じゃあいいもの見せてあげる」
カミラが力強く両拳を握り込む。その全身が黒いオーラに包まれていく。
これは……魔力か? しかも……。
黒いオーラはすさまじい速度で膨れ上がり、少女の全身を完全に覆いつくす。その魔力が恐ろしく強大であることを、ド素人の俺でも一瞬で理解できた。嫌な感じが肌からびりびりと伝わってきて、直感がこの場から逃げるよう俺に強く訴えかける。
カミラを包む魔力はさらに膨れ上がりすさまじい圧力を発した。この場に立ってるだけで吹き飛ばされそうだ。
ど、どうなってんだよ!?
その圧力に飛ばされないよう、その場に必死に踏ん張る。
カミラを包む黒い魔力が次第に形を変えていく。
「そ、それは……!」
魔力は黒い衣へと姿を変え、カミラの白いドレスを覆った。
「闇の衣<ブラックヴェール>」
「それはグレンの……」
王家の塔でグレンが見せた魔法にそっくりだ。
グレンはこの魔法を使った途端、戦闘能力が大幅に上がったが……。
「まさかお前も使えたとはな」
「できなかったよ。でもさっき試したらできた」
「はあ!? なんだそのふざけたセリフ」
嘘か冗談かわからないようなことをカミラは真顔で言った。
そんなふざけたことがあるかよ。
でもコイツならやりかねんな、とも思った。
「でも色が違うな」
グレンのは白っぽかった。対してカミラのは闇のように深い黒。
「神聖魔法は苦手なの。これは暗黒魔法」
カミラは自身を覆う黒い衣を指先でつまみ、
「でも原理としては一緒。だからグレンが王家の塔で見せたのと同じような効果があるんだ」
カミラの言うことはおそらく事実だろう。
こうやって対峙してるだけで嫌な感覚が肌にまとわりつく。
「ふふふ。まさかこんな魔法の使い方があるなんて私も知らなかった。グレンってもしかしてすごい魔法使いなのかもね」
「あいつはすげえよ。ちょっと口は悪くて態度も悪くてせっかちだけどな」
カミラが一瞬黙り込んだ後、微笑みを浮かべる。
「仲がいいんだね」
言いながら構えを取った。
「でもすごいよこの魔法。近接戦闘力が上がるんだけどさ。半端な上がり方じゃないんだよ。もう圧倒的なんだ」
俺はなんとなく嫌な予感がしながらも尋ねた。
「圧倒的ってどのくらいだよ」
カミラの姿が消えた。
それと同時に耳元でささやき声がした。
「このくらい」
ささやきが聞こえたかと思うと、頬が熱くなった。そして全身に浮遊感。
気が付くと俺はいつの間にか宙に浮いていた。周りの景色がすさまじいスピードで後ろへ流れていく。
周辺視野で周囲を確認する。フロア前方のテラスが見える。てことは壁が近いな。
なんて考えていたら、再び体に衝撃が走った。
「ぐっ……」
今度は背中だ。
俺の体はさっきと反対方向に飛ばされ、床を派手に転がった。
「おっと。あんな威力でぶつかられたら城が壊れちゃうからね。お城は私が守ります」
カミラは夕食のときダンスに使ったエリアに立っている。
まずいな。まるで反応できなかった。
パワーもスピードもさっきまでより格段に増している。
よくわからないほどの、とにかくめちゃくちゃな強さだ。
床にうつぶせていた俺は慌てて立ち上がる。
気が付くと額に汗をかいていた。俺は無意識のうちにカミラから離れるように後ずさっていた。
「視線がしっかりしてるね。今のでも大して効いてないってことか。普通の人間だったら粉々になってそうだけど。どうなってるのあなたの体。宝石より硬いんじゃない? それじゃあまるで怪物じゃない」
「普通の人間なら粉々か。そんな攻撃を撃てるお前もよっぽど怪物だぜ」
なんて言い返してみたものの、俺にはカミラの攻撃が全く見えなかった。
それに体の芯に残る鈍い痛み。この力を手に入れてから痛みを感じたのなんてこれが初めてじゃないだろうか。
これじゃあ一方的にやられるだけだ。いったいどうすれば……。
……とにかく防戦に回ったら不利だ。と言うより防御すらまともにできない。
だったらもう攻めるしか道はない。
そう判断すると、迷わずカミラの元へ走り出す。突っ立っててもなぶられるだけ。だったら攻め続けるのみ。
カミラは向かってくる俺を見ながら、ふっと口元で笑うとステップを踏み、俺から離れる。
間合いに入れないつもりか。
――構うか!
強引に距離を詰めようと試みると、目の前のカミラが超高速の動きで消える。
反対に右頬を強打された感覚がして、俺は床上を派手に転がり込んだ。
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