第29話 ダンスはひとりじゃ踊れない


 祝賀会会場として用意された大広間には、大きな丸テーブルがいくつも並び、そのうちの一つを俺たちが囲んでいた。数百人は入れそうなこの場所でカミラの祝賀会がじき開かれる。すでに結構な数の来賓客が着席し、談笑する人々でガヤガヤとにぎやかだ。フロア前方に備え付けられたテラスから差し込む夕陽は、橙色を少し過ぎ、昏みのある赤を放つ。もうじき夜が来る。


「なんでおめえが俺の隣なんだよ」

「あらーそんなの当然じゃない。私とグレンちゃんの仲なんだから!」

「勘違いされるような言い方するな。今日は暴れるんじゃねえぞ。こんなところの食器壊した日にゃ弁償なんてとてもできねえからな」

「うふふ。わかってるわよ」


 グレンの横で花柄のローブを身にまとうマリーさんが笑顔を振りまいた。

 グレンの反対隣りに座るルィンは二人のやり取りを見てニヤニヤする。

 ルィンの隣にはアリアが座り、そしてその隣が俺。

 王家の塔へ行ったメンバーが同じテーブルに会する。

 しかしフロア内には重要な人物がいなかった。


「そういや主役の姿が見当たらないな」


 俺はホール内にカミラの姿を探すが、その姿はどこにも見当たらなかった。

 今日の主役だってのに会場にはまだ姿を見せていないようだ。パーティーはもうじき始まるって言うのに、ずいぶんのんびりしてるな。それとも何かあったんだろうか?


「きっと準備に手間取ってるんだろう。じき現れるさ」

「だといいけど」


 そんなルィンの予想に反して、料理の準備が整ってもカミラは姿を現さなかった。

 主役不在のまま始まる晩さん会。

 人生で見たこともない豪華な食事が目の前にずらりと並ぶ。

 なんだこのすさまじい食事群は。王宮の奴らは毎日こんなうまいもん食べてるのか? 不公平だろ! 俺なんて毎日固いパンをあごを疲れさせながら食ってんだぞ。それに対してなんだよこの高そうな皿に乗った柔らかくもっちりとしたパンは! こんがりとキツネ色に焼けて見るからにおいしそう。形もきれいに整ってる。指先で押すと一瞬へこんだ後に、すぐに元の形に戻るほど弾力にあふれている。しかも焼きたてなのかまだほんのり温かい。人肌を少し超えるくらいの温度感は、手に持つだけで心地よい。味だけではなくそれ以外でも楽しませようというコックの心意気。感動。鼻に近づけると濃厚なバターの風味が漂い、一口かじれば表面が「カリッ」と音を立て、次いで中のもっちりとした触感が舌を撫でる。そしてわずかに効いた塩味がバターの風味をさらに引き立てる。王宮のパンすげえ……。俺はこの日初めてパン格差を知った。

 パン一個食う間に「すげー」「うめー」を連呼する俺。そんな俺に、ルィンは何度も「もっと静かに食え」と恥ずかしそうに注意してきた。俺は「細かいことを気にする奴だなあ、お前は俺の教育係かぁ?」と返しながら、テーブルに並ぶうまい食事を次々と口に運び、「こんなうまいものが世界にはあるのか」と驚きながら満足していった。


 そして食事が終わるころになってようやくカミラが会場に姿を現す。

 初めて会った時と同じ純白のドレスに身を包み、王家の塔に行った時とはかなり雰囲気が変わる。

 カミラが到着したことで、王様の堅苦しいスピーチタイムが始まる。ゴブリンに壊された町の復興がどうたらとか。このタイミングでカミラが王位継承権を手に入れたのは、この国に光が差した証拠であるとかなんとか。イシュメリアは今後も大いに発展していくだろうとか。詰まんない話が長々と続いた。その後にカミラが参加者へのお礼なんかをつらつらと手短に述べた。こういうことに慣れているのか特に緊張することも気負うこともなく、いつものカミラがそこにいた。んでその後、ダンスタイムの開始が宣言された。なんだよダンスタイムって。


 フロア前方のテーブルやらなんやらのごちゃごちゃしたものが手早く片づけられ、その開けた空間に人がわっと集まっていく。みんな結構乗り気だ。そういうもんなのか。

 すぐ横にあるテラスからは月明りが差していてどことなく幻想的な雰囲気があった。

 なんとハイソなこと。当然俺は踊りとか微塵もわからないので見学オンリーを決め込む。

 グレンはマリーさんに強引に引っ張られて、最初めちゃくちゃ嫌そうにしながらも、マリーさんの勢いに負けてしぶしぶダンスフロアに躍り出た。今はなんだかんだ楽しそうに踊ってる。

 ルィンは貴族っぽいお嬢さんと踊ってるみたいだ。意外にも踊りが上手いぞ、ルィンのやつ。いや予想通りかも。なんとなくそういうことをそつなくこなせそうなイメージだったし。

 それにしてもこんな世界があるなんてな。

 庶民とはえらい違いだ。住む世界が違うとはこういうことか。

 まあ俺は飯だけで充分かな。堅苦しいのは苦手だし。この飯が町で毎日食えたら最高なんだけどな。

 ……そういやカミラがいないな。さっきまでダンスフロアにいたのに。どこ行ったんだろう?

 外野席からきょろきょろとカミラの姿を探していると。


「ラグノ」


 不意に後ろから声を掛けられ振り向くと、ドレスを身にまとったカミラがそこにいた。


「なんだそこにいたのかよ」

「なあに、探してたの?」

「見当たらなかったから気になってさ。そういや始まるときも遅れてきたけどなんかあったのか?」

「ちょっと準備に手間取っちゃってね」


 その割にはこの前と似たような格好だな。ドレスを着るのにそこまでの時間が必要だとは思えないけど。それとも何かほかの用事でもこなしてたんだろうか。

 カミラの姿をまじまじと見る。

 金の長髪が白のドレスによく映える。

 率直に言ってきれいだ。

 黙ってれば外見だけはものすごい美人なんだよな。性格はちょっとアレなところがあるけど。


「どうしたのそんなに見つめて。なにか変だった?」


 俺がじっと見つめていたことが気になったのか、ドレスに視線を落として自分の姿をまじまじと確認するカミラ。


「いや、別になんでもないんだ。それよりカミラは踊らないのか?」

「今から踊るよ。さあ」


 カミラがおもむろに俺へ手を差し伸べる。


「え、俺ぇ!? 俺、踊ったことなんてないぜ」

「大丈夫よ簡単だから。リードしてあげる」

「てかなんで俺なんだよ? もっとよさそうな相手いっぱいいるだろ」

「だってラグノってばつまらなそうにしてるんだもん」


 まあ俺にとってのメインイベント『飯』はすでに終わってるしな。

 退屈なのが無意識に顔に出ていたか。


「せっかくなんだし踊りましょうよ。見てるだけじゃ退屈でしょ?」

「俺たぶんヘタクソだぜ? 一人で踊ったほうがよくない?」


 それを聞いたカミラが口元を押さえておかしそうに笑う。


「ふふふ。ダンスはひとりじゃ踊れないわ。さあ」


 まあそりゃそうか。

 つってもこんな目立つ場所で踊るなんてなんだかこっ恥ずかしいよな。

 とか思いながらも俺は差し出されたカミラの手を取った。

 カミラに導かれ、ダンスエリアへ向かう。不思議と緊張は無かった。

 俺は最初、何度か足をもつれさせながらぎこちなくなく踊っていたが、しばらくすると多少は見られるくらいにはなっていった。……気がする。たぶんカミラのリードが良かったんだろう。


「結構踊れるじゃない」

「相方が優秀だからな」

「あら。謙遜するなんて意外ね。やってみれば案外楽しいでしょ?」

「まあそうかも」


 たしかに見てるだけよりも、うんと楽しいな、なんて思った。

 まあ相手が見知ったカミラだって言うのもあるだろう。


「そういや食事が終わる頃に来たみたいだけど、飯は食べたのか?」

「ううん。食べてる暇なくて」

「なんだよもったいない。めちゃくちゃうまかったぜ」

「あら。それはよかったわね。食べたがってたものね」

「もっと早くこればよかったのに。そんなに大事な用だったのか?」


 カミラは穏やかにほほ笑んでいた。

 そして俺の質問に答えることがないまま、ダンスタイムが終わりを迎えた。

 そんなこんなで夜はふけていき祝賀会はお開きとなった。

 晩餐会が終わった後、王の計らいで俺たちは王宮に泊まることになった。

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